『落陽』考

学生のころは拓郎の曲なんて「ヤワ!日和見!」などとしか思ってなかったのだが、最近、ちょっとギターを弾きだしたこともあって、拓郎の曲をなんとなく歌っていると、「おっ、」と思わさせるところがある。あのわずか20代前半あたりで、こんな詩を歌っていたとは、やはり拓郎はある意味天才か、と思うが、しかし、作詞作曲が拓郎自身のものはやはりどこかに若さが残っているのだが、岡本おさみと組んだ曲は全くその意味がより深くなっている。特に『落陽』はその最たるものだ。これは岡本が北海道一人旅の途中の老人との出会いがモチーフとなっているのだが、詩の内容もほぼ実話に近い。岡本が苫小牧の古本屋で出会った老人は、その風体に似つかわしくなく「政治評論の厄介な本」を読んでいたそうで、ちょっと声を掛けたところからこの老人との即興的物語が始まる。このあたりの詳細な話は岡本の『旅に唄あり』(1977年)を読んでもらえばよいのだが、古書扱いで10000円近くする代物となっているので、ネットあたりで検索すれば断片情報で少しは分かるかもしれない。岡本が老人との会話を思い出しながら書いている。

「今、どうして食べてるんですか」

「ルンペンですよ」

「どんなきっかけでルンペンになられました。昔の職は?」

「あんたは文章を書いていらっしゃいますが、私も昔はそういうことを志しておりました」

「小説、ですか」

「昔の話ですからね。評論ですよ」

「どんな評論ですか」

「それはもう捨てましたから。アカだと言われて追われました」

「戦争中ですね」

「息子は戦争で殺されましたよ」

「お名前をうかがっていませんが」

「名などありません。評論家をめざしたころもありましたが、書く気持を失くしましたから」

「御家族は?」

「忘れましたよ」

「結婚は」

「しました」

「奥さんは」

「逃げてしまいました」

「ルンペン生活は書かれなくなってからですか」

「絶望、っていうんですか、そういう時期もあったようですが、ルンペンの生活はいちばんいいですよ」

「戦争に協力したくないからですね」

「それも昔のことです」

「今でも本は読まれますか」

「本屋で立ち読みしますが、臭くてきらわれますから、ほとんど本屋にもゆきません」

「ルンペン生活からみて、どんな印象をもたれますか」

「みなさん生活が豊かで、幸せそうです」

「そんなふうにみえるわけですか」

「食べることには不満のない生活を送っている人の文ですよ」

 

★・・・・・・・・・・・・・・・・・・(『旅に唄あり』より)

 

この出会いから生まれたのが「落陽」だ。岡本はこの老人から賭場(チンチロリン)へ連れて行かれ、そこで老人からサイコロを二個もらったそうだ。

この時の出会からあの『落陽』の詩、特に「♪~じいさん、あんたこそが正直者さ。この国に賭けるものなどないさ。だからこうして漂うだけ~♪」と書くことができる岡本の感性は、やはり凄いものがある。これは想像でしかないが、拓郎はこの詩のこの部分に多分衝撃を受けたのではないだろうか。とはいえ、拓郎もやはり繰り返しになるが天才だ。この詩からあの『落陽』の曲を作るとは。今でも、拓郎はコンサートで必ずこの「落陽」を歌っているのだが、50年近く前の感性が、拓郎の好きなフレーズ「時の流れ」を経て、今まさに『落陽』がこの全く不条理と化した社会にある意味でふさわしい曲になりつつあるのではないだろうか。この旅先の老人とは少し経験が違うが、「大学処分」「離婚」「破産」、、、と経験した私の身には、この『落陽』はまた格別に響く曲なのである。そして今夜も独り部屋でまた『落陽』を歌いながらわが身を振り返るのである。