日本青年館での一日

先日、知人が演出を担当する市民劇団ミュージカル公演の裏方を手伝いました。このような演劇の裏方という作業は、これまでも経験がなく貴重な体験でした。この演劇を公演した会場が、「日本青年館ホール」です。建物は、2020オリンピック開催に合わせて、2017年8月に神宮球場の真横に、地上16階、総客室数220室のホテルや1,250席のホールなどを備えグランドオープンしました。知人の計らいで公演日の前日にこの青年館ホテルに宿泊しましたが、地上15階からは都内の夜景、朝は富士山をくっきりと望むことができました。また、神宮球場を真上から見ることができ、昔ヤクルトファンで神宮球場に良く通った私には、新鮮な光景でした。「青年館ホール」と聞けば、若いころ、ヤマハポプコンなど、まだメジャーにならないアーティストたちの登竜門としてのコンサートの会場としては知っていましたが、青年館そのものの歴史は知りませんでした。裏方という役回りで頂いた『第68回全国青年大会』というパンフレットを何気なく開き、その最初のページに、「全国青年大会とは」という標題の中で、「平和への努力」という項目が目に入りました。そこに、第1回の開会式に臨席した三笠宮崇仁親王の言葉として、『日本がもしかつて大陸に武力的に進出したような甘い夢がまださめやらずして、再び武装して外に出るようなことがあれば、これはとりもなおさず第三次世界大戦の誘引になることを痛切に感ずる。なんといっても再び日本人が武装して国外に出ないことを、皆さんにはっきり持っていただきたい』ということが書かれていました。折しも公演当日は、令和天皇皇后の祝賀パレードの日です。沿道は、日の丸を振りかざす人々であふれ返りながらも、青年館ホールで演じる若者や観客にはパレードはあまり関係ないような感じでした。それよりは、身近な友人の晴れ舞台の方が大事なのでしょう。また隣接する神宮球場では高校球児の、そして秩父宮ラグビー場では大学ラガーマンの秋季大会にパレードに負けないくらいの人々が集まっていましたが、ここもパレードとは無縁に感じました。三笠宮の挨拶の言葉を、青年館ホールの若者、或いは高校球児、大学ラガーマンがどこまで理解できているのかはわかりませんが、私には三笠宮の言葉を「取り越し苦労である」と思うことが一縷の望みに過ぎないように感じつつも、また逆に、この青年館に集う若者たちの中に、まだまだ失っていない平和への希望も感じ取ることができました。令和天皇の祝賀では、現役総理が「天皇陛下万歳!」と叫び、また彼の政権は自衛隊を海外に派兵することを推進しています。令和天皇が彼の大叔父である三笠宮の言葉をどのように受け取っているのか、知る由もありませんが、裏方を務めたこの一日、私には、いろいろなことが心の中で交錯しあい、また溶け合うような一日でした。「平和」とは「退屈でつまらない」ものではなく、「歌い、踊り、演じ、走り、飛び跳ね、ぶつかり、汗を流す」ことなんだ、ということを今更に思い出させてくれる日でした。ちなみに、裏方をつとめた演劇は、新潟県五泉市という人口5万ほどの小さな町の市民劇団のミュージカルです。題名は『貧乏神と福の神』という脚本家の高橋正圀さんが書き下ろしたもので、私を誘ってくれた音楽家の神代充史さんが演出・音楽を担当しました。お芝居の「福の神よりは貧乏神が良い」という結末は、「戦争よりは平和が良い」という言葉の言い換えのように感じたのは多分私だけではなかったことでしょう。f:id:sumiyakitaicho:20191110102755j:plain

英語と日本語と語学教育論

先日の内閣改造環境大臣に就任したばかりの小泉進次郎氏の英語発言が議論を巻き起こしています。彼は、「環境問題はセクシーであるべきだ!」と発言、それに対する賛否両論があるようです。否定派は、彼の大臣資質を疑い、肯定派は、「上手い表現だ」(在米ジャーナリスト)と評価しています。いずれにせよ、「セクシー」という語彙の意味をめぐり、日本人的感覚と英語圏的感覚の齟齬が発言騒動の主因となっています。明治維新後の初代文部大臣となった薩摩藩士の森有礼はその著書『日本の教育』で「我々の貧しい言語は、英語の支配に服すべき運命を定められている。<中略>日本の言語によっては国家の法律を決して保持することができない。あらゆる理由が、その使用の廃棄の道を示唆している。」と言って、「日本語廃止英語採用論」を唱えました。この発言は、当時の国内外で物議をかもしましたが、当時の米国の言語学者イリアム・ホイットニーも「土着言語の日本語による教育こそが日本の社会的発展にとって必須である」と述べ、大勢は彼の発言に対する否定でした。ただ、ホイットニーは森の論を単に否定するのではなく、「漢文/日本語の二層言語状態に替えて、英語/日本語の二層言語状態にすべき」と提案しています。一方、日本国内では、土佐藩士で自由民権運動の旗手でもあった馬場辰猪が森有礼批判の急先鋒でした。他の批判がどちらかと言えば非論理的(感情的)批判の中で、馬場は非常に論理的に批判を加えています。彼は、著書『日本語文典』の中で、強圧による外国語導入によって生じる二言語併用体制がもたらす国民的悲劇を予測してこう述べています。ちょっと長いですが、引用します。

「当然のことだが、国民のうちの富裕階級は、貧困な階級がたえず縛られている日常の仕事から解放されているので、その結果、前者は後者より多くの時間を言語の学習にあてることができる。もし国政が、さらに社会の交流ののすべてが英語で行われることになれば、下層階級は国民全体にかかわる重要問題から閉め出されることになる。それは、古代ローマ貴族が(神法)や(民会)等から平民を排斥したのと同じことである。その結果、上層階級と下層階級は完全に分離し、両階級のあいだには共通する感情がなくなってしまうだろう。」
馬場は、上記の発言の例として、中世のウエールズアイルランドスコットランドゲール語圏がイングランドの英語支配により征服されたこと、また同様に植民地インドの状況にも触れ、言語支配の弊害と脅威を鋭く問うています。
さて、安倍政権は「2020教育改革」と称して、「英語教育」の小学校からの導入をはじめています。その意図するところは、「グローバルな時代には英語が必須」(内閣府)ということですが、前出の森有礼は、英語の効用として、「英語を話す種族の商業力」に着目しています。すなわち、「商業民族である日本民族の独立保持の必須条件」と述べていますが、現政権の英語教育改革の背景にも、このような「商業的意図」は当然含まれています。しかし、馬場辰猪の批判は「言語の壁による社会階級分裂」という「商業力」以前の「社会」という根本的問題を問うており、これは、まさにこの「英語教育改革」をめぐって、教育産業の参入が目覚ましい現実の日本社会を予言している言葉でもありました。
小泉進二郎発言を肯定する人々には、当然ながらジャーナリスト或いはコンサルタントなど「英語をしゃべることができ、英語(を使うこと)で収入を得ている方々」が非常に多いように見受けられます。「英語をしゃべることができる」ことが一種のステータスになり、「英語をしゃべれないこと」が逆にコンプレックスとなっているのは間違いないでしょう。しかし、「思考」と「コミュニケーション」は次元の違うものであり、外国語導入が果たして「思考力」を高めることができるのかは疑問です。小泉進二郎氏は果たしてどのような「思考力」でもって「セクシー発言」をしたのか、が問われているのではないでしょうか。

《DAIGOエコロジー村通信2019年8·9月号より》

スマートシティと人権と政治

参議院選挙が終わりました。いつもの国政選挙より、候補者の街宣車からの音声が非常に少ないと感じました。巷で言われる「マスコミの(選挙報道)無視」の影響もあるのかもしれませんが、もっと大きな要因は、「ネット選挙」がいよいよ顕在化してきたのではないか、ということです。候補者がそれぞれ街宣車に乗り、選挙民一人ひとりに呼びかけるという従来の方法もよりも、SNSによる情報拡散効果の方が大きいと、ほとんどの候補者(或いは政党)は判断したようです。政治的イデオロギーに関係なく「選挙」が「ネット化」したことを証明したのが、「れいわ新選組」だったのではないでしょうか。大手マスコミによるほぼ完全に近い無視の対象となりながら、最終得票率で5%近くを確保したことはそのことを物語っているようです。また「れいわ新選組」がおこなったクラウドファンディングで4億円(現時点)の資金が集まったことも同じ要因でしょう。ところで、台湾の台北市長の柯文哲氏は4年前の台北市長選に無所属として出馬し、台湾の二大政党である民進党と国民党の候補者を破って初当選しました。政党のバックアップを持たない柯文哲氏の当選の原動力となったのが、若い世代を中心としたネットによる選挙活動だったと言われています。その柯文哲氏が積極的に推進しているのが、「スマートシティ」政策です。2018年1月に台北市がドイツの仮想通貨IOTA(アイオタ)基金会と提携し、IOTAの技術をベースとする「智慧城市(スマートシティ)」化を目指していることが報道されました。一方、カナダでは米グーグル姉妹企業のサイドウォーク・ラブズがカナダ・トロントで手がける「スマート・シティー」構想に対して、カナダ自由人権協会が「カナダはグーグルの実験用マウスではない」としてカナダ政府を相手に訴訟を起こしています。カナダの通信機器大手ブラックベリーの元共同最高経営責任者(CEO)であるジム・バルシリー氏は、この事業は「監視資本主義における植民地化実験であり、都市や市民や政治の重要な問題を強引に排除しようとしている」「過去30年間にカナダが立ち上げた見当違いの革新戦略のうち、このスマート・シティーと言われる事業は最もばかげているだけでなく、最も危険をはらんでいる」(BBCジャパン)と述べています。「スマートシティ」政策が積極的に推進されている国は、先進国よりも途上国のほうが多いように見受けられますが、「人権意識」の濃淡が関係しているのでしょうか。「スマートシティ」と「ネット選挙(政治)」の間に、情報技術的なものは別として、直接的な関連は今のところ見受けられませんが、遅かれ早かれその関係性は顕在化してくるものと思われます。果たして、「れいわ現象」とも言われる日本の今回の「ネット選挙」が地方よりも都市部を集中的に対象としたことは日本における「スマートシティ」推進にどのような影響を与えるのか興味があるところです。ところで、どちらかと言えば田舎に住んでいる私にとって今回の選挙の街宣車による音声の少なさは、歓迎するものではありましたが、一方で「無視される田舎(地方)」という感もないわけではありません。「都市型民主主義」という表現が妥当かどうかわかりませんが、「都市化」と「政治(人権)」と「スマートシティ」というキーワードが万民に対して平等にその効果を配分する力になるのかどうか、問われるのではないでしょうか。

「都市は自然である」

 日野啓三という作家が「都市は自然である」と述べています。彼の言い分はこうです。「都市を非人間的だという人がいる。自然にかえれ、と叫ぶ人もいる。だが田園牧歌的自然は、私にはどうもなまなまし過ぎる、というか、閉じこめられた馴れ合いの息苦しさを覚えてしまう。宇宙にまで開かれた気分を覚えるのは、私にとってむしろ都市の中心部だ。岩だらけの山頂、砂漠の中に、それは通じている。都市から廃墟のイメージを通して、いま人類は宇宙の感覚を自分たちの意識にとりこみ始めているように私には思える」(日野啓三:『都市という新しい自然』)

 なるほど、という思いと「なぜ?」という思いがないまぜになったような気がしますが、彼の言うことをもう少し聞いてみると、「本来の自然→農村的自然(田園風景)→都会→都市(鉱物/逆説的に、最初の「本来の自然」に近づく)」(出典々)という一種の循環論のように聞こえます。彼は、「都市」と「都会」の違いも述べていますが、いわゆる郊外(牧歌的田園)も「都会」というジャンルに入れています。彼がこのような考えを示したのは80年代ですから、高度成長から安定成長に移り、都市公害から逃れるように郊外へ都市化が進んだ時代です。しかもこの時代に郊外へ行くことは過密による土地不足もあったのですが、住む側の人間の意識には、「非人間的都市から人間的自然がある郊外へ」という意識も結構強かったと思われます。このような時期にあえて、「都市こそが自然」と説いた日野啓三の思考は彼自身の経歴も含めて、人間存在の奥深いところから出ているように思えます。私も八王子高尾に住んで30年以上になりますが、「都市⇒人工、人間性の喪失・田舎⇒自然、人間的」という二元論で自分の住むところを見ていることは否定できません。しかし、彼(日野)の見方をあえて当てはめてみると、少し理解できそうな気もしてきます。

 人間が自然環境をほめたたえるのはあくまでも人間の勝手な一方的な片思いであり、自然はそのような人間の思いに律儀に応えることなどしません。言葉を変えれば、自然は「非情」であり「反抗的暴力的」です。一方、「自然環境が良い」などと言われる郊外或いは中山間においても人間同士の生々しい事柄が日常的に発生します。「どこへ行っても自分(人間)からは逃れられない」という主旨で自殺したヘミングウェイを思い出しますが、このような議論を超越する老子的思考に移れるのはごくごく一部の仙人的人間だけでしょう。科学技術の進展は、ロボット、IOT(Internet of Thing)など、人間疎外を同時に加速度的に進めている現代において、時折出かける都心の模様は、確かに、荒涼とした無機質の、そういう意味での「宇宙的」な環境とも言えます。日野啓三は自らの問いに具体的には答えていませんが、彼の著作の『夢の島』において、ゴミの集積した廃墟の島に捨てられたモノがその価値と意味を失い、ただただそのままにある状況を見て「迫力」と「荒涼と濃密な実在感」のあることを述べています。21世紀の益々混沌とした状況の中で、「戦争」「環境」「原発」「貧困」「格差」、、、、という人間だから持ってしまう「意味」というものを今一度考えさせられます。

<追記>日野啓三は「環境文学者」の先駆けと言われています。「環境」問題を物理或いは化学などの科学的観点からとらえるのではなく、「人間存在」という根源から捉えることから始まったのが「環境文学」ですが、その思考する対象と範囲は結構深いものがあるようです。一種のディープエコロジー(対語:シャローエコロジー)とも言えます。

 

<DAIGOエコロジー村通信6・7月号>

脱原発と脱温暖化と太陽光発電

FIT制度が今年度(2019年)で10年を迎え終了するという。そもそも「10年間」という制約があったため突然の出来事ではない。太陽光発電を含む再生可能エネルギーへの関心が高まったのは、もちろん2011年の東日本震災による福島原発の崩壊がその大きな要因であった。震災以前にも、「地球温暖化」というマターが再生可能エネルギー導入の動機づけとしてあったが、原発を基本エネルギーとしているわが国においては、エネルギーの継子扱いでしかなかった。しかし、原発崩壊を目の当たりにした我々は自らの生存の危機を本能的に感じ取り、救いを再生可能エネルギーに求めたのは間違いのない事実である。当初の再生可能エネルギー導入の意志はまさに「生存」であったのだが、原発推進派の猛烈且つ欺瞞的技巧的論述により、「生存論」から「経済論」へ変質させられた。その論拠となるのが「原発が温暖化防止に貢献する」だった。「論争」というものは立場を変えればその論拠はその立場に立つものにとっては成立するものであり、特に様々な前提条件の設定が可能なエネルギー経済論争においては絶対的な解は得られない。しかし、「生存論」というものは果たして「経済論」として成立するのだろうか。震災後に国内外で大きなうねりとして起きた「再生可能エネルギー導入」の動機はまさに前述したとおり「生存」であったのだが、今回のFIT終了はそのような再生可能エネルギー導入の基本的な精神をもう一度思い返すきっかけになるのではないか。(低炭素ニュース6月号投稿)

※補筆
私は、「生存」と「経済」を同次元で語ることについては、非常に懐疑的であり、本質を見誤らせる危惧を感じます。

老子的生き方と炭焼

『天長地久。天地所以能長且久者、以其不自生、故能長生。是以聖人、後其身而身先、外其身而身存。非以其無私邪、故能成其私。
(天は長く地は久し、天地の能く長く且つ久しき所以のものは、その自ら生ぜざるをもってなり。故に能く長生す。ここをもって聖人はその身を後にして身を先んじ、その身を外にして身存す。その私無きをもってに非ずや、故に能くその私を成す)』

さて、のっけから漢文の原文で難解な文章を引用しましたが、何言っているのかさっぱり、というのが正直な感想でしょう。

そこで、現代風に訳すと、

「自然(天地)は大きいとか長いとかそのような尺度はない無限の物である。その理由は、自然(天地)が自分自身で自分自身を作ったものではないからだ。だからこそそれは永遠に続いてゆく。このことを知っている人は、自分が、自然(天地)の時間の最後にいながら同時にその先頭におり、また自然(天地)の空間の外側にいながら同時にその中心にいることに気づく。無限の巨大を前にして私の存在は無となるが、しかしそれによって始めて自分が自由な自分になるのだ。」

何とかわかるようですが、やはり何を言いたいのかわかりませんね。

そこで、大胆に私なりに例を挙げて勝手に訳(意訳)しました。

「長生きしたけりゃ何もするな!すべては天地に任せよ!それは無私の心によって成し遂げられる!ちょっと体調が悪いからと、すぐ病院へ行ったり薬を飲んだりしないことだ。天地(自然)が長くその存在を維持しているのは、自らに自らをどうにかしようという意思がないから、自然は永久の存在となっている。人間も「なんとかしよう!」という気持ちを捨て去り、自然にまかせれば、体もまた自然の摂理を取り戻すことができる。」

さて、ここまで訳したら少しは分かるのではないでしょうか。

これは古代中国の老子の言葉です。老子という人は実に不思議な人で、実在したかも判明していませんが、のちの「道教」は老子の教えとして中国全土に広まりましたが、同時代の孔子による儒教思想が当時の権力と強く結びついたことから異端としてその後から近代にいたるまで扱われています。科学技術が発展し、わからないものがないくらいにいろいろな知識が増えてくるごとに、「こうすればもっと良くなる」という考えが益々大手を振ってきますが、老子はその考えを否定し、極端に言うと、「何もするな」と言っている訳です。学問を学び、自然を理解したつもりになり、人類は進歩しているなどと思いながらも、病気や様々な不安はいつの時代も人間から消えません。あることが判明すれば、また新しいわからないことが出てきます。これは無限地獄のように続きます。西洋の哲学者のニーチェも同じようなことを「永劫回帰」という言葉で説明しています。ニーチェ老子は似て非なるところがありますが、根本にある老子の「無」とニーチェの「永劫回帰」に共通する思考は「放っとけ!」「自然に任せろ!」ということではないかと私は解釈します。

実は炭焼きにも似たようなところがあります。焼くまでの準備ではとにかく「いい炭を焼く」為に最大限の努力をしますが、窯の中に入れて火を入れた後からは、人間の直接的な作為はほとんどできません。空気の出し入れという行為はありますが、「炭化する」ことと「いい炭化を目指す」ことには根本的な違いがあります。「炭化する」ことは人間が作為するのではなく、「自然の力によって炭材が変化する」ことです。窯の中を「自然」と考え、炭材を「人間」と考えればどうでしょうか。炭材(人間)だけで炭になる訳ではなく、自然との作用によって炭ができるとすれば、人間も自然との絡みの中で自らを見出すことができるのではないでしょうか。

長谷川康子の自由

今から45年前、2年半ほど半同棲生活をしていた医大生の女子と別れた。巷では 上村一夫の「同棲時代」という劇画が評判で、「神田川」という叙情フォークが流行った頃。戦後民主主義的同棲は、相互に平等に認め合うというなまっちょろい緩やかさを持っていたが、その関係を「芸術」にまで高めることができたものはそれほどいないだろう。翻って、中原中也小林秀雄などが生きた時代。日本はゆっくりとファシズムの軍靴の足音を響かせながらきな臭い時代へと突入を始めたころ、まだ残る大正デモクラシーの自由を憚ることなく、また、自らの感情をまっすぐにぶつけた独りの女優がいた。彼女は、まるで、ある時は女神、ある時は鬼女、そしてある時は子供の妖精のように、 名を聞けば誰でも知っている文学界の大物どもの間を飛び跳ねた。当時の時代感覚からすれば、当然「あばずれ」の評判は免れないが、なぜかそのような噂はほとんど立たなかった。彼女は女優としてはほととんど目立った活躍は行ってないが、その実生活そのものが「映画」として成り立つほどのストーリーを擁している。それはまるで「芸術」そのものである。ちなみに彼女をめぐる文士演劇人とは、中原、小林のほか、大岡昇平吉行淳之介河上徹太郎、永井叔、岡田時彦小山内薫、池谷信三郎、正岡忠三郎、富永太郎柳宗悦今日出海横光利一河原崎長十郎村山知義滝沢修、、、、、とにかく限りがない。もう100年以上前の話ではあるが、こぼれあふれるほどの「自由」を感じる。果たして、現代においてこのような男と女の「自由」な物語が存在し得るのだろうか。確かに、戦後民主主義は様々な「自由」をもたらしたが、どこかで我々は「精神の自由」というものを失ったのではないだろうか。自らの同棲時代を振り返ると、少なくともそこには、長谷川康子の断片にかじりつくほどではあるが、彼女と同じ質の「自由」はあったようには思える。

 

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