異常気象の量子力学的解釈

 今年の夏は世界的にというか主に北半球で猛暑、豪雨の異常気象に見舞われ、ついでに言えばわが国では高震度の地震が連続して起きました。地震はともかくも、異常気象については、気象学という学問領域において、異常気象と人為との関係を分析する「イヴェント・アトリビューション」という分析手法があるそうです。というのは、異常気象を気候変動、いわゆる地球温暖化に直接結び付ける言説はいまや世界中を席巻していますが、あまりにも極端な異常気象の説明を常に求められている気象学者の間では、「異常気象と温暖化を直接結び付けることは不可能」という回答にならざるを得なかったのですが、この分析手法により、「異常気象と気候変動(温暖化)の関連性の可能性の確率」が判明したそうです。分析学者は、この関連性を「喫煙と肺がん」の関係と類似している、と述べています。すなわち、各個人の肺がんが喫煙によるものと断言することは不可能ですが、喫煙とがんの間の関係性を見いだせることと同じだ、という訳です。因果関係では説明できないことを相関関係で示すということですが、いわば状況証拠にその根拠を求める姿は、科学「主義」的見地からみると、「なんだ、そんなことか!」と言わざるを得ないかもしれません。しかし、視点を変えてみると、相関関係とは異常気象という結果の元となる原因が複数あるということでもあり、気候変動に主を置くのではなく、他にも要因が考えられる、ということも言える訳です。
 ところで、人間の歴史を振り返ると、異常気象に代表される天変地異と人間社会における人間の所為との関係については、洋の東西を問わず特に宗教的見地から様々な言説がなされてきました。わが国では、日蓮立正安国論における天変地異論が特に有名です。立正安国論では、天変地異の原因について、世の乱れ、人治の乱れがその素であることを仏教の経典解釈から述べているのですが、近代の科学的根拠からすればまさに一蹴される論ではあるけれども、どこかそれを否定できない心情=意識があるように思えます。というのは、量子力学の世界では、この「意識」というものを「物質(エネルギー)」として扱えるのではないか、という仮説のもとに様々な現象を検証していますが、米「タイム」誌の「世界で最も影響力がある100人(2014年度)」にも選ばれた、再生医療の専門家ロバート・ランザ博士によると、彼は「物質ではなく生命と意識こそ現実理解のための基礎的な要素である」と断言、「意識は肉体的な死とは別物である上、脳が意識を生み出しているわけではない」という見解を述べています。
 さて、このように「意識」というものが「物質」とは全く「別物」のエネルギーであるとすれば、先ほど述べた、異常気象と人間の所為という間にも何らかの関係性が成り立つのではないか、ということも言えそうな気がします。言葉を変えると、量子力学という世界の中に、「科学と宗教」を結びつける新たな概念が存在するともいえるでしょう。話が、いわゆる「トンデモ」の方向へ行っていると思われそうですが、或いはSFマニアチックなお遊び解釈と指摘を受けるかもしれませんが、昨今の人間社会の様々な不条理を見せつけられている身からすれば、救いをそのようなことに求めているのかもしれません。ちなみに、まじめに(笑)「天変地異と人間」を研究しているユニットが京都大学にあります。その名も「宇宙ユニット」というのですが、研究会名もズバリ「天変地異と人間」です。ユニットの趣旨は「科学と宗教を介した人間と宇宙(天変地異)の関係を考えよう」というものだそうです。(下記参照)

 

天変地異と人間(第2回)

 

<低炭素ニュース9月号投稿>