「炭」という漢字と「灰」という漢字の違い

先日、八王子の小学校の「炭焼体験教室」を行いましたが、窯出し(出炭)で
何とほとんど炭が残っていずに、かろうじて形をとどめた”灰”寸前の”炭”が、ド ラム缶窯の底に横たわっている、という惨状でした!授業の冒頭に、炭の効能や 歴史、用途などを得意満面で講義・指導した身としては、非常に辛く(笑)恥ずか しい結果となりましたが、児童へ「炭」という漢字と「灰」という漢字の違いを 例に出して、「炭から山を取ると灰になるんだよ!」などとしたり顔で話したこ とを思い出すと、ひとりでに赤面する思いです。
 そういうことがあったからという訳ではありませんが、何故「炭(すみ)」は 「炭」と書くのだろうと、ふと考えて調べてみました。漢字・漢和辞典を調べて みると、
『会意文字です(屵+火)。「山」の象形と「削り取られた崖」の象形と「燃えた 炎」の象形から、崖から掘り出した「石炭(すみ)」を意味する「炭」という漢字 が成り立ちました。』
と記述されていました。それで、次に「灰」という漢字の由来について再度調べ ると、
『会意兼形声文字です(ナ(又)+火)。「右手」の象形(「手・右手」の意味)と 「燃え立つ炎」の象形(「火」の意味)から、手で拾う事ができる冷たい火「は い」を意味する「灰」という漢字が成り立ちました。』
と記述されていました。
 なるほど、ととりあえず納得したのですが、私としては、子ども達に説明した 「炭から山を取ると灰になる」という漢字の違いをそのまま、現実の形状(個体 の「炭」と紛体の「灰」)の違いに重ね合わせて説明したかった(したい)の で、なにかこじつけでも良いからすんなりと説明できないものか、と思い、再再 度漢和辞典で「山」の語源を調べようと思いました。すなわち、「炭」- 「山」=「灰」という簡易な数式的理解(合理的理解?)手法を”開発・発見”し たかった訳です。それで「山」の語源を調べるとこれは本当に”山ほど(32種 類)”その意味はありました。ここには全て書けませんが、「高く盛り上がった 状態」という当たり前の意味から「たくさん寄り集まっている事」「物事の頂 点・重要な部分」、そして中には「神が住む神聖な場所」という意味もあるよう です。
 さて、先ほどの数式的合理的理解に近い、「炭と灰」の漢字の違いの説明をど のようにするか、いろいろ考え悩みましたが、以下のような説明を考えました。
「炭はもともと人間の魂が宿る大地の土に根を持つ植物から、宇宙最大のエネル ギーである火を通して出来ます。そして炭を燃やすことにより人間は神が住む大 地のエネルギーを熱として頂き、その熱は人間を温め癒してくれます。大地の魂 (神)が去ったあとの贈り物が灰です。灰はまた土に戻りその土を豊かな土壌に してくれます。そして人間はまた豊かな大地から育った食物から生命の源を得る のです。」
 全然、数式的合理性どころか、情緒・感性のみの説明になりましたが、果たし て小学校の児童たちは何得してくれるでしょうか!だれか漢字の得意な方の助言 やアドバイスがあれば是非お知恵を頂きたいと思うところです。

【無機由来石油の存在とトランプ政権】

トランプ政権のティラーソン国務長官がなぜ指名されたか!については、対ロシア政策として様々な憶測が飛んでいるが、化石燃料枯渇説即ち「オイルピーク論」を覆す地球深度由来の石油である無機由来石油の存在があるという話には説得力があるように思える。石油は従来有機由来、即ち化石燃料と言う理解が一般的だが、もっと地球地底奥深い所(200k以上)に、無機の炭化水素が存在していることは科学的には1950年代から論じられていたようだ。この説によると、現在石油は出ないとされている地域からも石油採掘が可能だという。もしこの説が正しい或いは事実として認められれば、資源を巡るこれまでの議論が根底から覆されることになる。地球温暖化の議論の発端も「石油枯渇による資源不足」から始まった。この無機由来石油については、スターリン時代からソ連において深い研究がなされていたらしい。現在のロシア・プーチンがこの科学的成果を保持していることは当然考えられることだ。ティラーソンのエクソンシェブロン、シェル、BPと言う四大石油資本が、これまでの代替エネルギー論から、再度石油エネルギー主流論を構築しようとしていることは、これらを前提とすればこれまた当然考えられることだ。トランプのパリ協定離脱、対ロシアに対する友好的連携がなぜ進められるかの一つの根拠として考えることが出来る。これらの動きの背後にキッシンジャーがいることは明明白白の事実となっているが、彼の有名な言葉『 石油を支配する者は、諸国を支配する。食糧を支配する者は、人口を支配する。マネーを支配する者は全世界を支配する』を彼はいままた夢見ているのだろうか。これらが正しいとすれば、トランプの大統領就任後の矢継ぎ早の政策執行と彼の自信満々の政権運営スタイルもうなずけるものがある。

http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200...

『大菩薩峠』と八王子

今年は、DAIGOエコロジー村のある八王子が市制100周年を迎え、いろいろな催しが企画されています。東京オリンピックを見据えたスポーツクライミングのワールドカップも東京都では初と言うことでエコロジー村近くの総合体育館で5月に開催されるようです。知名度は全国区であるものの中味を問われるとなかなか的確なイメージを描写できない八王子ですが、目線をちょっと変えてみると意外な話題も提供してくれそうです。ご存じ中里介山の『大菩薩峠』。その36巻「新月の巻」に八王子の炭焼について記した部分があります。とりあえず介山が書いたそのままをちょっと記しましょう。
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「八王子在の炭焼はまた格別な風流でござる」
「炭焼?」
「阿呆いわずときなはれ、江戸で炭が焼けますかい」
安直兄いがたしなめると、ダニの丈次が、
「でも、八王子から出てきた炭焼だが、釜出しのいいのを安くするから買っておくんなせえと門付振売りに来たのを、わっしゃ新宿の通りでよく見受けしやしたぜ」
「ではやっぱり、江戸でも炭を焼くんだね」
「炭焼き江戸っ子!」
「道理で色が黒い!」
      ・・・・・・・・・・<略>・・・・・・
「君たち、まだ若い、そもそも武州八王子というところは、なめさんも先刻言われた通り、新刀の名人繁慶もいたし、東洲斎写楽も八王子っ子だという説があるし、また君たちにはちょっと買いきれまいが、二代目高尾と言う吉原きってのおいらんも出たし、それから君たち、いまだに車人形というものを見たことはあるめえがの------そもそも・・・・」
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とその後、八王子にまつわる人物名が、鬼小島靖堂・鎌倉権五郎影政・尾崎咢堂・塩野適斉・桑原騰庵・近藤三助・落合直文など、私も知らぬ名前が結構出て来ます。圧巻は徳富蘆花を芋虫呼ばわりしている個所です。
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「君たち、八王子八王子と安く言うが、そもそも八王子という名前の出所来歴を知るめえな。・・<略>・・そもそも八王子と言う名は法華経から来ているんだぜ。法華経のどこにどう出ているか、君たちいっぺんあれを縦から棒読みにしてみな、すぐわかることだあな。ところがものを知らねえ奴は仕方のねえもんで、近ごろ徳富蘆花という男が、芋虫のたわごとという本を書いたんだ、その本の中に、ご丁寧に八王子を八王寺、八王寺と書いている。大和の国には王寺と言うところはあるが、八王子が八王寺じゃものにならねえ、蘆花と言う男が、法華経一つ満足によんでいねえということが、これでわかる・・・・」
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介山が八王子の炭(案下炭)をこのような形で”評価”してくれたことは素直に嬉しいですね。東洲斎写楽八王子説も写楽自身が謎に富んだ人物でもあり、信憑性はともかくも話として面白いです。また花魁高尾太夫は十一代までいたようですが、二代目は仙台高尾といい、陸奥仙台藩主伊達綱宗の身請け話を「他に好きな男(間夫)がいるから」と袖にしたために惨殺された、という話があります。小説『大菩薩峠』は未完の長編で、登場人物の彷徨いをモチーフにしているという指摘もありますが、八王子と言う町は今昔、流浪の民或いは漂白民が彷徨った町ではないか、と言う気がします。こう言う私も自称彷徨人ですが、彷徨人であるプライドを捨てることなく住むことが出来る町が八王子の目に見えない魅力なのではないか、と最近よく考えます。人間の業を30年にかけて描こうとした中里介山ですが、まだ読了に及んでいない彼の『大菩薩峠』を今年は一年かけて読んでみたいと思います。

トランプ大統領就任演説考

トランプ就任演説はリアルタイムに、NHKの同時中継番組、同時通訳を聞いたが、通訳者のレベルの問題なのか、或いは事前のバイアス統制があったのか、なかなか要領を得ない浅薄な通訳だった。その後、各方面から就任演説全文が書き下ろされたが、それを読むと、今回のトランプ大統領就任の歴史的な意義を感じざるを得ない。ドナルド・トランプという人物自体の評価は、残念ながら彼に対する知識、或いは彼自身の手腕というものをまだ実際に見たことが無い為、想像するしかないが、彼のような人物がこの時点の歴史において登場した、という観点と意味から彼の就任演説を読解すると、やはり大きな歴史の転回というものが見えて来る。また、そこから、トランプという個人評価も逆照射出来うるのではないか、と思う。演説全文から気になる点を箇条書きにして、私なりの評価をしてみた。

★従来の大統領なら誰でも就任する先のワシントンD.C.こそが、彼の権力の拠り所となる象徴であり且つアメリカ支配の頂点であるが、それを国民と対比させ、しかも「権力」の移行を行うことを宣言した。これは米国史上初めてのことではないだろうか。いわば、“クーデター政権”と言っても良いのではないか。

  • 「ワシントンにいる一部の人たちだけが政府から利益や恩恵を受けてきた。」

★一部の者とはEUも含め、いわゆる富を独占するエスタブリッシュメントのことを指すと思われる。「トランプ自身もその一員ではないか!」という反論もあるようだが、表層的な資産だけ見るのではなく、世界経済支配構造の核心領域に位置しているかどうかで判断すべきだろう。少なくともトランプは“外れ”或いは“異端”であるのは間違いないだろう。

  • 「ワシントンは繁栄したが、国民はその富を共有できなかった。」
  • 「権力層は自分たちを守ったが、アメリカ市民を守らなかった。」
  • 「アメリカ全土で苦しんでいる家族への祝福は、ほとんどなかった。」

★これらの発言は、エスタブリッシュメント権力による現実的な弊害として、国民或いは市民、家族という比喩的概念で訴えた発言だが、「あなた方の現実がこんなにも苦しい原因は一部の支配者のお蔭だ!」ということだろう。

  • 「本当に大切なことは政府が国民により統治されることである」
  • 「2017年1月20日は、国民がこの国を治める日として、これからずっと記憶に刻まれる」
  • 「国は国民に奉仕するために存在している」

★この発言を根拠に、青山学院准教授の米山明日香は、某報道番組でケネディ演説と対比させて「大統領就任演説史上最低」「教養がない」と酷評したが、彼女は「国民の国家に対する責任」を強調し、それを米国民主主義の根幹と言っているのだが、トランプの発言は、「政府(ガバメント)は国民(ネイション)が統治するものである」という主旨であり、「国は国民に奉仕するために存在」であるという部分は、日本国憲法15条の国家公務員条項の理念と被るものだろう。ちなみに、米山の言う「国民の国家に対する責任」とは、安倍晋三が目論む改憲の要諦でもある。このような観点からも、このトランプ発言は私は納得できるものである。

  • 「母親と子供は都市部で貧困に苦しみ、工場は錆びき、アメリカ中に墓石のごとく散らばり、教育は高額で、若く輝かしい生徒たちは、知識を習得できていない。犯罪、ギャング、麻薬があまりにも多くの命を奪い、花開くことのない可能性をこの国から奪っている。」

★中間層或いは底辺層の状況をこれほど具体的な表現で現した大統領演説はなかったのではないか。ちなみに名演説のオバマは就任時「家を失い、仕事は減り、商売は行き詰まった。医療費は高過ぎ、学校制度は失敗している。」という抽象的センテンスしか言ってない。人間が崇高な表現に酔うことも事実だが、現実のありのままの表現に共感することも亦事実だ。

  • 「何十年もの間、私たちはアメリカの産業を犠牲にし、外国の産業を豊かにしてきた。」
  • 「他の国々を豊かにしたが、自国の富、力、自信は、地平線のかなたへ消えた。ひとつずつ、工場が閉鎖され、この国を去った。数百万人のアメリカ人労働者が置き去りになることなど考えもしないで、そうした。」
  • 「中間層の富が、その家庭から奪われ、世界中に再分配された」

★これまで「善的行為」という神学的見地からのアメリカの対外政策の間違いを批判した発言として捉えることができる。「アメリカもそのことで利益を十分得ているのではないか!」という反論を考慮したうえで、そのような反論には「ではその利益は一体どこへ行ったのだ?」という再問いかけの答えが「ワシントンにいる一部の人たちだけが政府から利益や恩恵を受けてきた。」であり「ワシントンは繁栄したが、国民はその富を共有できなかった。」だ。

  • 「私たちは今日、ここに集まり、新しい決意を発し、すべての街、すべての外国の首都、すべての政権にそれを響かせる」
  • 「今日、この日から、アメリカ第一のみになる。アメリカ第一だ。」
  • 「貿易、税金、移民、外交についてのすべての決定は、アメリカの労働者と家族の利益のために下される。」
  • 「他国の暴挙から国境を守らなければなりません。彼らは私たちの商品を生産し、私たちの会社を盗み、私たちの仕事を破壊している。」
  • 「保護こそが偉大な繁栄と力に繋がる」

★まさにトランプ就任演説の核心=キモの部分だろう。これまでのエスタブリッッシュメントに支配されていた層への具体的なアピールだ。「保護主義」「モンロー主義」の宣言と見ても良い。演説の最初に「権力の移行」を宣誓し、その後にその対象としての国民の今ある現状を具体的に述べ、そしてここで檄を飛ばす、という三段論法は、なかなか良く練られた演説である事をうかがわせる。「保護は戦争を招く」という一般論となったことを逆転させ、「保護こそ繁栄(を招く)」と述べたことは重要だ。

  • 生活保護を受けている人たちに仕事を与え、アメリカの労働者の手と力で国を再建する」

★原文「worker」だが、アメリカでは「ワーカーとレイバー」を区別するので、トランプの頭の中にいわゆる左翼的言辞としての「労働者階級」の意識はないだろう。しかし、「働くものの力で国を再建する」という表現は、少なくとも戦後、冷戦を経て資本主義が唯一の社会経済システムとなっり、その先導者でもあった米国において、このような転換が起こるとすれば、それはやはり「革命的」と言わざるを得ない。

  • 「私たちは2つの単純なルールに従う。アメリカ製の商品を買い、アメリカ人を雇うことだ。」

★「保護主義」の具体的な表現を分かりやすく説明したものだ。鎖国保護主義は別のものであり、要は経済成長或いは維持の基本的な力点を外に求めるか(外需)、内に求めるか(内需)の違いである。そういう意味では「保護主義のほうが内需を拡大し経済が成長するので、逆に輸入が増える。」(中野剛志:対談集「グローバル恐慌の真相」)という経済的主張もある。「保護主義」が戦争を招いた大きな要因に、「情報(の無さ)」があると思われる。しかし、インターネットと言う歴史的革命的コミュニケーション技術の進展は、単純に「保護=戦争」という観念を破壊するだろう。各国が、少なくとも先進国において内需主導型へ移行し、且つICT技術の駆使により、保護主義の弊害を消去させることは可能に思える。

  • 「すべての国には自国の利益を優先させる権利があることを理解する」

★トランプをヒットラー再来とする主張もあるが、この言辞を読む限り、その心配はないように思える。この言説の後には多分、「だから貴方たちも自分の国のことは自分でやれ」という意味も含まれるのだろう。

  • 「私たちは自分たちの生き方をすべての人に押し付けることはしないが、模範として輝やかせたいと思っている。」

★ここにアメリカのプライドを語っている。

  • 「私たちは古い同盟関係を強化し、新たなものを形づくる」

★ここは、なかなか深読みが出来ない個所だ。わが属国政府はこの言辞に胸をなでおろすかも知れないが、「新たなもの」の意味をどうとらえるのだろうか。

  • イスラム過激派のテロに対し世界を結束させ、地球上から完全に根絶させる。」

★深読みする評論家の中には、「軍産複合体とISは裏でつながっており、それをCIAが手助けしていることに対するトランプ側からの宣戦布告」(国際政治評論家:田中宇氏)と見る向きもある。私はそこまではわからないが、ロシア・プーチンとの関係が今後どのように進展するかをみれば、それなりに見えて来るだろう。

  • 「私たちの政治の基盤は、アメリカ合衆国への完全な忠誠心だ。」
  • 「私たちは隠さずに思っていることを語り、相違について討論するが、いつも団結を求めなければならない。」
  • 「国家は努力してこそ存続する。口ばかりで行動が伴わない政治家をこれ以上受け入れることはできない。」
  • 「意味のないお喋りは終わりを迎える時だ。今、行動の時が来ている。それはできない、と言うのはやめよう。どんな課題も、心を開き、戦い、アメリカの精神を持てば、乗り越えられる。」

★とにかく選挙中から「行動」を訴えてきたトランプだが、演説の締めくくりでこれまでのエスタブリッシュメント支配を再度批判し、自らの政権の基本的在り方を「行動」と位置付けており、トランプの本気度が伺えるところだ。

  • 「私たちは、新しい時代の誕生に立ち会っている。」

★トランプ自身が歴史認識上でこのような発言をしたかどうかはわからないが、これまでの言辞から見て、素直に納得せざるを得ない個所だろう。

  • 「黒い肌、褐色の肌、白い肌、誰であろうと、同じ愛国心の赤い血が流れている。」
  • 「私たちは同じ輝かしい自由を享受している。」
  • 「子供がデトロイトの都市部で生まれようと、ネブラスカの風の吹く平原で生まれようと、同じ夜空を見上げ、同じ夢を心に抱き、同じ全知全能の創造主によって生命の息吹が吹き込まれる。」
  • 「皆さんは再び無視されることは決してない。皆さんの声、希望、夢が、アメリカの歩む道を決める」

★最後は、融和と団結という従来の就任演説に見られる言辞が続いたが、ここでも「再び無視されることは決してない」という檄と決意が述べられる。トランプ支持派は感極まり、涙も出るところだろう。

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さて、長々と、独自の勝手なトランプ就任演説分析を行って来たが、演説後の彼の素早い行動とその内容から見ても、世界は本当に大きく変わるだろうと思える。先日の報道ステーションで三浦瑠璃はトランプをマーケッターという観点から「もしかしたらアメリカ一人勝ちもあり得る」と言ったが、しかし、その一人勝ちがどこまで継続するか、単なる瞬間的状況に終わるのか、それはわからないがあながちあり得ないことではないと思える。

いずれにせよ、「今後どうなるのだろうか」と言う予測屋的立場からは何も生まれないということだ。「これからはこうする」というまさに主体的態度をコアとする、言い換えればトランプの言う「意味のないお喋りは終わりを迎える時だ。今、行動の時が来ている。」ということだろう。

※演説全文参考:ハフィンポスト日本版『 トランプ大統領就任演説「今日、この日から、アメリカ第一のみ」』より

『世間虚仮・唯仏是真』

2017年の世界はトランプ新大統領就任で益々不透明な状況へと突入するようです。誰もが先に不安・不信を感じながら目の前の可視化できるものだけを信じ(ようとす)る。しかし可視化されたものの実体も果たしてあるのかどうかわからない。ただ、イメージだけが先行し、目の前にある実体とおぼしきものを無理やりイメージと合体させる。。。。
トランプにまつわる報道やそれに伴う現象を見ていると、誰もが「虚仮(こけ)にされている」という言葉がぴったりのような気がします。
 「虚仮」は仏教用語ですが、「実体のないもの」「ウソ」「空しい」などの意味があります。ヤクザが派手な格好をして派手な車で乗り付け脅すことを「虚仮脅し」と言いますが、脅される側は、服装や車から勝手にイメージを作りあげ、そこにヤクザは言葉巧みに人間の心理を突いてくる訳です。ヤクザに限らず政治家にもそのような人種は結構いるようですが。。。
テーマの『世間虚仮・唯仏是真(せけんこけ・ゆいぶつぜしん)』とは、聖徳太子の言葉です。直訳すれば、「世間の人の心は嘘ばかりで 真実は無い。ただ、仏の教えのみが真実である」という意味ですが、トランプ現象に対して、「メディアが・・・・」「でも現実は・・・・」「だって常識で考えれば・・・・」などと自我中心的に解釈し、右往左往する様が「世間虚仮」です。「株価」「為替」に自らの生活を重ね合わせて判断することも「世間虚仮」でしょう。そう考えると我々の過ごす時間は殆ど、この「虚仮」というものにまとわりつかれているようです。
 さて、新しい年『酉年』は変化が起きる年と言われていますが、私たち一人一人にも大きな変化の波が来そうです。できれば、「虚仮」ではなく「是真」と言える変化を遂げたいと思うものです。

2017年正月自然別荘滞在記

 今回で3度目の南伊豆某所にある洞窟(以後”自然別荘”と称す)で三が日を過ごした。今までの中で一番暖かで穏やかな日和に恵まれた。宿主の縄文人、三森師匠は前日大晦日の日に先に投宿開始。私は一日遅れて元旦の早朝六時高尾を出発、現地に正午きっかりに到着する。まずは寝床の確保が最初の作業だ。岩石ごろごろの所ではあるが私のテント張場は決まっている。別荘の入口付近に張るのは、寝床から見る満点の星空とはるか太平洋から登る朝日の鑑賞にうってつけだからだが、夜間はどうしても冷えるので夜中の生理現象に備える意味もある。宿主は元旦早朝から別荘近くの磯場で釣り三昧の時間を過ごしているとみえ、午後5時過ぎて辺りも暗くなるまでもまだ帰着していない。やっと6時過ぎに師匠が帰荘。獲物はメジナとカワハギ。早速たき火を囲んで二人で宴会を始めるも師匠は風邪気味とかで早々と就寝に及び、一人残された私は持参したウイスキー片手に別荘からのオリオン座とその直下に赤青に点滅するシリウスを眺めながら、一年振りの別荘での新年の夜をゆっくりと堪能する。

 さて翌朝二日。初日の出ではないが、海上から厳かに昇る太陽を期待しながら、暗いうち午前五時に起床。焚き火の傍らで朝食の焼き餅を焼いていると、三森師匠もやおら起き上がる。聞くと、シュラフを忘れたとのことで、風邪気味と言うこともうなづける。縄文人の師匠とは言え、真冬の別荘でシュラフ無しで過ごすことはさすがにきついのではないかと思いきや、師匠いわく。「もう体が慣れて来たから大丈夫!」とのこと。やはり縄文人の評価は正しいようだ。翻って私は、つとにやらなくなった結構高価な登山用具一式を持ち込み、まさに道具に頼る現代人。今年も改めて師匠からは縄文的生き方を学ばせてもらった。実は別荘に来る目的の一つにこの「縄文的生き方」を少しでも体得しようという動機もあるのである。そうこうしているうちにいよいよ朝日が昇る瞬間が訪れる。別荘奥から眺める太陽は、別荘の淵が切り取る空間のちょうど真ん中から昇って行く。その太陽に照らされ別荘の中も徐々に赤く染まって行く。この別荘の状況から見てこのような状態(洞窟)になったのは伊豆東部火山群の爆発か富士山爆発の影響によるものと思われるが、少なくとも500年から1000年、否もっと前の縄文時代に遡ることも出来るかもしれない、、、、などと想像してみるが、古の人もこの別荘からの神々しい昇陽を眺めたのではなかろうか。そう思うと、今この瞬間に古人と時間を超えて一体となったような気になる。

 二日目の別荘生活はこのように荘厳な心境から始まったのだが、一転して師匠と私は、釣行の準備をし、別荘近くにある通称“竜宮城”と地元の人が詠んでいる磯場へ出かける。実は縄文人たる三森師匠だが、サングラスにちょっと高価そうな竿、ワークマンで買ったというジャンパー。その釣行スタイルはまさに今風アングラーではないか!「縄文式釣はやらないのか?」という私の質問に答えて、「そんなんで釣れるわけはない!」と合理的且つ科学的(と思われる)返事が軽く返される。なるほど!現代において縄文式スタイルを貫くためには必要に応じて“現実主義”を取り入れることも必要なのだ、と私は勝手に解釈、これまた新しい教えとして納得する(笑)。さて釣行の結果だが、私は持参した渓流用ののべ竿に単純な浮き仕掛けにもかかわらず、メジナとフグを釣り上げることが出来た。これで今夜のおかずはとりあえずゲットした訳だ。この日は、私は午前中で磯場を離れる。ちなみにこの磯場は満潮時には渡れないのだが、干潮時には隣接するサンドスキー場の客たちも気軽に渡れるので、この日も結構な人たちでにぎわっていた。さて重要な作業を行わないといけない。別荘で何と言っても重要な物資は水である。持参した2Lペットボトルに集落の神社の御手水舎から頂く。もちろんその前にお賽銭を上げるのが常識だ。ついでに集落民宿の酒屋へ寄り、夜の宴会用に缶ビールを2本購入。ここの店主は80過ぎのおばあちゃんだが、口達者でいろいろ話をする。この日購入したビールには値段がついていたのだが、つまみに買ったおせんべには値段がついてなかった。おばあちゃんは困ったようすだったが、私が「200円くらいじゃないの?」と言うと「じゃ200円にしとくか」とあっさり値段が決まってしまった。どうみても100円くらいにしか見えなかったのだが、まぁ、適当にやるのが田舎暮らしの共同的生活思想なのだろう、という妙な納得で店を後にした。

 ところで、磯場を午前中で離れたのは、実は我々の自然別荘に隣接するところに某高級リゾート別荘地もあるのだが、この中にあるリゾートホテルの日帰り温泉に入浴するためだ。温泉無しの伊豆行は画竜点睛。これまでの過去2度の別荘行で心残りだったことが今年は実現できそうだ、ということで心は逸っていたのだ。この時は、そもそもの別荘行目的の「縄文人的生き方」など忘れたかのように、俗人となり果てていた。入浴料700円(タオル無し)は結構安い。泉質も単純アルカリで、近くに源泉がある。カウンター女史から、「本日ホテルは満室ですので日帰り入浴の方は1時間だけです」というちょっと嫌味な説明も気にかからず、さっそく小ぶりな、しかし、しっかりしたヒノキ湯に入る。もちろんかけ流しだ。昨夜の自然別荘の寝床は、地面からの冷気が高価なシュラフを突き抜けて肩と腰、背中を攻撃して来たのだが、温泉はこれをゆっくりと癒してくれた。そして、浴室からの眺めは真正面に海に浮かぶ利島がくっきり見える。まさに、至極である。「俗人もイイものだ」と転向した考えを持ちそうになる。しかし、まさにその瞬間。高級ホテルの入浴室窓に切り取られた空間からの眺望と我が自然別荘の淵が切り取る空間からの眺望が頭と心のなかで対比される。片方は身体は気持ちが良いが心の深淵を覗けない。もう片方は身体は厳しさにさらされるが心の深淵を覗くことができそうだ。この矛盾の解決をどこ求めようか、という疑問が湧いてくる。このような「ああでもない、こうでもない」という複雑怪奇な矛盾満載の問答を私は結構楽しむものだが、観念に自らをぶち込む生き方を否定しない私に対し、三森師匠の自然別荘生活における温泉考は単純明快である。「温泉に入ると疲れるから(自然別荘での生活には)必要ない」と一言。そうなのだ。至極の湯に入ったあと自然別荘に戻った私は、夜の宴会の準備どころか、義務としての“薪探し”もつらいほどにまったく身体が弛緩してしまった。師匠がシュラフ無しの生活に体をなじませるのとは反対に、まさに体がもとめる甘えにさらされた私は「風邪引き一歩手前」状態になる。これが、「う~ん、生きるとは実に奥が深いなぁ」と納得できた二日目の出来事だった。

 この夜は、毎年元旦にこの自然別荘を訪れる三森師匠の友人、伊東市在住の彫刻家の長野氏が夕刻に到着合流し、体調回復した師匠と私の3名での宴会となる。長野氏もなかなかユニークな方だ。彼が作る彫刻は芸術的と言うより実際的なものらしいが、氏自身はまた三森師匠とは違う現代的芸術思考があるようだ。自然別荘での話題は非常に豊富で、話が多岐に渡るのが面白い。都会生活における情報機器やその他の媒介物を通した話ではなく、自然素のままの話が心の世界に響くような感覚に捉われる。別荘の淵が切り取る空間に広がる星空と夜間飛行の飛行機の点滅が醸し出す情景は、現代に生きる人間の根源的意味を静かに教えてくれそうな気がする。昼間の温泉入浴のリバウンドも、冬の気候に対する人間自身がもつ存在の証としての抵抗力の熱源を徐々に回復させてきたようだ。もちろん、もう一つの人生の友である酒の力を少し借りてはいるが、、、。こうして二日目の夜も過ぎて行った。

 最終日の三日目の朝。この日は意外とあわただしい。夕方5時をめどに八王子に帰り着くためには、別荘を遅くとも9時前に出なければならない。三森師匠、長野氏と3名で朝日が昇るのを見届けた後は、師匠と長野氏は釣行の準備、私は撤収の準備を開始する。テントを片付け、シュラフをたたみ、昨日師匠が釣った鯛を生きたまま袋詰めにしてお土産として持ち帰る。その前に宿主への一宿一飯の義理として、最重要作業の一つである薪材の調達をする。岩場を登り、ウバメガシやナラが生い茂る森の中に入り、倒木や枯れ木を優先的に集め、最悪のこぎりで間伐を行う。これは自然別荘での掟でもある。すなわち、「なるべく自然の状態を保つ」「人為的痕跡を残さない」ということだ。したがって、別荘の焚火で持参したゴミを焼くことはもってのほかだ。これは「環境を守る」と言う現代的高尚な態度と言うことではなく、あくまでも別荘に仮住まいする漂白民としての基本的“防衛術”なのだ。この掟は重要必須だ。私も3度目の別荘行でその意義を認めることが出来た。午前8時半に少々センチメンタルな気分に捉われながらも別荘を撤収する。ここから下田駅へ向かうバス停まではおよそ1時間の徒歩行だ。昨日まで過ごしたわずか二日間とは言え、濃い時間を思い返しながらの徒歩行は心地よい。途中で、サーファーで賑わう浜辺で小休止する。バス停で出会った老婆は去年も同じところでひなたぼっこしていた。「こんにちは。去年もお会いしましたね」と言うと、「ああそうだったかね」と答えてくれた。バスを待つ30分ほどの間に、老婆の昔話を聞く。バス停前にある小学校は母校だそうだ。途中で浅草へ出たこともあったが人生のほとんどをこの地で暮らしたという。

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「平和」である。後で聞いた情報だったが、元旦にトルコでテロがあったという。世界は広い。また世界は絶えず動いている。「人は何のために生きるのか!」多くの人が、民族が、国家が、その答えを様々に持ち出してくる。小さな個人的なミニトリップ、というより短くも“ジャーニー”と言った方が適切に思える今年の三が日だった。

2017年年頭に思うこと

あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願い申し上げます。
震災以前から毎年のように「激変の年」などという言辞が年始を賑わしている今世紀ですが、今年は「変化」の表象が抽象から具象、言辞から行為、他人事から自分事へと、まさに「激変」を自らが自らの問題として捉えるべき年となると思えます。そのもっとも顕著な出来事の一つがD.トランプ次期米国大統領就任であることは日本国のみならず世界中の共通でしょう。トランプ就任を巡って右往左往している世界の状況は、やはり米国が世界を動かす唯一のエンジンとなっていることを示すものですが、彼が得意のツイッターでわずか数行つぶやいただけでTOYOTAの株が200円も暴落したという事実は象徴的な出来事のように思えます。就任前までにこの手法を使えば、彼は個人的に短期間に巨万の富を所有できるでしょう。また大統領としてのアメリカの利益確保も、ややこしい外交交渉取引を介在させることなくできることも証明しています。「そういう手法が長続きする訳がない」という反論はありますが、彼の役割は“維持”ではなく“破壊”です。対象が破壊されれば次の対象を狙うだけです。
昨年のニューズウィーク誌8月号に、元CIA諜報員のグレン:カール氏は「古代の賢人が警告してから2400年後、そして近代初の民主共和制の国アメリカが誕生してから240年後の今、賢者の警告を裏付けるようにトランプは出現し、アメリカの政治制度を破壊しようとしている」と記しました。彼の言う、“賢者の警告”とは古代ギリシアの哲学者プラトンの『ゴルギアス』に出てくるカリクレスの「すぐれた者は劣った者よりも、また、有能な者は無能な者よりも、多くを持つことこそが正しい」「正義とはつねにそのようにして強者が弱者を支配し、強者は弱者よりも多く持つという仕方で判定されてきた」という故事を指していると思われますが、「トランプがそうする」、と言う前に世界は既にそのような状況にあったのであり、トランプがそのことを顕在化させたということではないでしょうか。富の一極集中、格差貧困の拡大は先進国、新興国問わず国と言う枠内でも顕著に起きていることです。私から言えば、トランプもオバマも同じであり、これまで隠れてやっていたことをもう隠すことが出来なくなった。民主主義と言う隠れ蓑の化けの皮がはがれて来た。グレン・カール氏が言うようにトランプの破壊はまさに民主主義の破壊であり、逆に言えば、民主主義がその限界を呈した、とも言えるでしょう。いやもっと正確に言う必要があります。我我が「民主主義」と考えているものが破壊される、と言うべきかもしれません。「民主主義」は歴史的に見れば確固として固定された概念ではなく変遷しています。先述のプラトンは民主制に懐疑をもっており、「万事に関して知恵があると思う、万人のうぬぼれや法の無視が、わたしたちの上に生じ、それと歩調を合わせて、万人の身勝手な自由が生まれてきた。思うに、思い上がりのために、自分よりすぐれた人物の意見をおそれないということ、まさにこのことこそ、悪徳ともいうべき無恥であり、それは、あまりにも思い上がった身勝手な自由から生じてきている」(プラトン『法律』)と述べています。古代と現代の違いを超えて共通するように思えます。
さて、止めどもない記述になってしまいましたが、冒頭の「激変」に立ち戻れば、我々は誰一人として変化の大波から逃れる術は無く、我々を守るものと考えられたもの、例えば「国」「法律」「制度」はその根拠を失うことでしょう。この変化に立ち向かうには、万人共通の手段或いは武器などなく、我々一人一人自身が受け止め、立ち向かい、そして闘うしかありません。外部注入的価値観を一度破壊し、内面創発的価値観を打ち立てる時期に来ています。厳しいようですが、しかし、もともと人間の存在の根源的姿勢とはそのようなものではないでしょうか。トランプ登場という現象の裏側にあるもの、或いはその底流を流れるもの、そこに意識を傾ければ、これからの時代に対する御し方もまた少しづつ見えて来るように思えます。
≪低炭素ニュース&レポート2017年1月号より≫