明治維新150年に思うこと①

今年は明治維新150年である。1年かけて継続できるかどうかわからないが、自分なりの維新観とその総括を行いたいと思う。今回はその第1回めだ。

“維新”の実態とは未だにわからず仕舞いでここまで来たわが日本である。私は鹿児島生まれで、幼少時からの薩摩教育から明治維新以降の日本を“薩摩史観”で見てきた。しかるに、150年を経た今、「歴史に学ぶ」と言う姿勢に異論はないだろう。であれば、敢えて近代合理主義的弁証法で歴史を振り返ることも問題はないだろう。簡単な話が、人生65年の間、無意識の世界で脈々と流れている“薩摩史観”をまずは否定した上でアウフヘーベするという手法を取ることにした。

 “維新”以降の日本の「国体」を決定づけたのはいわゆる薩長同盟による談合支配である。しかるにその実態は、薩長同盟と言いながら、ほとんど長州による支配が文字通り今まで続いているのである。薩摩は西郷隆盛西南戦争で“維新”のエネルギーをほとんど費やしてしまった。長州から見れば、「うまくやった」という心境だったのではないか。しかし、ことはそう単純ではない。長州と結託した大久保利通という人物がいる。鹿児島(薩摩)においては、大久保は未だに「裏切り者」である。だがしかし、大久保の深謀遠慮を薩摩の人間は今一度見ないといけない。なぜ大久保が紀尾井坂で暗殺されたのか。首謀者は石川県士族の島田一郎ら6名により惨殺されたということになっているが、その石川士族をけしかけたのは長州にほかならない、と私は思う。単に征韓論の仲たがいが原因のように触れ回るのは、長州の謀略である。残念ながら、確かに鹿児島(薩摩)においても、西郷と大久保の関係をこのような表象的な見方でみていることは、鹿児島人のなんとも情けないことである。人間死ぬ時は、自ら命を絶つか、或いは自ら以外で命を絶つか、の二通りしかない。自ら命を絶つことはそうでない輩と比べるとほんのわずかなものだろう。「生きることに執着する」ということは、言葉を変えれば「たとえ友を裏切ろうと自分だけが生きていれば良い」という思考だ。しかし、いくら「生」に執着しようと生物である限り、その命は有限なものだ。その有限性に執着してさえ、他人から命を奪われるということがある。「暗殺(テロ)」がそれだ。私は暗殺された歴史上の人物を全て肯定する立場だ。自ら命を絶つことと、「暗殺」は殆ど同義語と言ってよい。西郷は自ら命を絶ち、そして大久保は暗殺された。“維新”の立役者の両名がいなくなった後は、まさに長州の天下である。どうでもよい伊藤博文などがさも大人物のように振る舞えるのも、西郷・大久保がいなくなったからではないか!その後の明治政府の行く末は、第二次大戦(太平洋戦争)での敗北に至るまで、すべて長州の恣意的政治が成せる業だ。今の安倍晋三を見れば一瞭然ではないか!繰り返しになるが、薩摩は西南戦争で革命精神を全て失ってしまった。革命精神を失ったあと、西郷・大久保に付き従った、大山巌東郷平八郎黒田清隆五代友厚、村橋久也(サッポロビール創始者)、森有礼牧野伸顕(大久保次男)、西郷従道(西郷弟)、、、、、、とにかく数え上げればきりがないが、これらの輩は革命精神を失った連中である。ちなみにあの品の無い麻生太郎牧野伸顕の長女(雪子・吉田茂の妻)の孫(大久保のひ孫)である。太平洋戦争(大東亜戦争)での敗北も長州(陸軍)がヘゲモニーを握ったからであることは明白だ。(薩摩は「海軍」を握った)

 ここまでは、一方的に長州を攻めたが、安倍晋三のいい加減さをみるからこそ、長州を非難する訳であり、“維新”そのものを成し遂げた功績は素直に評価しないといけないだろう。私が思うに、“維新”はすべて偶然の賜物であったと思う。薩長とも、目指したものは「公武合体」であり、やはり武家社会の継続をねらっていたのである。しかし、いわゆる世界帝国主義列強による外圧は、その目標とした「公武合体」を飛び越え、あっと言う間に「脱亜入欧」というイデオロギーに変換してしまった。言葉を変えれば「狂気の沙汰」なのである。ブレーキが利かなくなった長州は、吉田松陰高杉晋作と言う狂気を生んだ。長州の狂気はある意味革命的である。それに比して。薩摩に足りないものはまさに「狂気」だ。西郷も大久保も「狂気」とは縁遠い。だがしかし、そもそも西郷・大久保を輩出した薩摩(鹿児島)は、個人的には狂気は見えずとも、集団的狂気はあるように思える。個人的狂気(長州)に対する集団的狂気(薩摩)だ。今の日本は安倍晋三という個人的狂気が跋扈している。個人的狂気もそこに発展性があれば、それは大きな渦となり、世界を社会を状況を根本的に変え得る力となるが、安倍晋三の狂気はまさに発展性のない狂気にすぎない。広い日本であるが、今の世界が陥っている混沌(カオス)を打ち破るには「狂気」が必要だ。D.トランプも「狂気」を持った人間だ。但し、安倍晋三と同じ発展性のない個人的狂気か、或いは世界を変え得る「狂気」となるか、見ものである。

 さて、話をもとに戻そう。私が言いたいのは、西郷・大久保が意識的にせよ、無意識にせよ、二人の間にある「あうん」というものを今一度見直せ、ということである。それは、先述した「自ら死ぬ者」と「他から殺される者」の暗黙の了解に基づく意志一致を自らのものとし、自らが「自ら命をたつものなのか」或いは「他から殺されるものなのか」の見極めをやることだ。民主主義とは便利なものである。自らを安全な場において、何をしゃべろうが口舌の輩であろうが許される。否、どころか評価される。己の存在を賭けるという厳しさ、だがしかし、そこにこそ「狂気」とそして人間存在の「真理」がある。今一度、世界に目を向ければ、狂気にまみれた人間ばかりであるが、金正恩の狂気とトランプの狂気、安倍晋三の狂気を敢えて比すと、発展性(革命的)のある狂気は金正恩であろう。狂気とは理屈ではない。狂気比べを行った場合、そこに時代の歴史の突破者を感じるとすれば、金正恩に勝るものはいないだろう。だが残念ながら、多くの人間は「自ら命を絶つ」ことも無ければ、「他から殺される」こともほとんどないだろう。

※本論は歴史的事実から、私個人が、維新から現在に至る様々な事象について、勝手気ままに思ったことの叙述であり、議論すべきものではない。ただ、少しでも同意が得られるのであれば、個人的には嬉しいことである。

私の今年のテーマ

2018年新年あけましておめでとうございます。

人間にとって年が変わるとは、物理的には単なる天体の日常的変化の継続の一断面に過ぎませんが、心情的にはかなり段差或いは差異のある“できごと”です。そこには、意識するかしないかに関わらずある種の「存在論」があるような気がします。数年前から「AI」が社会的に認知されるようになりましたが、昨年は囲碁や将棋等における「AI対人間」が、或いは「(AIに)奪われる仕事」なども話題となりました。そういう意味では、一つのテクノロジーという範疇を越えて、「社会基盤的」「人間存在基盤的」な領域にまで流出してきているように思われます。ところで、自らのアンドロイドを創作しながらロボット研究を続ける大阪大学石黒浩教授に私は非常に興味を覚える一人です。彼の研究の動機は、「「人間」と「人間でないもの」の間を考えている」ということですが、彼は言います。「最終的には人間は無機物になる」と。この言葉を聞いた時に私は戦慄と同時に奇妙な納得感も覚えました。しかし、それはまさに一瞬の感覚であり、続いて私の理性・悟性そして心情は、彼の言葉を反芻しながら、それを「否定せねばならない」という強い思いに駆られました。また石黒教授との直接的接点があるのかどうかわかりませんが、数年前に米国の「AI」研究者のレイ・カーツワイルは、2045年をシンギュラリティ(特異点)として「私たちホモサピエンスは形を変える。何か新しいもっと良いものになる。」と言い、現在グーグルで研究を続けています。さて、私たちがテーマとしている「低炭素社会」の概念についてはこれまでもさまざまな議論を行っていますが、「CO2による地球温暖化問題」に集約還元され、モノゴトの本質を見ていないような気もしていました。とはいえ、「では本質とは何か」と問えばそれに対する思考は空回りを続けるのがオチでした。言葉遊びではありませんが、「低炭素社会」とは字義どおりに考えれば「炭素が少ない社会」ということになります。ところで炭素は有機物には欠かせない物質ですが、その炭素をなるべく抑える社会とは、まさに石黒教授が言う「人間は最終的に無機物となる」という主張を肯定しなくてはならない立場となってしまいます。論がかなり飛んでしまいましたが、私の今年のテーマは、繰り返せば「人間は無機物ではない、永久に有機物として存在すべきだ」という主張を行うことであり、その論考を納得できるまで続けていきたいと思っています。言葉を変えれば石黒浩教授を“論破”することであり、彼が言う「「人間」と「人間でないもの」の間」について私のなりの論を構築することです。そしてその延長に、「低炭素社会」について有機物という視点切り口からの概念を打ち立てることです。

ながながととりとめもなくしゃべってしまいましたが、本年もどうぞよろしくお願いします。

 

2018年新春

日本低炭素都市研究協会

理事 川口武文

2018年新春伊豆別荘滞在記

 新年2018年1月1日から3日まで、恒例の伊豆自然別荘にて滞在する。今回は炭焼仲間2名(大平、池上の各氏)も同行し、ちょっと賑やか且つ騒々しい滞在となった。ここに今回の旅日記を記すことにする。

<1月1日>

 例によって、宿主の三森師匠は前日大晦日より現地入り。師匠の目的は”釣り”オンリーなので、餌の購入が必要だからだ。当方は、元旦、高尾を早朝7時前に出発、小田急・JR・伊豆急の鈍行を乗り継ぎ、下田からはローカルバスにて途中下車し、およそ50分程度の徒歩にて午後2時、別荘に到着する。ちなみに、同行の自然別荘初デビューの池上氏とは熱海で午前10時に落ち合う予定だったが小田急町田でばったり遭遇、弥次喜多道中はアナーキズムの話で盛り上がる。私も彼も、“風的生き方”を好む根無し草を自称しているが、その実、愛する(愛される?!否情けのみ!)妻の庇護無くばその未来は全く閉ざされることもまた同じように実感しているのである。

さて別荘到着後、早速、寝床の設置を行い、暖房用の薪拾いを実施する。この作業は別荘にては最重要必須の作業である。極めて危険な崖登りもやらなくてはならないが、猪突猛進タイプの池上氏にはうってつけの作業でもあった。夕方には三森師匠が釣から戻り、ほぼ同時に三森師匠の古くからの友人でもある、伊東市在住の彫刻家の長野氏も到着するも、長野氏がテントポールを忘れたとのことで、代用品として竹を使うことにし、早速竹林へ分け入り竹を調達、何とか幕営設置完了。ちなみに、この長野氏、雰囲気に似合わずというと失礼か、西伊豆にある通称恋人岬にある彫刻オブジェはこの長野氏の作品だそうだ。そうこうしているうちに外界は暗くなり、元旦の宴が始まる。しかし、毎年この宴に必要な餅の持参を三森師匠が失念したとのことで全員かなり落胆する。と、そこで妙案が浮かぶ。実は、時間差で八王子から軽トラで別荘に向かっている大平氏の存在だ。彼は、別荘到着は翌朝のはずだったが、釣り好きのそのはやる心は、居ても立っても居られず、フライング気味に八王子を出発、そろそろ下田へ来るころだ。電話を入れてみる。案の定ちょうど下田に入ったとのことで、別荘近くのファミマからサトウの切り餅を6個とビールを調達することおよそ30分後、「近くまで来た」と連絡が入る。ちなみに、軽トラの駐車場から別荘までは結構な距離を歩かねばならない。しかも、その間は街灯無しの磯場と山道だ。かなりの危険が伴うが、誰かが、同じく別荘初デビューの大平氏を迎えに行かねばならない。持参のウイスキーでほろ酔いの私がその役を引き受けることになり、往復40分かけて今回の訪問者の最後となる大平氏も到着。宴が再開される。宴会では、三森師匠が本日の釣果を披露する。獲物は「サヨリ」だ。サヨリは竹魚とも書くが、実は高級魚として扱われている魚でもある。このサヨリが入れ食い状態という三森師匠の話に、釣自慢の長野氏と大平氏が早速反応。釣キチ同士の話は明朝の釣行への期待へと膨らんでいく。一方、どちらかといえば、釣が目的ではない私と池上氏は、彼らの話は半分にもっぱら食らう方へ意識は集中、焼いたサヨリを美味しく頂く。実は、この日は海で言えば大潮、天上は満月のスーパームーンだ。5年ほど通っている別荘だが、いつもは満点の星空が今夜は月明かりに照らされての「月夜の晩」だ。潮騒と満月という音と映像のコントラストは、2018年の元旦を飾るにふさわしい夜となった。午後9時に明日への期待を夢に全員就寝する。

<1月2日>

 2日目は、初日の出ではないが、新春にふさわしい荘厳な日の出のご来光を拝むことから朝が始まる。ちょうど別荘の真ん中より海上から昇る朝日に心は厳粛となる。釣行優先の大平氏はまだ暗い中の午前5時に既に釣り場へ出かけたようだ。釣竿の無い池上氏は長野氏からお借りした釣竿を片手に私と共に、三森師匠と今日の釣り場でもある竜宮洞へと移動する。毎年のことだが、釣りの前にこの漁村にある食料品店「大野屋酒店」で食糧を調達することが習わしだ。大野屋には結構口達者な90近いおばあちゃんが店番をしているのだが、「今年は野菜が高い」という話でひととき盛り上がる。およそ2000円近い買い物は、大野屋にとってどれほどの経済的貢献をしているのかわからないが、大都市で繰り広げられる狂騒的な商売を考えれば、やはりこの国は「おかしな」方向へ動いていることに気づかされるのである。そういう意味では大野屋のおばあちゃんの陽気さは何故か救いとなる気がする。さてさて、そうしているうちに早朝釣行の大平氏と合流して、今日の釣り場へと向かう。釣り場は竜宮洞と呼ばれる磯場の突端だ。潮は徐々に干潮へと向かっているのだが、やはり外海の波は大きくて荒い。何度か、潮をもろにかぶりながらも、三森師匠、大平釣キチを先頭に、私と池上氏も竿と糸を垂れるや否や、釣りが初めてと言うある意味化石人的池上氏に最初のあたりが来る。まさにビギナーズラックと言うべきか、昨夜の話題の「サヨリ」が今日もかなり回遊しているようだ。各言う私も持参した一本竿にサヨリが連続して上って行く。何であれ、やはり釣りの面白味は「釣れること」というのはやはり素人なのか、釣キチ2名にとってはサヨリよりも大物狙いが目的の様で、サヨリに喜ぶ私と池上氏に優しいほほえみを掛けながらも、彼らの目はわずかの嫉妬を感じながらも大きな目的へ向かって爛々と輝いているのだった。午前中で釣りを終えた私と池上氏は釣り場を撤収して、別荘へと向かうことにするが、ここで池上氏にアクシデントが発生。古傷のひざ痛がかなりの痛さで出て来たのだ。突進型で我慢強い彼が音を上げるほどだからその痛みは想像できる。何とか、我慢の歩行を続け別荘へたどり着いた時には池上氏の顔は痛みで歪んでいた。場所が場所だけにどうにもならずとにかく安静を保つようにする。実は池上氏、今回の旅にはテントを持参せずシュラフだけで寝ているのだ。別荘の中は青天井ではないが、夜はかなり冷える。彼の痛みが夜の冷たさに耐えられるのか、私は不安だったが、縄文人三森師匠からは、「痛い時は動け!」というアドバイスなのか叱責なのか熱い言葉を掛けられ、池上氏は昨夜と同様に調理番を命ぜられたのである。まさに非情、非道の別荘生活2日目となった。話は前後したが、釣キチ2名のその後の釣果は結構すさまじいものだったようだ。何と大平名人(ここからは名人と呼ぶ)がカンパチを2匹釣り上げたのだ。1匹は波にさらわれ失ってしまったのだが、連続して2匹目があがり、その場で解体、刺身を土産に別荘に帰還したのは午後6時過ぎ。2日目の宴会が始まる。幸いなことに池上氏のひざ痛も少々緩和してきたようだ。この夜の主役は何と言っても大平名人だろう。かなり上機嫌な彼は、そのうち得意の落語と浪曲(講談)を披露してくれる。題名は良く分からなかったが、「おみつと伝吉」とかいう話と「遠州森の石松」の2話を、昨夜に続く満月の月の下で達者に語る。聞くところによると中学時代に落語クラブに入っていたとのこと。現在は一級建築士の資格を持つ彼だが、もしかしたら道を誤ったのか、と思わざるを得ないほど彼の話はうまかったように思う。そうこうしながら、2日目は少々遅く夜10時に就寝となる。閑話休題だが、別荘の夜は全体としては空気は暖かいものの、地面からの冷気はやはり只者ではない。テントの上に新聞紙、保温シートを敷いてのシュラフだが、岩場のガレキを通しての冷気対策が必要だ。

<1月3日>

 3日目。いよいよ別荘お別れの日だ。ひざ痛の池上氏は大事を取って、大平氏運転の軽トラに便乗して帰宅することに決定。その大平氏。昨夜の釣果の興奮そのままに最終日の3日目も午前5時に釣行へと出かけていったのだが、9時には別荘へ帰還する。9時半には帰宅組3名の撤収作業は完了、宿主の三森師匠を残して別荘を後にする。軽トラの荷台に私も便乗し、途中まで送ってもらう。別荘からの撤収、そして伊豆急下田駅までの帰途の道中も実は私にとって楽しみの一つなのである。別荘往還の往路は、これからの3日間の非日常への期待が膨らむ彼岸への道でもあるが、復路はかなりリフレッシュした精神状態であり、足取りも肉体の疲れに反して軽い。バス停までの道のりの中に、湿地を歩く遊歩道があるが、それは彼岸から此岸への道である。仏教の禅の教えに、「此岸(しがん)」と「彼岸(ひがん)」の“往還”という教えがあると聞くが、果たしてそのような心境なのだろうか。バス停には毎年のようにバス停前が自宅である老婆が今年も日向ぼっこをしていた。彼女とのバスを待つ間の短い時間の会話も取り留めもない話なのだが、人間の根っこのある何かを感じさせるものである。

<最後に>

 さて、このような空間と時間を経験する切っ掛けを作ってくれた三森師匠には感謝しかないが、これまで単独行で過ごしていた師匠の別荘に、彼の心境も顧みず押しかけていった私の行動は果たして許されるのであろうか、という疑問と反省も実はある。三森師匠も釣りが目的とはいえ、合理精神優先の現代において精神性と豊かな心情の持ち主である師匠も、またある意味「此岸」と「彼岸」の“往還”を行っているのかもしれない。その彼にとってのある意味神聖な空間とも言える別荘の共有の方法は果たしてあるのだろうか。それが今年の別荘滞在の私にとっての大きな課題だ。

ところで、最後に残念なことを記述しなければならない。今回の別荘行を別の意味で象徴する衝撃的なことが起きたのだった。帰路の電車中で古くからの友人の奥方から電話があった。友人とは大晦日と元旦にメールでやり取りしたばかりである。奥方から告げられた言葉は「今朝主人が亡くなりました!」という衝撃的な連絡である。車中であり、詳細なことは聞けないままに、連絡を受けた伊豆急の中で、告げられた事実を頭と心で反芻する。しかし、何故かそれは穏やかなものだった。友人は透析治療を受けながら腎不全と闘っていたのだが、余命を告げられるほどではなかったにせよ、ある種の覚悟は以前からあったように思える。奥方の誕生日でもあるその日に潔よく旅立ったのだ。ここでもまた「此岸」と「彼岸」という意味を考える。

 

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私も65歳を過ぎた。人生にはいろいろな壁があると言うが、昨年は自分のケガ、身近な者の死と立て続けに起きたのだが、正月早々の友人の死はまだこの壁が続いていることの証左かも知れない。「生きること」についての思考を日常的に継続するようになったのは、やはり2011年3.11が切っ掛けだった。あれから7年近い歳月の中で、その思考は自己中心から他者との関係、そしてさらにその奥にあるものへと、ステージを変えている。伊豆の自然別荘の空間にはある種の聖なる力のようなものがあることを感じるようになったのは、そのような思考のステージの変化とも関係があるのかもしれない。

二重取りの森林環境税の導入

現政府の増税施策の一環としての国税による「森林環境税」の導入が実現しそうです。導入予定は消費税増税の予定時期(平成31年)との競合を避けて平成32年度(※天皇交代により元号は変わる)をにらんでいるようです。政府が今頃になって急に「森林環境税」などと言いだしたことには何か「企み」があるのでは、という穿った見方もあります。また「森林環境税」については、実は地方税において既に導入されており、その数は実に37府県に上ります。そうなると地方税国税から主旨の似たような税が二重に課税されるという問題が指摘されています。国税の方は、市町村住民税への上乗せ方式で徴収した分を市町村へ交付配分するものです。行政論理からすれば、現在実施されている森林環境税は「府県レベル」であり、今回国が導入するものは「市町村レベル」という違いがあり、実際に地域森林を有する市町村にとっては、国が代行して税を徴収してくれるという「有りがたい税制度」と言うことになります。住民からすれば、この二重取りの問題とともに、例えば森林面積ゼロ地域からも税の徴収は行われる訳で、その不公平感をぬぐうのはそれほど簡単ではないでしょう。国は「森林環境税創設」導入に向けての目的と背景として「森林公益機能」「地球温暖化」「国土保全」「地方創生」など非常にアバウト且つ抽象概念で捉えています。一応、目的税ですので特定財源となりますが、上記のような抽象概念で捉えると、「林業土木工事」もその範疇に入り、大手ゼネコンや建設機械メーカーなどの新たな市場形成ということも可能です。一方、今回の「森林環境税」導入の背景の一つに「未来投資戦略2017」における「攻めの農林水産業の展開」があります。そこでは「林業の成長産業化」が謳われています。具体的には、施業集約化のICT技術の活用、木材のジャストインタイム供給、、CLT(直交集成板)の量産化、「地域内エコシステム」としての木質バイオマスの熱利用、セルロースナノファイバー研究開発などですが、今回の「森林環境税」がこのような、新しい森林産業の育成に使用されるのであれば、それなりの意味は持つものでしょう。現代日本の政治が「格差・貧困」など現実の直接的な課題に対しては全く機能せず、抽象的な言説を基とする観念政治に堕している状況で、大手企業の不正や特権階級によるやりたい放題が跋扈する中での、今回の「森林環境税」導入が、その本来の目的を果たし得るのかどうか、を見極めなければならないでしょう。最後に「森林環境税導入問題」を補足すれば、実は平成3年に和歌山県本宮町から始まった「森林交付税構想」というものがあります。これは新たな税の創設ではなく、現在実施されている地方交付税制度を活用するものです。具体的には、非常に画期的発想ですが、「地方交付金の人口配分に森林面積配分も付加する」というものです。そうなると都市部より広大な森林面積を持つ市町村は、それでなくても人口減少による交付金減額を、逆に森林面積に応じた配分により、市町村による主体的な森林管理を実現できることになります。残念ながらこの構想はその後潰えてしまいましたが、今回の「森林環境税」導入に代わるものとして新たな再評価を行っても良いような気がします。

<暴露と狂気と革命>

事務次官に次いで強姦被害者が相次いで政権側に対して「暴露行為」を行った。「暴露」とは動物的行為でありそこには何らかの「快感」が存在することから、「理性」或いは「道徳」の側からは暴露行為を批判する根拠としている。しかし、この両者の暴露は他人を暴露するのではなく「自己暴露」であり、「秩序」から見れば「狂気」と思われるものだ。なぜ、社会的地位を持つものがそれを捨ててさえ「自己暴露行為」を行うのか。単なる「正義感」だけではないだろう。「復讐心」もあろう。人間はそれほど高貴な存在ではない。社会とは、「正気」と「狂気」が絶えず入り混じりながら存在するものであり、「正気」も「狂気」も絶対的価値ではない。「暴露」と「情報公開」の間には本質的な差異は無い。あるのは、個人の論理と組織の論理の違いだけだ。しかし、その落差は天と地ほどの差がある。「革命」とは「秩序の破壊」である。「秩序」とは組織の論理以外の何物でもない。組織の論理に対して組織で対抗するのが「政治」だとすれば、個人の論理で「秩序」に刃向う行為とは一体何か。それこそ「革命」の本質と言えないだろうか。すなわち、「正気」と思われているものに対する「狂気」の側からの闘いとして「自己暴露」がある。集団となれば「狂気」は「正気」となる。安倍の狂気が正気として堂々とまかり通っていることがその証左だ。安倍の集団的狂気に対して個人の「正気」での抵抗は無駄だ。個人の「狂気」と言われる「自己暴露」がアチコチから出始めることが「革命」へとつながる発火点となるのではないか。

「成熟」していない子・安倍晋三、「崩壊」していない母・安倍洋子

江藤淳の『成熟と喪失』は戦後世代作家の作品に焦点を当てた文学長編評論だが、江藤にはある意味珍しく、私が思うに、素直な社会評論ともなっている。彼は、この中で、米国人と日本人の男を比較して、「母子家系」の日本、「父子家系」の米国と言う切り分けで、「母の崩壊(喪失)」を媒介として、日本男児の未成熟さを問うている。簡略に言えば、「母離れ」こそが近代における男の価値としての「成熟」の条件である、ということだ。さてそういう観点から安倍晋三という男を見てみると、まさに江藤が言う「成熟」にほど遠い安倍晋三の姿が浮かび上がってくる。彼がトランプにすり寄る姿も、そういう意味ではいつまでも母親の乳房から離れられない「坊や」として見れば納得できる。安倍昭恵はそのような晋三に早くから「成熟した男」の無さに気付いたのだろう。とりあえずは、長くなるが安倍洋子の話を下記に引用する。彼女の言葉に対する評論は今回はしない。なお、本テーマは継続して思考していきたい。

・・・・・・・・・・・・・・・・<以下引用>・・・・・・・・・・・・・・・・・

「文藝春秋」文藝春秋)2016年6月号 安倍晋三首相の実母、洋子氏の独占インタビュー 「 「父、夫、息子を語り尽くした 晋三は「宿命の子」です」より抜粋>

・「晋三が自宅にいるときは、朝食はいつもわたくしのところで、昭恵さん(総理夫人)と一緒に青汁とヨーグルトと果物をいただいてから出かけてゆきます」

・「昔からお肉、特に鶏肉が好きでしたが、公邸に泊まるときはどうしても食事がお肉に偏りがちなようなので、自宅にいるときはなるべく野菜を炊いたりして、栄養バランスの良い家庭料理を出すようにしております」

・(晋三氏と昭恵氏が飼っている愛犬・ロイについて)「もともとは昭恵さんがよそからもらってきたワンちゃんなのですが、昭恵さんも活発にあちこち飛び回っていて、年中留守にしておりますから、ほとんど三階に来ています」「たまに昭恵さんが早い時間に帰ってくると、「今日は久しぶりに二階に行ったらどう?」と連れて行くのですが、三十分もしないうちに戻ってきてしまって」

・(現在の公邸ではなく私邸住まいについて)「本人にとっては良いのかもしれません」

・「前回の政権では公邸に泊まることがほとんどでしたが、あそこはお化けが出るとよくいいますでしょう(笑)。いまは建て替えられておりますが、五・一五事件二・二六事件の現場となった旧公邸では、亡くなった方もいらっしゃいますから、いろいろな怨念がこもった場所でもありますしね」

・「晋三が政治家になって、主人と似ていると感じるのは、一度言い出したらなかなか周りの言うことを聞かない、頑固なところです。それから、表面上は強く厳しいことを言っていても、裏では人のことを気遣うというのも、主人と似ていますね。晋三があるとき、古くからの支援者の方と衝突してしまったのですが、それでも何年か経つと、「あの人、あれからどうしてるかな。今度食事にでも誘おうかな」なんて言い出すのです」

・「昨年、晋三が安保法制の成立に一生懸命に取り組んでおりました。晋三も自らテレビに出ていろいろと説明をしておりましたが、安保法制の意味あいをまだ理解していない方たちが聞くのだから、もっと分かりやすい言い方をしなければならないのではないか、などと思いながら見ておりました」

・「大げさに聞こえるかもしれませんが、当時の父は本当に命がけで安保に取り組んでおりました。国民からあれほど反対されても、「国家のためにやっていることなのだから、後世の人々には絶対に理解してもらえる」としばしば申しておりました。わたくしからしてみれば、国家のためにやっていることなのに、どうして理解してもらえないのかと思っておりました」

・夫・晋太郎氏が落選したときは、「なかなか選挙にならなかったので、当時総理だった佐藤の叔父に、「なんで早く解散してくれないの」と申したこともございました」

・(1987年の総裁選にて夫が竹下登に破れたときのことについて)「わたくしは思わず「これはいったいどういうことになっているの」と口走ったものです」

・「時代はここまで移り変わっているのですから、いまの時代に合った憲法を作るべきなのではないでしょうか」

・「五十五年の歳月を経て、父と同じように国家のために命を懸けようとする晋三の姿を見ていると、宿命のようなものを感じずにはおれませんでした」

・「母親として晋三にしてあげられることはそうはありません。ただ主人の仏前には、晋三の健康のことと「晋三が、この国の歩む道を誤らせませんように」ということを、祈るばかりです」

 

 

気分とは?

 「気分が良い」とか「気分を害した」とか、私たちは日常的にこの「気分」というものに左右される生活を送っています。身体及び精神に関する医療科学が目を見張る進展を遂げた現在においても「気分とは何か」という問いの“正解”は出ていません。しかし、私たちの行動を基本的に左右するものはやはり「気分」というものでしょう。大会社の社長、或いは大統領、国王、大学教授、、、、と言えども人間である以上、この「気分」というものから逃れることは出来ません。確かにこの「気分」に従って行動すれば世の中の秩序は乱れるでしょうから、そこを人間は「理性」というものでコントロールしている訳ですが、コントロールしている対象はあくまでも「行動(アウトプット)」の方であり、その原因となっている「気分(インプット)」がコントロールされている訳ではありません。毎日が「気分が良い」状態を想像してみてください。もしこの「気分」というものを完全に人間が制御出来るようになれば何と“幸福”なことでしょう。
 この「気分」というものが学問研究の対象となったのはそれほど古くありません。古代ギリシアにおいてはこの「気分」も精神全般の範疇のなかでしか捉えられていません。このような「気分」を本格的に論じたのはドイツの哲学者ハイデッガーですが、彼は「人間活動の根本、或いは人間存在の根本として気分がある。あらゆる感動はある気分からやってきて、その気分のなかに留まっている。」ということを述べています。ハイデガーは哲学的にこの「気分」の解明を行ったのですが、心理学では、気分のことを「弱い感情」という解釈を行っています。ちなみに「強い感情」とは「情動」という恐怖や怒り、喜びなど生理的な興奮を伴い、その持続時間は一般的には短時間となるものです。となると「弱い感情」とは時には意識されることができず、しかし「情動」に比べると長時間続くものです。現代心理学では、この気分を情報処理と言う観点から「気分制御」という概念で捉えようという研究も行われていますが、そもそも「なぜ気分が発生するのか」という問いにはなっていません。これも先ほどの例の「理性」的対症法の域を出ないものでしょう。
 ハイデガーは「気分」は人間の内面と外部との「間(あいだ)」から生じるもので、「思惟や行為という能動的なものに先立って、他者や事物との出会いに制約を与える」ものとしています。ちょっと表現が難解ですが、分かりやすく言えば、「気分が悪い時に人に会うと、その気分をいくらコントロールしようとも人と会った時の雰囲気はちがうものだ」ということでしょうか。確かに、楽しい飲み会やってもだれか気分の悪い人がいると雰囲気は壊れますね。大相撲の横綱暴行問題もその根本に「気分」の問題があったのかもしれません。ここでは詳しく書けませんが、先ほどのハイデガーはこの「気分」には「人間を孤独な存在ではなく共同存在として結びつける力がある」という結論(仮説)を立てています。高度情報化が進み、AIなどというものが出現する現代において、「共同」「共生」ということが益々強く意識されるようになりましたが、人のつながりを現象面や理性、知性というものを越えた「気分」という人間の深い内面から作り出していくことも考えられるのではないでしょうか。ハイデガーの教え子の一人のオットー・ボルノウは「気分という語は音楽的な概念を人間の心のなかへと比喰的に持ち込んだものである」と言っています。音楽は「調子」です。「気分が良い」と「調子が良い」は符牒が合いますね。何かと話題の“ヒーリング”は「癒し」という訳されますが、ヒーリング・ミュージックというものの効果もあながち捨てがたいものかもしれません。
 「気分」とは本来が受動的なものですから、頭から「気分」をコントロールしようとすると益々「気分」は「滅入る」ことになります。「気分」が「晴れやかになる」にはその環境を整えるということが大事な様です。「共生」ということはまさにこの環境を整えることに他ならないのではないでしょうか。