現実と理想と立場、そして言葉と行動

 NHKBS1の「核なき世界へ ことばを探す サーロー節子」を視ました。サーロー節子さんは、先日の国連核兵器禁止条約締結へ向けて、自らの広島における被爆体験を語りながら、活動している一市民です。彼女は、カナダに在住で、カナダ各地の他アメリカなどでの講演を行っていますが、ニューヨークの高校での講演の終わりに、一女子高校生から「日本が他のアジア人を殺したことをどう思うのか」「原爆では10万死んだが、アジア人は日本によって1000万が殺された」という質問を投げかけられます。サーロー節子さんは、実は、その前から「自らの個人的な被爆経験だけを話すことでは、立場の違いを克服できないのではないか」という懐疑心と闘っていました。「どうすれば立場の違いを乗り越えることばを発することが出来るのか」ということを自ら自身に問いかけ続けていました。彼女は、その高校生にこう答えます。「広島・長崎を語るとき大切にしているのは、日本は被害者であり加害者であるという意識です。しかし大切なのは、どちらが悪いかではありません。殺りくそのものが悪なのです。」また、サーロー節子さんは、カナダの軍人出身の外務政務官ともカナダの核兵器禁止条約への参加を求めて面談します。そこでのやり取りで、外務政務官は、「(核兵器は)悲惨な武器ではありますが、軍事バランスの維持には必要だと考えます。今は(核兵器廃絶)は無理です」と答えます。それにサーロー節子さんは、「ではいつになったら(核兵器は)廃絶できるのですか?私たちと同じ人間が溶けて死んでいくなど、考えたくありません。あなたに想像できますか?核兵器はそれを引き起こすのです。」と問いかけ続けます。この時の外務政務官は、会談の最後に「あなたの行っている活動を否定する気はありません。あなたのような方がこのような活動を続けていくことが核廃絶に繋がることでしょう」と話しています。番組での二つの場面でのやり取りでしたが、「核廃絶」という“理想”を世界の“現実”が否定している姿が浮き上がるとともに、“立場”の違いがまた“理想”を否定していく姿もそこに見えて来ます。カナダの政務官は心ならずも自らの二面性(ダブルスタンダード)を吐き、ニューヨークの高校生も立場の違いからの歴史の見方の疑問を素直に出しました。

 さて、世の中は矛盾で満ちています。現実とは矛盾であり、立場の違いもまた矛盾です。もし、このような矛盾をみずからの「立場」から「現実」と言う言葉で遮るなら、矛盾は最後は“破壊”にょってしか解決されないでしょう。人間の歴史を振り返れば、確かに絶えず常に矛盾に見舞われて来ていますが、しかし、「今」と言うこの現実で「人類がまだ生きている」という事実は、見方を変えれば、人間が絶えずこの矛盾を避けることなく矛盾と向き合い、それを克服してきたからこそ、「今」という現実が存在している、と言えます。言葉を変えれば「矛盾こそ人間の進化発展の要因」とも言えます。そしてその矛盾と真正面に向き合う力とは、「変化(チェンジ)」という意識であり意志でしょう。カナダの政務官とのやり取りでの「いつになったらそれ(核廃絶)ができるのか」というサーロー節子さんの問は、「(核廃絶への)意志」を問うている訳です。そして、女子高校生とのやり取りの後にサーロー節子さんは彼女にこう話しかけます。「質問ありがとう。あなたの悲しみはよくわかりますよ。動揺させてしまいましたか。」生徒はこう答えます。「いいえ、あなたは私の質問に答えてくれました。」

サーロー節子さんは彼女が悩んだように、確かに被爆は彼女の個人的出来事ですが、それをどうすれば人類共通の意識と意志に繋げることが出来るのか、という壁の中でもがきながらも、その解決を“ことば”に求めている、ということがこの番組構成の主旨のようです。しかし、私は番組を視ながら、“ことば”として現れるのは表象であり、その“ことば”が生きるも死ぬも、やはり“ことば”を支える意識と意志、そしてそれを体現する行動こそが本質のように思えます。番組最期での国連でのサーロー節子さんの「CHANGE! Across the World」という“ことば“は彼女のそのような意志をまさに伝えていたように思えます。

 

<補論>

 言葉を命とするはずの政治家の言葉が、余りにもお粗末すぎる今の日本の政治状況を見るにつけ、サーロー節子さんの“ことば”の重みを感じます。この核兵器禁止条約議論の前に、核保有国とその恩恵を受けている国の記者会見がありましたが、アメリカのヘイリー国連大使と日本の高見沢軍縮大使の演説の言葉はいくら「現実」を訴えようとも、そこには矛盾を解決するという意志はみられず実に空虚なものでした。世界がいま、北朝鮮を挙げて戦争への道を突き進もうとしていますが、「反戦・平和」への意識と意志に裏付けされた“ことば”による具体的な行動こそが求められていると思われます。

救急搬送記

関わっているNPO活動の一環で行っている炭焼活動作業で怪我をして救急搬送され、丸二週間の入院生活を送りました。怪我は、除草中に自らの刈払い機(エンジン草刈機)で自らの足を切る、という悲惨ながらも無様な自損事故でした。原因はチップソーという丸鋸状の刃の緩みで機械全体が大きく振動、通称”肩掛け”という呼び名もある刈払機は必ず肩紐を装着して作業を行うことが原則ですが、横着にも紐掛けもせず、また振動時にエンジン停止という操作も行わずに”離した”ことで機械がキックバックにより、私めがけて「鋸刃が飛んできた」ことです。私はとっさに体を捻ったのですが、一瞬遅く、刃は私の左大腿部にぐさりと回りながら食い込んできました。その瞬間に傷の深さは認識できました。思わず切れた作業ズボンの中の傷を見ました。それは、今まで直接見たことのない、しかし確かに私自身の肉体を構成している生の“筋肉”でした。色は白かったように思います。現場から多量に出血する患部を押さえながらおよそ50メートルほど駆け下り、仲間に止血の要請を行い、足の付け根をとにかく縛り付け、119番通報。待つことおよそ30分。その間の私の心情は推して知るべし。とにかくショックの後の不思議な冷静さと激しい動揺の繰り返し。さて、救急隊員到着の声に少し気持ちが楽になり、彼らに身を任した時に、「後はすべて天命に従うしかない」と思いました。隊員は沈着冷静に私の傷口を判断。無線での「…収容。傷は・・裂傷・・・長さ20センチ、深さ5センチ・・・」という声が聞こえ、初めて自らの傷の客観的状況を把握し、これで「安心」と思ったのですが、しかし事は思わぬ方向へ展開したのです。いざ、搬出!という段階で、現場の地形(山中山道)では救急隊員持参の担架では危険、と言うことになり、山中専用担架(というのかどうか知りませんが)が必要なため「山岳救助隊を要請します」という救急隊の通知が為されました。後から考えれば、救急隊としては私の止血状態や傷の程度からして「緊急性」の尺度を下げ、より安全な搬送を選択したのですが、「天命に任す」などと思いながらも片方では一刻も早い処置を望んでいる私としてはある意味「寝耳に水」という気持ちで、また”覚悟の揺らぎ”が出て来ました。仲間の「大丈夫だ!」という励ましも、私の気持ちを代弁するような不安がわかるような声でした。その山岳救助隊が到着したのが、やはり30分後。担架は、よくテレビなどで見る山の遭難時に使用される「バスケット担架」というものでした。担架は救急隊員ではなく、山岳救助隊員によって担がれました。現場から道路までは、およそ100メートルほどの細い傾斜地山道を通っていかなければなりません。結局、担架から下され、”念願の”救急車に乗せられたのは、事故からおよそ2時間近く、また搬送先の病院到着時は3時間以上経ってからのことでした。後日談ですが、このように事故発生から病院着まで3時間もかかったとすれば、仮に切り口が動脈や顔面、首などであれば、「出血多量死」ということも充分考えられた様な事故であり、それが大腿部と言う体の中でも一番”肉厚”な部位であったということは「ラッキー」以外の何物でもない、というコメントを搬送先の医者から聞かされました。まさに「九死に一生」と言えるのでしょう。ちなみに私の不注意による事故によりかり出された救急隊員・山岳救助隊員はおよそ20名ほどいたそうです。これらの経済的コストは如何ほどだろうか、等と安静状態のベッド上で考えることが出来たのは、事故直後のあらゆる肉体的精神的動揺がとりあえず消えた手術後のことでした。

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【地方自治の本旨】

都議選が始まる。現知事が政府与党を離党したとか、オリンピックへの国の関与とか、とかく我が国の政府と地方の関係は、戦後の一時期を除き中央集権体制ががっちりと維持されている。そのことを地方自治に携わる政治家、行政役人はおろか、住民さえも「当たり前」のように思っている。水戸黄門を人格者としてあがめるような国民だからその意識は相変わらずの「封建思考」から脱していない。経済発展を遂げ、いかにも先進国のような顔をしているが、昨今の安倍政治の行為とその支持率の関係がそのことを物語っている。

憲法第8章は地方自治について述べているが、その92条は『地方公共団体の組織及び運営に関する事項は、地方自治の本旨に基いて、法律でこれを定める。』となっている。「地方自治の本旨」とは何か。地方自治の本旨とは、その地域における統治は中央政府機関によることなく、その地域の住民自身によって行われることである。すなわち、中央政府に干渉されることなく、地域住民が自由に自らの意思を決定して行われることを「地方自治」と呼ぶのだ。

しかし、翻って、如何ほどの自治体がこの憲法に沿う「地方自治の本旨」に基づいた行為をおこなっているか。「沖縄」「原発」を見るまでもなく、全自治体に網の目のように張られた中央集権の仕組みの構造は広く深い。そもそも「国政が変われば地方も変わる」というお上思考が与野党問わず、保守・革新問わず、あるように思えるが、実はその逆ではないか。「地方を変えることが国政を変えること」に繋がるというのが現代政治の課題のような気がする。自らの足元(地域)を見ることなく、一方的に流される大きなトレンドとしての「グローバル民主主義」を「本旨」と捉えてないだろうか。

『人民の人民による人民のための政治』とは言い換えれば、『住民の住民による住民のための政治』ということである。21世紀をルネサンスに例える多くの言説があるが、そのルネサンスの大きな歴史の転換と変化の時代の端緒を開いたのは、イタリアの地域都市である。彼らが、自らの足元において、現実への懐疑と抵抗がその発端となったのだ。

東京は地域と言うにはあまりにも大きな都市国家のようなものだが、今回都議選を相変わらずの国政代理選挙として見るのではなく、都民が都民自身の問題を都民のために決めていく、という視点から「豊洲」「オリンピック」の陰に隠れている様々な都民の問題を今一度明らかにしてい必要を感じる。もっと言えば、都民を形成するもっと最小単位としての市町村自治(基礎自治体)レベルでの転換・変化こそが、日本国そのものの転換・変化につながるのではないか。身近な事とは空間的に制限されたことをいうのではない。地域において、「憲法9条」或いは「国際政治」「国際経済」を堂々と議論しても構わないのである。

中曽根語録にみる安倍政権とのイデオロギー闘争

先に少し長くなるが、中曽根康弘氏の著書『日本の総理学』(PHP)から引用する。

『  近頃の政治家が目先のいわば臨床的な措置しか語っていないように思えるのは私だけでしょうか。みななりたての新米医者のようなことを言う政治家ばかりで、病理学を熟知した病院長が見当たらないのです。日本社会も同じように臨床的です。深い歴史観や哲学に裏打ちされた、医学で言えば体系の上に立った病理学的見方が欠落し、すべてが表面的、表層的、かつ瞬間タッチ型なのです。日本人の精神を貧困にしている一番の原因がまさにここにあります。私には、国民のみなさんがいま乾燥しているように見えます。人間の「情」、あるいは歴史的な連続性への「憧れ」、さらには喜びや悲しみを大事にするような「心」、そうした潤いが感じられないのです。それはなぜか。私は日本社会が物事を判断する価値基準を失ったことが原因だと思っています。今日、確かに頼るべき価値判断基準はありません。そうだとすれば、日本や世界の歴史を良く学び、歴史の中から「国家はこうあるべきだ」、「社会はこうあるべきだ」、「人間はこうあるべきだ」と言った原理・原則を私たち自身で獲得していく以外方法はないのです。とりわけ一国の指導者は、自ら先達となるべく、勉強し、日本の柱となる思想を体得し、それを国民に示しながら政治を進めていく必要があります。国会での論戦も、まさにこうしたことをテーマに議論すべきなのです。 』(  『日本の総理学』(中曽根康弘)【歴史に耐えうる決断とは】より引用)

  主義主張も180度違い、当然歴史観、国家観も真逆の中曽根氏だが、上記の発言を否定する理由はなにもない。否それどころか、まさにその通りなのである。かれはこの著書の中で、国家とは何かを説き、憲法改正を説き、教育を説いている。私は、今の安倍政権を社会病理学的見地から見た場合、まさに社会というより、政治そのものに”病理”をみたのだが、皮肉にも思想的立場の真逆の中曽根氏も同じように、病理学的見解から政治と社会を見ていたことに少し驚いている。しかし、彼と私が根本的に違うところは、政治家は医者ではなく患者という認識である。国民主権とは国民自身が政治を行うことが基本であり、社会に病巣があるとすればそれを直す医者は国民自身でしかない。政治家とはたんなる代理人に過ぎない。しかし、社会病理的患者である政治家の言葉をいとも簡単に信じることもこれまた病理的と言わざるを得ない。さて、そのような中曽根氏と私の主語が転倒した見解ではあるが、やはり彼が言っていることは正しい。日本の戦後体制の根本的変換、それは戦前回帰の思想ではあったが、ハッキリと政権がその方向を示したのはやはり中曽根康弘氏がその発端であろう。安倍政権は突如突出した極右思想を持ち込んだ訳ではなく、およそ数十年と言う流れの中でイデオロギー醸造・熟成されてきたのであり、安倍政権はその流れにのっかかっただけである。

中曽根氏の言う、「日本や世界の歴史を良く学び、歴史の中から・・・・・・・・・・と言った原理・原則を私たち自身で獲得していく以外方法はない」という言葉を、安倍政権に抵抗を示す国民勢力は重く受け止めなくてはならない。安倍政権に翻弄され、彼らの社会病理的表層だけを抵抗の対象としている限り、彼らが仕掛けたイデオロギー闘争における彼らの勝利は目に見えている。そういう意味からも中曽根氏の言葉を借りれば、「日本社会が物事を判断する価値基準」「日本の柱となる思想」そのものを抵抗勢力側は持たねばならないだろう。「憲法守れ!」はイデオロギーにはならないのである。「森友」或いは「加計」では安倍政権は倒れないし倒せないのである。

※冒頭の中曽根氏の言葉の「政治家」を「国民」に、「国民」を「政治家」に置き換えて読んでみると分かりやすいだろう。

グリーンエネルギー革命と社会変革

安倍政権の極右シフトが言葉狩りにまで影響を及ぼしそうなこの頃です。ところで「革命」という表現は様々な状況で使用される日常語的な表現ですが、意識的に曲解されて、無条件に血生臭いものだと考えたり、甚だしい暴力行為が行われる無秩序な社会状態が出現することだと考える人もかなりいるようで、「革命」という言葉にも、そのうち何らかのバイアスがかかるかもしれません。「日本の政治に革命を!」などと叫ぶだけで「共謀罪」を問われそうな今日の情況です。さて、前置きはこのぐらいにして、2012年に当時の民主党政権が「私たちの手でグリーンエネルギー革命を実現しよう!」というキャッチフレーズで『グリーン政策大綱(骨子)』を唱えました。原発事故の直後ということもあり、政権の責任も踏まえ、そこで挙げられた項目は「原発ゼロ」を目標にかなり、確かに「革命的」な提案となっています。「IT革命」と比較する「グリーンエネルギー革命」の絵柄では、「政府・電力会社」と言う項目で、主役の交代を「消費者」或いは「ベンチャー企業」と位置付けています。しかし、この大綱(骨子)を出した直後の政権交代により、安倍政権はこの『グリーン大綱(骨子)』の真逆の方針(原発容認)を『エネルギー基本計画』として出して来たのはご存じのとおりです。  社会が進展進歩するのは、直線的ではなくかなりいびつな線を描きながら進んでいく訳ですが、「ターニングポイント(T.P)」或いは「エポックメーキング(E.M)」と言われる切っ掛けが必ず存在します。福島原発事故を歴史的観点から見た場合、かなり「T.P」「E.M」的事象であったことは疑いもないでしょう。先の『グリーン政策大綱(骨子)』では、「グリーンエネルギー革命によるイノベーションの連鎖で新たな仕事・会社(※)が生まれ、産業構造が変わっていくこと」と表現しています。単に技術の変更ではなく、文字通り「新しい社会」を目指すことこそが、「革命」ということになるのですが、「低炭素社会」を目指すのであれば、やはり単に技術の変更だけではなく、「社会(構造)の変革」というものを見据えて行わなければ、いつまでも社会というものは変わらないということでしょう。先の民主党政権に「社会変革」という気概まであったかどうかは、現在の民進党を見れば一目瞭然(※「会社」を「社会」と表現しない!)ですが、少なくとも、原発事故直後の政権にはその表れを感じさせる動きはあったように思います。世界の右シフト傾向やきなくさい「戦争」の匂いなどが顕在化してきている現代は、後の世から見れば確かに「T.P」「E.M」だと言われることは間違いないと思われますが、余りにも「現実」を優先させる流れを、たとえユートピア的であろうと「社会変革」を伴う「未来」を見据えた様々な決断・決定の流れに少しでも変えていく努力こそ、「歴史的生き方」と言えるのではないか、と思う次第です。

余命1か月

さてこのような文章を書くことを当初ためらったのであるが、思うところあり書くことにする。

昨日の夜、真の兄弟のように付き合う従兄弟から電話があった。時々会っていることもあり、「また何か用でもできたのだろう」という軽い気持ちで応答した。しばらく無言。そしてその後「、、、あと3か月の命と言われた、、、」という涙声の従兄弟の声を耳にした。唖然、そして絶句である。どう言い返せばよいのかわからずまま、こちらも無言になってしまう。頭の中で、従兄弟の伝える言葉の真実と真意を自問自答する。その間、わずか数秒程度のことだろうが、やっと「どういうことだ」と切り返す。「日曜日に胃がちょっと痛くなり、病院で検査入院したんだ。そして今日その結果を告げられた。すい臓がんで胃まで浸食され、どのような処置ももう効かない段階ということだ」と咽びながら従兄弟は答える。私は、「そんなことないだろう。何かの間違いだろう」と慰めにもならない、勝手な願望の言辞も会話の流れで話したような気もするが、「とにかく明日、病院へ行くよ」と返すのがやっとだった。電話を切った後、頭の中で従兄弟との出会いのさまざまな場面がフラッシュライトのように浮かんでは消え、何とも言えない重苦しい気分に見舞われ、その晩は寝付けぬままに朝を迎えた。「あって何をどういえば良いのか」、朝からその事ばかりが頭を離れない。従兄弟と約束したのは午後5時だ。東京では彼の親族は私しかいないこともあり、「担当医の話を聞いてくれ」と従兄弟が病院側に要請したとのこと。病院へ向かう車中でも、「どういう態度が彼を傷つけないことになるか」「もしもの場合、どのような段取りを(私は)取るべきか」「余命3か月という期間にできること、しなければならなことは何か」ということばかりが頭を巡る。頭の中では、私は「余命3か月」という従兄弟への宣告を私自らへの宣告のように感じながらも、また「(従兄弟は)私に何を要請するのだろうか」という身勝手な不安も同時に湧き起る。また、「死」というものを無理やり冷静に捉えようと、目線は車中の乗客の全てを追いながら「(乗客の)彼らもいつかは死ぬ。誰でも。それは早いか遅いかだけだ。」と必死に考えようとする。そのようなあらゆる感情が入り乱れる状態のまま、病院の前でしばし立ち止まること数分。意を決して意図的に明るい声で、「病室はどこだ」従兄弟に電話する。従兄弟に教えられた病室へ足を運びながらも、彼の顔を見ることに耐えられない気持ちは未だに続いていた。病室で寝ている彼に声を掛ける。思ったより、落ち着いた感じで答える彼に、私の不安は少し消え、何とか普通に振る舞う。談話室で従兄弟と二人きりになり、私は普通に「気分はどうだ」と聞く。従兄弟は「大丈夫だ」と答える。どう切出せばよいか、私は少し逡巡しながらも「医者の見立ては医者の側からの見立てでしかない。彼ら(医者)が我々の生命を完全に司っている訳ではない」などと理屈をいう。彼はそれにうなずくとも心ここに非ず、という感じだ。と、突然彼が泣きだし、私の手を取って、「あとをよろしく頼む」と何度も何度も頭を下げる。私も一緒に泣きそうになったが、従兄弟の負けん気の性格と気質を知っている私は敢えて冷静を装い、「わかった。大丈夫だ」と答える。そのようなやり取りがあった後、担当の主治医の話を聞くことになる。主治医は若い。まだ30代後半ぐらい私の息子の世代だ。従兄弟が(症状説明を)頼んだからだろうか、彼(主治医)は、従兄弟に「昨日と同じことしか話しませんよ」と、言いながら私に、従兄弟のカルテの画像を見せ、CTスキャン画像、MRI画像などに写る諸患部の説明を坦々と行う。そして、「早ければあと1か月しかもたない」と、ハッキリと言う。癌の告知について、このようにストレートに、しかもまるで車の故障を説明するような口調に相当な違和感を覚える。私は、その時何故か急に冷静になり、主治医に対するある種の敵愾心も手伝い、「なるほど、わかりました。先生のおっしゃることに多分間違いはないでしょう。これから先は医療を超えてあと残りの人生をどう生きるか、ということから考えないといけないということですね。ただ、あと1か月と言うのは、個人によってかなり差があるのではありませんか」と、私と従兄弟は普通とはちょっと違う人生を歩んで来ているということも付け加えて、軽く質問を投げる。彼は答えた。「精神力で何とかなるというものではありません。気持ちも行ったり来たりをくり返すでしょう。これから多分痛みが徐々に増して来ます。治療は麻薬しかありません」と。その時、部屋には主治医と私と従兄弟の他に担当の女性看護師の4人がいたが、死刑宣告にも等しい非常にヘビーな会話にも関わらず、本当に坦々と事務的に進んでいく。一瞬、なにか演劇中の人物になったような錯覚にとらわれ、従兄弟に対して「とにかく残された時間内にできることをやろう」と声を掛ける。彼も私と同じように、さも劇中の主人公のようなうなづきをしたように見えたのは、しかし、私が実はそう思いたかった意識下から出た感覚だったかもしれない。主治医との話は20分ほどで終わる。主治医の一貫した助言は身体が動くうちに身辺整理を済ませ、仮に故郷へ帰るのであれば早いほどよい、ということだった。彼はこのような症例に若いながら結構付き合っているのだろう。彼にとっての対患者マニュアルに沿った言動に見える。従兄弟に病室で別れを告げ、帰りの車中は少し気持ちが軽くなっていたのは何故だろうか、と考える。死へ赴くものへの生者としての申し訳なさなのか、或いはアリバイ作りか。

事態はまだ進行中である、、、、、、、。

現代社会の様相

少し政治的な話になります。多分誰もが、今の日本の状況について不安をお持ちでしょう。株価や円相場などの指標がいくら「高景気」を叫ぼうと実感としての「不景気感」は相当なものです。安倍首相は「国粋主義」を唱えながら、片方で米国への従属を世界に先駆けて率先しています。その安倍内閣では、多くの閣僚がその発言や行動が普通であれば辞任当然にも拘らず平然としています。いわゆる「森友学園問題」では、どうみても明らかに不正があるにも関わらず、国会における追求と議論は期待外れに終わっています。一方世界に目を向けると、トランプ大統領出現で「一国主義」に向かうかと思われた米国が、過激に軍事力を突出させ、「すわ戦争か」と脅かしながら、片方で交渉を行うチキンレースを行ています。フランスでは、「いまや右翼も左翼もない。あるのはグローバル対愛国」とルペン氏が述べ、国が真っ二つに分断されています。イギリスでは、「EU離脱」問題が結論が出たにもかかわらず未だにくすぶっています。

 さて、このように今の日本そして世界の状況を見てみると、「矛盾」したことが何故か堂々とまかり通る現象が続いています。このような状況についてさまざまな分析がなされてますが、どれも的を得ているようで、しかし釈然としない説明ばかりです。そしてそのように「わかりにくい」からこそ、「分かりやすい」説明が求められます。既存のマスコミはその「わかりやすさ」を提供する大きな存在です。その様な流れの中に「ヘイトスピーチ」或いは「北朝鮮有事」「憲法改正」などが次々と簡略化された記号の様な形式で説明されていきます。すべてが単純化された関係として、たとえば「政治」と「経済」、たとえば「宗教」と「科学」が、そして「戦争」と「平和」が語られます。その語りを保証する役割が「専門家」です。

 ここまで書いて気付いたことがあります。現代社会は、モノゴトを「自らが考えない」社会になってしまった、ということです。「自らが考えない」ということは、「私」という”主体(サブジェクト)”を”客体(オブジェクト)”化しているということです。グローバル化による社会システムの一元的統一化が、本来なら多様性と差異性に富むべき「個人」をそのようにしているのかもしれません。心理学にシステムⅠ(無意識・本能)、システムⅡ(意識・理性)という考えがありますが、ある心理学者によれば、システムⅡは「問題が簡略化されればされるほど人間は受け入れやすい」、という解釈があります。「理性が単純化されている」という表現なら分かりやすいかもしれません。冒頭にあげたいろいろな例を本来的な「理性」で思考すればもっと矛盾は解決するはずなのに、単純化された「理性」の思考がそれを阻み、結果として益々「矛盾」が深まっていくという不合理な繰り返しが行われている社会が今の社会と言えます。

 しかし、人間はそもそも機械ではなくそのように単純化された存在でもありません。人間が自らの中で本来ある「複雑さ」と外部からの「単純化」せめぎ合っているのでしょう。「不安」の要因はそのようなことから起きて来る現象と言えます。ロボット或いはAI(人工知能)に大きな期待と興味が膨らんでいる姿は、人間自身が益々「単純化」を目指す方向へ向かおうとしているようにも見えます。多分、その行き着く先には「全体主義」がゆっくりと顔を出して来るのでしょう。

 さて、皆さんの「理性」は果たして「単純化」されていませんか!如何ですか? 

<DAIGOエコロジー村通信5月号より>