私の今年のテーマ

2018年新年あけましておめでとうございます。

人間にとって年が変わるとは、物理的には単なる天体の日常的変化の継続の一断面に過ぎませんが、心情的にはかなり段差或いは差異のある“できごと”です。そこには、意識するかしないかに関わらずある種の「存在論」があるような気がします。数年前から「AI」が社会的に認知されるようになりましたが、昨年は囲碁や将棋等における「AI対人間」が、或いは「(AIに)奪われる仕事」なども話題となりました。そういう意味では、一つのテクノロジーという範疇を越えて、「社会基盤的」「人間存在基盤的」な領域にまで流出してきているように思われます。ところで、自らのアンドロイドを創作しながらロボット研究を続ける大阪大学石黒浩教授に私は非常に興味を覚える一人です。彼の研究の動機は、「「人間」と「人間でないもの」の間を考えている」ということですが、彼は言います。「最終的には人間は無機物になる」と。この言葉を聞いた時に私は戦慄と同時に奇妙な納得感も覚えました。しかし、それはまさに一瞬の感覚であり、続いて私の理性・悟性そして心情は、彼の言葉を反芻しながら、それを「否定せねばならない」という強い思いに駆られました。また石黒教授との直接的接点があるのかどうかわかりませんが、数年前に米国の「AI」研究者のレイ・カーツワイルは、2045年をシンギュラリティ(特異点)として「私たちホモサピエンスは形を変える。何か新しいもっと良いものになる。」と言い、現在グーグルで研究を続けています。さて、私たちがテーマとしている「低炭素社会」の概念についてはこれまでもさまざまな議論を行っていますが、「CO2による地球温暖化問題」に集約還元され、モノゴトの本質を見ていないような気もしていました。とはいえ、「では本質とは何か」と問えばそれに対する思考は空回りを続けるのがオチでした。言葉遊びではありませんが、「低炭素社会」とは字義どおりに考えれば「炭素が少ない社会」ということになります。ところで炭素は有機物には欠かせない物質ですが、その炭素をなるべく抑える社会とは、まさに石黒教授が言う「人間は最終的に無機物となる」という主張を肯定しなくてはならない立場となってしまいます。論がかなり飛んでしまいましたが、私の今年のテーマは、繰り返せば「人間は無機物ではない、永久に有機物として存在すべきだ」という主張を行うことであり、その論考を納得できるまで続けていきたいと思っています。言葉を変えれば石黒浩教授を“論破”することであり、彼が言う「「人間」と「人間でないもの」の間」について私のなりの論を構築することです。そしてその延長に、「低炭素社会」について有機物という視点切り口からの概念を打ち立てることです。

ながながととりとめもなくしゃべってしまいましたが、本年もどうぞよろしくお願いします。

 

2018年新春

日本低炭素都市研究協会

理事 川口武文