【私考】革命情勢論からみたトランプ出現

トランプ出現に世界が右往左往し、軍事或いは経済という目の前の事柄に拘泥するかと思えば、片方では平和・民主主義という普遍的価値の一般観念にしがみつく抵抗運動が続いている。直近の世界史的出来事と言えば、75年前の第二次世界大戦、およそ30年前のソ連崩壊が挙げられるが、巷の70年周期説を取れば、第二次大戦後の世界基準としての「資本主義」VS「共産主義」における両者の崩壊が始まったとみることも可能だろう。「いや、いずれはトランプだって人の子、おとなしく現状に合わせるさ」という根拠なき楽観論は徐々に消えつつある中、まさに混沌(カオス)としている状況に世界は陥っている。

 さて、このような状況を私は「面白い」と言えば語弊はあるが、自らの精神或いは意識の内面に湧き起る高揚感を否定できない。一つは、余りにも自らの理解を超える現象が事実として目の前に現れた時に起る「放心」状態として捉えることもできようが、そうでもなさそうだ。いろいろ心中を模索しているうちに、今から50年近い前の心情に近いものであるように思えた。すなわち、「革命前夜」という意識だ。須賀しのぶはドイツ東西の壁崩壊をテーマにした『革命前夜』(文芸春秋)と言う本について「革命前夜の民衆の言葉が勝利をおさめた高揚感を描きたかった」と述懐しているが、彼女の高揚感は敢えて言えば理性的なものだが、私の高揚感はもっと感性的、破壊的なものだ。カントで言う「構成的理念」が須賀の高揚感の要因だとすれば、「統整的理念」が私の高揚感(の要因)と言っても良いだろう。そのような動機から、まさに「革命」としての切り口から今一度トランプ現象を考察してみようと思う。

フランス革命』(岩波文庫:柴田三千雄)によると、革命の発生条件として3つを挙げている。

 ①既存の支配体制の統合力の破綻

 ②大規模な民衆騒擾、都市や農民の民衆蜂起

 ③新しい政治集団になり得るものが存在

また、ロシア革命を指導したレーニンは、「革命的情勢到来の時期指標」として、以下のように述べている。

 「革命的情勢を切り開くには、搾取され圧迫された大衆がこれまでどおりに生活ができないということを意識して変更を要求するというだけでは不十分である。それに、搾取者(支配階級)がその支配をこれまでのような遣り方では支配を維持することができなくなる、という情勢の加味が必要である。即ち、『下層の生活危機』に加えて『上層の何らかの危機、支配階級政治の危機』が重なった時、その二重危機が被圧迫階級の不満と憤激とが突いて出る裂け目を作り出すのである。革命が爆発するには、『下層』が以前のような仕方で生活することを欲しないというだけでは十分ではない。『上層』がこれまでのようにやっていけなくなるということが、また必要なのだ。これに『大衆の独立の歴史的行動』としての革命的昂揚が絶対に必要である。この条件、この行動が結合した時にはじめて革命は勝利することができる。これが革命の法理であり、『革命は、全国民的な(被搾取者も搾取者をもまきこむ)危機なしには起こり得ない』という言葉によって表現される」

 過去のフランス革命ロシア革命と言う世界史的転換における出来事に共通している事項の一つは、「既存支配力の矛盾の露呈」ということだ。今回のトランプ出現を、支配階級における内部対立と捉える見方はあまり表面に出てこないが、一部の見識者の間でははっきりとそのことを論じている。彼らの論では、グローバリズム体制に支配の根拠を持つものとして、「ネオコン軍産複合体)」「NATO体制」或いは「新世界秩序派(NWO)」などが挙げられているが、トランプはそのような支配層に公然と反旗を翻し、新たな「秩序」を構築しようとしているという見方である。『秩序』という抽象的表現では分かりにくいだろうが、「一極覇権主義」VS「多極主義」という見方をすれば少し分かりやすいだろう。これまでの米国による一極統治ではなく、例えばロシア、中国、EUなどに統治を分散させる「多極型」ということであり、経済的観点から見れば、「グローバリズム新自由主義)」VS「ローカリズム保護主義)」ということだ。トランプが「アメリカファースト」という「1国主義」を唱えることもこれで理解できる。面白いことに、昨日(2月7日)のTV報道番組でトランプを支持する白人労働者(トラックドライバー)が「(トランプは)新世界秩序と闘っている」とインタビューにはっきりと答えていたことにはいささか驚愕した。トランプを支持する労働者階級にこのような意識があることの発見は政治的にも重要なことだ。彼らは単に自らの収入が増えること、或いは生活が安定することだけの目的でトランプを支持しているのではなく、もっと根本的な意識に目覚めている。しかし、だからと言って、トランプが労働者の味方かと言えば、そうではないだろう。生粋のビジネスマン、商売人の彼はどっぷりと資本主義に浸かっている人物であり、思考も全く資本主義そのものだ。ソ連崩壊以降、「資本主義こそ人類最後の到達点」と言ったフランシス・フクヤマの論は、残念ながら、このような形で資本主義そのものの矛盾を露呈してしまったのだ。もちろん、反トランプ派の支配層もだまってはいないだろう。現在見受けられるリベラル派も巻き込んだ「反トランプ合唱現象」は、自然発生的作用をうまく利用した意図的なものと私には見受けられる。数年前に起きた国家権力が総力挙げてキャンペーンを張った「小沢一郎」に対する攻撃と似たものを感じる。トランプとオバマを比して、「戦争を起すトランプ」「平和を希求したオバマ」というような失笑に値する言辞を吐く評論家も見受けられるが、このようにトランプへの異常な攻撃は意図的なものであり、これらはまさに支配層における権力闘争として見るべきであろう。このような見方をした時に、はじめて先述のレーニンの言葉が一つの歴史的真実として蘇るのである。すなわち、「搾取者(支配階級)がその支配をこれまでのような遣り方では支配を維持することができなくな」ってきたことであり、しかも、単に「上層」における権力闘争だけでなく、「下層」においても生活危機がますます限界へと突き進み、その「不満と憤激」が社会に「裂け目」を作ったのが、今回のトランプ現象なのである。

さて、トランプ出現への私考の取組はまだまだ緒についたばかりである。この先、トランプが、米国が、日本が、EUが、否世界がどうなるのか、誰にもわからない。しかし、トランプ出現がこれまで隠されていたもの、見えなかったものを露呈してくれたことは、歴史が、私だけでなく、政治家も、アスリートも、ホームレスも、富裕層も、貧困層も、男も女も、ありとあらゆる世界に存在する一人一人に付与した逃れられない“尋問”のような気がする。西洋の宗教ではそれを「黙示」と言い、東洋の宗教では「末法」というのかもしれないが、「新しい未来への陣痛の始まり」と捉えることも可能だ。世界の動きを何もしないで評論家としてみるのも、このようなカオスにおける対処法としては悪くはないだろう。しかし、冒頭に私は「高揚している」と言った。また「面白い」とも言った。それは、トランプ出現を感情の表層的部分、或いは薄っぺらな一般論的普遍価値で捉えるのではなく、「歴史の転換」の場面に居合わせることが出来た偶然或いは必然からまた逃れようとするのではなく、新たな「未来」を創造するという喜びに転換できるのではないか、という期待からくるものだ。そうなると、また再びレーニンの言う、「『大衆の独立の歴史的行動』としての革命的昂揚」を作り上げるにはどうすればよいか、という命題が自らの使命感として湧いてくる気がする。そこには、今の年齢からくるノスタルジアも入っているだろうが、人生の存在理由を少し見失いかけた私にはいままた老い先短い生命が躍動しそうな気がするのである。