縮小社会と地域の自立

京都に「縮小社会研究会」という集まり(フォーラム)があるのを知りました。京都大学の松久寛名誉教授が中心となって定期的(ほぼ毎月)に研究会を開催しています。代表の松久寛教授は『縮小社会への道』という本を編集していますが、その要旨は「我々の選択は、成長の果ての破滅か縮小かの二者択一であり、縮小なくして持続はあり得ない。」(同書:はじめに)と至極明快であり、その中で、「・・・・悲惨な未来を回避するためには、縮小社会に向かって発展するべきであるともいえる。そこで、持続という玉虫色の言葉を避けて、あえて縮小という言葉を使っている。」と述べています。松久教授の専攻は機械理工学であり、観念だけで「縮小」を唱えているのではなく、地球と言う有限な物質から還元される量は一定、或いはエントロピー理論に従えば、その量は逓減化していくものであるということがその論拠となっています。となれば、物質的には消費量を「縮小」していくしかないのは自明の理でもあります。同書ではまたこの縮小を「これは量的な縮小であって、質的な後退ではない」とも述べています。最近の先進国でも「幸福論」についての議論が盛んにおこなわれていますが、「物質より精神」という傾向が強いようです。しかし、この「縮小論」も決して新しい考えではなく、古くは50年前の「宇宙船地球号」(1966年B.フラー、K.Eボールディング)、「成長の限界」(1972年ローマクラブ)、「Small is beautiful」(1973年F.シューマッハ)、、など、或いは最近の「里山資本主義」(2015年藻谷浩介)などもその部類に入るでしょう。この流れから見れば、人類の数少ない部分が「地球資源の有限性、限界性」を認めている訳ですが、しかし現実にはこのような考えはなぜなかなか取り入れられないのか!一つは、「総論賛成各論反対」という理念先行論になりがちな所もあるのでしょう。そのような反省から「縮小社会研究会」では、課題を一つづつ具体的に論じ、また社会システムの在り方としての根本的課題も提起していますが、そこから踏み出す糸口を見つけることが出来ないようです。これは「縮小社会研究会」だけでなく、我々「低炭素研究会」においても共通する課題のようです。これはどこかで無意識に、方策を施す対象を「社会全体」に常においているからではないかと思われます。「縮小社会」或いは「低炭素社会」とは考えてみれば、イメージとしても”小さな社会”であり、現実的には最近の地産地消という表現があるように、まずは小さなコミュニティ(或いはソサイエティ)で自己完結する仕組みを作り上げることが肝要な気がします。つまり、「縮小」するのは物質的量だけでなく仕組(システム)としての国家或いは企業組織等も「縮小」すべきではないか、ということであり、逆に言えば、地域はもっと「自立する意志」を持つべきと言うことです。このような歴史的文脈と言う視点から見れば、スコットランドカタルーニャ、或いは沖縄における独立論の中にも、このような「縮小社会」の”本質”が含まれているのではないか、と考える次第です。

一般社団法人 縮小社会研究会

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