炭焼三昧と仏

例えば炭焼に興じることを「炭焼三昧(すみやきざんまい)」と言ったりしま
す。他にも「読書三昧」「釣三昧」など、とにかくあることに夢中になることを
「~三昧」と言いますが、この「三昧」は「ざんまい」ではなく「さんまい」と
発音する立派な仏教用語です。もともとは、サンスクリット語のSamdhi(サマー
ディ)の音表現(音写)ですが、精神集中が最高潮に達した状態のことを言いま
す。ヨガの瞑想なども同じです。要は雑念が入らずに一点集中していることを指
す言葉が「三昧(さんまい)」です。仏教ではこの状態に達するためには四つの
段階があるとしてこれを「四禅(しぜん)」と言い、第一禅(初禅)~第四禅ま
でありますが、欲望に捉われた人間の世界から”脱落(ぬけおち)”し一切の煩悩から離脱した「不苦不楽」(ふくふらく:苦も無し楽も無し)の状態にまで達することができるとしています。
さて、考えてみれば炭焼の炭が出来るまでの状態とちょっと似ています。炭焼き
の初期(第一段階)では炭材から水分が抜け落ちた「白い煙」、次にセルロース
などの繊維質が抜けた「黄色い煙」、その次がリグニンなど揮発成分が抜けた
「青い煙」、そして最後に炭素だけが残る「無色透明」の”煙(といえるかどう
か)”と言う風に4段階で炭焼煙の状態が変わることは一度でも炭焼きをやった方
ならご存知でしょう。
 炭焼はモノとしての「炭」を作ることが目的ですが、実はその過程にこのような深い意味がもしあるとすればこのような炭焼を楽しんでる時間(炭焼三昧)、煙の色が刻刻と変わるたびに自分の煩悩が抜け落ちていくという風に見ていけば、仏の教えを”受戒”できる場でもあるかもしれません。
となるとさしづめ出来上がった「炭」こそ仏の生まれ変わった姿であり、また炭
焼きをやるということはとりもなおさず自身を「身心脱落」させる「行(ぎょ
う)」といえるかもしれませんね。
ちょっと世の中や人生に疲れた方、心身リフレッシュに炭焼を是非体験してみて
ください。もしかしたら、道が開けるかもしれません。

<DAIGOエコロジー村通信2015年3月号より>