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価値判断の基準

年明け早々からフランスにおけるテロ、或いはマクドナルドの異物混入など、
「年末年始くらいは穏やかに、、」という我々の願いにも関わらず世界の現実は
不安定さを増して来ています。毎日が「不安(な気分)」に捉われている人も結
構多いでしょう。世の中で起きる現実が人間一人一人の行動の集合にあるという
単純な判断は出来ませんが、人間は常に自らの価値観で行動するとすれば、世界
の現実はとりもなおさず価値観の相克の結果ということも出来ます。ところがそ
の価値観ですが、果たして「自分自身が自分の内面から作りあげた確固たるもの
である」、と言える人はどれくらいいるでしょうか。多分ほとんどの人は、自分
の外部からの情報インプットによる価値観ではないでしょうか。特に既存マスコ
ミの情報は批判的に受けとめないと知らず知らずのうちに情報操作される危険性
があります。フランスのテロについては、350万の市民、各国首脳が立ち上がり
「言論の自由を守れ!」とデモを行ったというニュースが大々的に今夜放送され
ていました。そのコト(デモ)自体について異議はありませんが、しかし、おか
しなことにも気付きました。昨年、イスラエルによるパレスチナガザ地区空爆は
無差別なものであり、学校・国連施設など含む一般市民が1000人以上虐殺されて
います。しかし、この時、今回のようなデモは起きたでしょうか?単純に比較す
るつもりはありませんが、個人的な意図によると思われる小規模の新聞社におけ
る”殺人”と国家が堂々と大々的に行う殺戮に対するこの反応の違いは果たして何でしょうか。
また全く領域は違いますが、科学者・弁護士・医者などという職業の方々は少なくとも一般的には彼らの専門的知識と経験を我々は信用している訳ですが、昨今の彼の職業の方々に対する信頼度は非常に落ちているのではないでしょうか。
現実と言う世界は、社会がそれなりに安定している時は、このような情報(知識・経験含む)はそれなりに信頼に足るものですが、社会が不安定になるとその信頼にブレが出て来るものです。不安定な社会が個人に影響するのか、或いはその逆で個人のブレが社会を不安定にさせるのか見解は別れるところですが、一つ言えることは、我々は自らが世界で起きる事象に対する見解の価値判断を行わねばならない時代に突入したということです。
高度情報化社会とは一つの情報を咀嚼する間もなく次から次へと新しい情報が大量に絶えずくまなく流される時代でもあります。インプットされる情報をうのみにすることなく、検証・批判的なスクリーニングを絶えず行っていくことが必要に思われます。2015年の新しい年の幕開けは、そのような「覚悟」を我々一人一人に突き付けているような気がします。

一般社団法人日本低炭素都市研究協会会報
『低炭素都市ニュース&レポート2015年1月号』より