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ローマ教皇と反体制の寵児ミケランジェロ

ローマ教皇の生前交代が話題になっているが実に720年振りのことだそうだ。いま、次期教皇を巡って「コンクラーベ」という堂々巡りの”選挙”が文字通り、根競べで行われている。

ところで、このコンクラーベが行なわれているバチカン宮殿のカッシーナ礼拝堂の大天井壁画は、我らが反体制の寵児ミケランジェロが1508年~1512年までの実に4年余りの年月をかけて作成したものである。天井に顔を傾けて描き続けたために、描き終わった後も、手紙などを読む時には頭の上で読んでいたという逸話もあるほどその作業は困難を極めたものであった。

さて、この壁画を依頼したのは当時のローマ教皇ジウリオ(ユリウス)2世だが、ミケランジェロとジウリオ教皇の間は余りいい関係ではなかった。というよりも、ミケランジェロがその才能を見出された時は、いわゆるイタリアルネッサンスの揺籃期であり、それはとりもなおさず教会を頂点とするこの時代の権力体制がその腐敗により揺らいでいるときでもあった。そのような時期にミケランジェロは「自由都市国家フィレンツェ」で芸術活動にいそしんでいたことから、当時のフィレンツェ権力者メディチ家の横暴も目の前でみており、彼の中で「反権力」の意志が育っていたのだろう。

一方、彼の才能は権力者からも高い評価を得ており、その力に任せておかかえ芸術家にしたいという欲望は教皇にもあった。教皇の依頼に最初は「絵画はラファエロがうまい」と難色を示していたのであるが、教皇フィレンツェ政府主席のソデリニを通じてなかば脅してミケランジェロに天井壁画を描かせることに成功したのである。教皇の注文は「天井中央に12使徒を描け」ということであったが、ミケランジェロはしかし教皇に対し、その建築・彫刻の優れた才能技術に絵画を加えた総合的な構成で、天井から窓にいたる、文字通り現在の我々が目にするあの大天井壁画を描き上げたのであるが、そのテーマは、ルネサンスの神髄でもある「自由」を表現する「天地および人類の創造」であった。

そこには、裸体のしかも美しい筋肉の神々が描かれている。裸体はミケランジェロにとっては、「自由と平等」の象徴である。「ダビデ像」を見よ!「最後の晩餐」を見よ!

それは、ギリシア的競技的筋肉ではなく、「労働の筋肉」ともいうべき、働き生きている人間の尊さと時代に対する怒りが表れている。カッシーナ礼拝堂天井に、我がミケランジェロは堂々とその権力の頂点の真っただ中ともいえるその天井に「自由と平等」を描き上げたのである。

この時の逸話を一つ紹介しよう。

ミケランジェロが描いた壁画をみた教皇は、「裸の神々とは何たることか!金でもう一度塗れ」と迫ったが、我がミケランジェロは臆することなく、「金を付けた人間などはみたこともございません」と教皇を批判した。それに対して教皇は「(裸は)貧乏くさいではないか」とまた反論したが、「ここに描いている古の人々はみな貧乏でした」とまた切り返した、ということである。

貴族家と結びつき腐敗した教会に対するアンチテーゼとしての裸体は、ミケランジェロ自己自身の姿であり、またその本質的意味は、ルネサンス以後の近代芸術に至るまで、さまざまな芸術家に受け継がれて来ている。

さて、そのような我がミケランジェロがその魂をかけて壁画を作り上げてからおよそ500年経った現在、ローマ教皇の歴史的な交代劇が起こった訳であるが、今も”根競べ選挙”が行われているというカッシーナ礼拝堂の天井の神々は一体なにを思っているのであろうか。あるいは、また21世紀のミケランジェロが出でることを彼らはもしかしたら知っているのだろうか。


カッシーナ礼拝堂天井壁画拝堂天井壁画ダビデ像ダビデ像