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再び宮沢賢治のこと

■(先月に続いて)宮沢賢治のこと

先月号で宮沢賢治の「アメニモマケズ」の詩のことを書きましたが、今月も引き 続きこの件についてのお話です。

先月号でこの詩の中の「デクノボー」がなかなか理解できない、と書いた手前、 自分なりに調査研究したところ、宮沢賢治に詳しい方ならもう既にご存じのこと かもしれませんが、この「デクノボー」思想は法華経にある「常不軽菩薩(じょ うふきょうぼさつ)」がベースになっているということです。

この菩薩は法華経 に登場する菩薩ですが、とにかく行き交う人誰に対しても合掌して「私はあなた を敬います。決して軽んずることはいたしません。あなたは菩薩の行をして、仏 になられる方だからです」と言って拝み回りますが、人々は「おかしな奴」と 言ってこの菩薩を迫害します。それでも不軽菩薩はただただ拝み続けます。そし てこの世を去る直前に威音王如来から法華経の導きを受け、その結果さらに寿命 も延び、衆生に「法華経」を説いて回り悟りを終には仏となった。この常不軽の 姿こそ釈尊の遠い過去の姿そのものである、、、、、、。

これが法華経でいう常 不軽菩薩です。宮沢賢治はその精神性に法華経を置いていたことは広く知られて いますが、この「アメニモマケズ」の手帳の中には、「不軽菩薩」の詩も記して あったそうです。

 

不軽菩薩

 

「あらめの衣身にまとひ

城より城をへめぐりつ

上慢四衆の人ごとに菩薩は禮をなしたまふ

(我は不軽ぞかれは慢

こは無明なりしかもあれ

いましも展く法性と菩薩は禮をなし給ふ)

われ汝らを尊敬す

敢えて軽賤なさざるは

汝等作佛せん故と

菩薩は禮をなし給ふ

(ここにわれなくかれもなし

ただ一乗の法界ぞ法界をこそ拝すれと

菩薩は禮をなし給ふ)」

宮沢賢治

 

「アメニモマケズ」はこのように宮沢賢治宗教的価値観が背景にあり、また自 らを「不軽菩薩」として生きて行くという決意でもあったのでしょう。

翻って「渡る世間は鬼ばかり」或いは「人を蹴落としてまでも生きて行く」とい う現代の”修羅”とも言えるこの状況の中で、不軽菩薩のような生き方は、確かに 「馬鹿か!」としか思われないでしょうが、この「アメニモマケズ」に託した賢 治の心性と「デクノボー」という生き方こそが今我々衆生に求められるのかもし れません。

 

<参考>

宮沢賢治の文学と法華経』(1993年 分銅 惇作)

『「雨ニモマケズ」の根本思想―宮沢賢治法華経日蓮主義』 (1991年龍門寺 文蔵)

イーハトーブ満州国』(2007年宮下隆二) 他

 

DAIGOエコロジー村通信6月号より