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銘仙と世界遺産

先日、富岡製糸工場が世界文化遺産登録が内定したというニュースはまだ真新し い。いつも話していることだが、上州(富岡)-八王子-横浜、或いは信州-八王 子-横浜、というルートは通称『絹の道』と呼ばれ、明治前期の日本の生糸産業 の屋台骨でもあった。今回の世界遺産登録により、またこのルートがいろいろ話 題にされることだろう。

ところで、この絹は各地の地場産業でもあるが、原料としての生糸だけでなく、 各生産地で絹織物即ち着物の生産も活発であったことは、いわゆる和服文化の消 滅という時代の流れも手伝い、我々の記憶から遠ざかって久しい。その着物の一 つが「銘仙(めいせん)キモノ」である。「八王子銘仙」「伊勢崎銘仙」「秩父 銘仙」などがその主流をなしていた。

そもそも銘仙は養蚕をする傍らにできる不良繭やくず繭の玉糸やのし糸のいわば ボロ糸を使って、生産者が自前の晴れ着を作ったことがその始まりである。当初 は生糸そのものの品質もあまり良くなく、当然そこから出るボロ糸もそのような ものであったが、富岡製糸場などの設置は生糸の品質の向上にも貢献し、ボロ糸 もその品質を高めていった。特に大正末期から昭和初期にかけて、洋風文化或い は大正デモクラシーの流入は、それまでの伝統的或いは保守的な空気を打ち破 り、特に女性の権利意識の向上も手伝い、「銘仙キモノ」はあっというまに市場 を席巻した。あるデータ(銘仙絹織物組合)によると大正末期昭和初期10年間の 販売数が実に1億反という記録もある。ちなみにユニクロのフリースが年間2500 万着と言われているが、時代背景を考えれば驚異的な数字である。昭和恐慌時の 百貨店の販売が軒並み下がる中でも。銘仙だけはその売り上げを伸ばしていった という。

また「銘仙キモノ」は素材の品質向上と同時に、その柄のユニークさも面白い。 大きなバラの花柄やアールデコ、飛行機柄など、まるで現代のアロハシャツの様 相だ。

残念ながら、前述したように我が国の和服文化の衰退と消滅がこのよう な”クールジャパン”をお蔵入りにしてしまったが、今回の富岡製糸場世界遺産登 録を契機に、伊勢崎や桐生、足利などでは「銘仙」の歴史と文化を伝えようとい う動きが活発になって来ている。「銘仙」を「遺産」ではなく可能性のある「資 産」として捉え、新しい絹文化が育たないものか、とふと思った。

 

 

<DAIGOエコロジー村通信6月号より>