シンギュラリティー・ユニバーシティー

「人間は宇宙をめざし大気圏外に初めて出た時に、地球の呪縛から逃れる第一歩を踏んだ」とハンナ・アーレントは『人間の条件』で述べたが、現実は彼女が断定したようにその方向へ動いているように思える。人類が地球上で生きる限り地球の持つ諸条件はその生の絶対的な前提となる。しかし、その前提が「地球外」という条件にシフトした時、そこには革命的な否全く新しい人類創世紀的な世界への道が開けるのだろうか。現時点での宇宙空間滞在記録は、ロシアの「ミールLD-4」の438日である。1年を超す宇宙滞在がヒトの体に与える影響は重力や放射線、精神的心理的影響など様々であるが、一人の人間を地球上における条件のままに宇宙に存在させる“意味”ということをどう考えるのだろうか。著名な物理学者のフリーマン・ダイソンはその著書『宇宙をかき乱すべきか』(1979年)で、原子力産業について「原子力産業が抱えている根本題、・・・・<中略>・・・冒険家や実験家や発明家は追い出され、経理士と経営家が支配するようになった。・・・<中略>・・・これが、原子力発電における誤りであった。」と述べ、科学技術の世界におけるいわば“資本の効率”の功罪を問うている。福島第一はもちろんスリーマイル、チェルノブイリなど原子力過酷事故が起きる前の著書でありその先見性は評価されるが、ここから一つ類推されることは宇宙空間に対する“資本の効率”という考えの想起ではないだろうか。端的に言えば、「地球上の諸条件を敢えて無視することが出来れば、もっと“楽に”宇宙開発が可能になる」即ち「人体そのものの改造」ということである。地球上に存在する人間を地球外に存在させるためにあえて人間そのものを変える、という発想が必ずや出てくるだろう。また、宇宙空間滞在者側からも宇宙活動のミッションが、1年以上、5年、10年と伸びて行けば、大気圏外で生活する人間自身の思考には本質的な変化が起こり「自らの内部変化を望む」ことは想像に難くない。今からおよそ90年近く前、イギリスのJ・Dバナールは『宇宙・肉体・悪魔 理性的精神の敵について』(1929年)の中で、人間の肉体改造についての予測をしているが、単なるSFではなく科学的にも裏付けを行っており非常に興味深い。彼は結局「手足や臓器などは非能率的であり、最後は頭脳(労働)しか残らない」と述べている。その論旨はこうだ。「“人間自身は自らをとりまく無機的環境の改造には多くのことを学び実践してきたが、人間自身を変えることはできなかった。しかし、外科学と生理学的化学の発達により人体の根本的改造の可能性がはじめて現れてきた。人間が単に動物として生きるのであれば四肢或いは人体諸臓器或いは血液は必要だろうが、人間生活にとってますます重要になってきた頭脳の働きを維持することにはきわめて非能率的である”」と。

私は携帯電話が普及してきた時(1990年頃)から「人間自身が端末化するのではないか」と思い続けているが、携帯タブレットや昨今のウエアラブル端末の普及は確かにその予想を証明しているようにみえる。とは言えそれでもまだそれは“細胞外”でのことであった。しかし、本質的な端末化、いわば“細胞内”への科学技術の“組み込み”は既に部分的には行われている。例えば、米軍は兵士の脳にチップを埋め込むプロジェクトを開始している。(米国防高等研究計画局(DARPA)プロジェクト「Subnet」)多分、軍事分野でのこのような人体改造は相当進んでいると思われる。

さて、問題は、バナールが言うようないい意味で純粋な知的好奇心と科学者の活動という面からみれば、古代ギリシア以前のアルキメデス時代からルネサンスを経て現代に至るまでの科学技術の恩恵は莫大であり、人類への貢献は極めて高いといえよう。しかし、「人間がそもそもなぜ生きているのか」「その意味は」「人間はなにを成すべきか」などという存在としての哲学的或いは宗教的意味については、科学技術の発達程その進展は見られないように思える。未だにパスカルデカルト、カントの系譜が空回りを続けているようだ。人間の生死を問う戦争と言う社会的側面からのヒューマニズム思想にしてもトルストイ以後は同じように空回りしている。この科学と哲学のアンバラスに拍車をかけているのが今の社会システム-資本主義であろう。俗的に言えば、「科学はカネになるが哲学はカネにならない」ということだろうが、しかし、ここでは社会システムの是非は問わない。もっと根源的な人間の“本質”というものをわれわれはもっと深く考えるべき時代に来ているのではないだろうか。

前置きが長くなりほとんど言い尽くしてしまった感があるが、本題の「シンギュラリティー・ユニバーシティー」とは、2008年にシリコンバレーにできた大学の名前である。共同創設したのは、レイ・カーツワイルとピーター・ディアマンティスである。カーツワイルは、科学者、発明家であり、一方のディアマンティスは起業家で、Xプライズ財団の創設者で代表。そのレイ・カーツワイルは「天界が近づいている。私たちホモサピエンスは形を変える。何か新しいもっと良いものになる。この転換が起きるのは2045年と予想されている。」と予測、「2045年の人類の大転換に備えて優秀な頭脳育成のために大学を設置した」、と述べており彼らの元には現在でも世界中から人材が集まっているという。彼は「人類は機械と融合すべき」という信念を持ち、人工知能AIやロボット赤血球(人工赤血球)の研究を行っている。彼によると「2029年頃までには、人工知能AIが人間の知能を追い越すだろう。人工知能は、われわれ人間の知能を高めるだけでなく、超人間の知能を与えてくれる。」そうだ。また「人工赤血球は少なくとも、本来の人間の生体の赤血球の一部と置き換わって、難なくオリンピック選手級の走りができたり、プールの底に数時間も潜っていることが可能になる。最後は、心臓もいらなくなるかもしない。」とも言っている。ちなにみ、レイ・カーツワイルはグーグルに加わり研究を続けている。グーグルはつい最近軍事用ロボットメーカーを買収したが、その先にはやはり「人体改造」があるのだろうか。

 

<補記>

先日、話題のSF映画『ゼロ・グラビティ』を見たが、SFと言うよりノンフィクション宇宙ものという感じがした。しかし、映像的にもストーリ―的にも秀作である。そこでも上記のような思いに駆られたが、今から45年前に上映された『2001年宇宙の旅』を思い出さずにはいられない。映画の主旨がなかなかつかめない形而上学的SFとでもいうべき映画であるが、原作者のアーサー・c・クラークが上記のJ・Dバナールを手放しで評価しているということを知り、45年目にやっと納得した思いである。

 

 

 

<関連参考URL>

■世界的権威レイ・カーツワイルが、グーグルで目指す「究極のAI」

http://wired.jp/2013/05/02/kurzweil-google-ai/

■かなり高額なのにエリート管理職が続々参加!超未来志向の大学「シンギュラリティー・ユニバーシティー」とは

http://diamond.jp/articles/-/29246

■新プロジェクト 米国兵士の脳にセンサーを埋め込む

http://japanese.ruvr.ru/2014_01_08/127002932/

フリーマン・ダイソン

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%9E%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%80%E3%82%A4%E3%82%BD%E3%83%B3

■JDバナール

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%87%E3%82%B9%E3%83%A2%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%90%E3%83%8A%E3%83%BC%E3%83%AB