生存か生活か

先日、福島県双葉町(第一原発所在地)の被災者の方数名とお会いしてお話しする機会がありました。

皆さんは、現在埼玉県の加須市鴻巣市などの避難所で生活されています。

失礼を承知で、「もう当分は(双葉へ)帰るということは無理だと思いますが、

どう思いますか?」と聞いてみました。

酪農家の年配のご夫婦は牛を10頭置いてきたとのことで、「放射能のことはよくわかっている。しかし、すぐにでも帰りたい。牛がかわいそうだ・・酪農も続けたい・・・」と話し、花卉栽培の方も、「もう(放射能で)帰れないと思うが、仕事のこと、故郷のことを思えばやはり帰りたい」と話していました。

低レベル放射能(線量)被曝についての放射線医学的知見はまだ未確定なものが多く、いわゆる「確率的影響」(一定量の放射線を受けたとしても、必ずしも影響が現れるわけではなく放射線を受ける量が多くなるほど影響が現れる確率が高まる現象)の範疇に入ると言われています。

しかし、言葉を変えれば「死」をいつも意識することになる訳で、相当なストレスを感じることでしょう。

論理的に考えれば、「(放射線を)浴びない」選択が望ましい訳ですが、双葉町

の方々の思いは、やはり「ふるさとで生きるしかない」という選択を望んでいるように見えます。

「生存」を取るか、「生活」を取るか、ということになるのでしょうか。

ちなみに、低レベル被曝の影響のことを「逆宝くじ」と表現された方もいらっ

しゃいました。

「だれが(ガンに)なるかなってみなくてはわからない!」と。

岩手・宮城三陸側の津波被災者は、いろいろ困難もありながらも「生活再建」へ向けて動き出していますが、福島第一原発被災者は、これからが実際上の被害の始まり、と言えます。

やはり「天災」と「人災」という全く位相のちがう災害であることがはっきりしてきています。

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私はやはり「原発は止めなくてはならない!」、という強い思いに駆られた被災

者の方々との会話でした。