炭焼党員の恋 

18世紀末から19世紀初めにかけて、イタリア統一前のナポリ王国に炭焼党という秘密結社が誕生した。この頃のイタリアはまだ複数の小規模王国が強力なオーストリア帝国に支配されていたが、時はフランス革命を経てナポレオンがその勢力を伸ばしている頃、その秘密結社は、この革命の影響を受けた自由主義思想の人々によって構成された。彼らはカルボナーリと呼ばれ、党員は自らを炭焼人としてお互いを秘密裏に識別しながら「イタリアを外敵から救う」運動を展開した。ところで、今日の話しはこの炭焼党の話ではなく、フランスの小説家、スタンダールが書いた『ヴァニナ・ヴァニニ 炭焼党異聞』の中の話である。スタンダールは『赤と黒』や『恋愛論』など、人間の内面を独特に描写する書き手だが、特に男女間の不条理にも彼の視点はあるように思う。さて、ストーリは、ヴァニナという社交界の絶世の美女が、炭焼党の脱獄囚の若者のピエトロ・ミッシシリと恋に陥るがその顛末が実に哲学的に味わい深い物語となっている。ヴァニナはその美しさから数多くの貴公子に言い寄られるが、彼女の気を引く男はなかなか現れない。ある時の社交界である貴公子から「あなたのお気に入る男は,いったいどんな人間だかきかせていたけませんか。」という問いに「その脱走したという若い炭焼党員でしょう」と答えるが、その後、図らずも父がその炭焼党脱走者を邸宅に匿っていることを知り、衝撃と感動を受ける。その炭焼党の脱獄者ピエトロも若者として、瞬く間にヴァニナへの恋心が芽生える。ピエトロはヴァニナに「祖国解放」を熱く語り、「祖国解放の為ならばこの命を捧げても惜しくない」と話すが、その熱く語るピエトロの言葉と瞳にヴァニナは、他の貴公子には無いものを感じ、益々魅かれていく。ヴァニナにとっては、ピエトロの「祖国解放」への熱情と自らへの恋の熱情は同じものとして最初は受け取るが、ピエトロが自分より祖国解放運動の方へ傾きつつあることを知るうちにヴァニナの心の中で葛藤が始まる。一方、ピエトロも「革命運動」と「恋」の間で悩む。ある時、ピエトロを首領とする炭焼党はローマ政府への反抗蜂起を企てる。ピエトロは言う。「もしこの計画が成功しなかったら、今度こそおれはいよいよ祖国を捨てて行くんだ」と。これを聞いたヴァニナはピエトロの名前だけを消した蜂起メンバーの名簿を政府にこっそりと渡す。ピエトロの言葉をヴァニナは彼女に都合の良いように解釈したのである。そしてピエトロだけが助かり他のメンバーはすべて処刑されたことからピエトロは深い自責の念で自首する。ヴァニナにとっては、ピエトロの自首は想定されていなかったが、彼女はピエトロを処刑から救うことに彼女自身のピエトロへの裏切りへの自責を清めるためにも奔走する。牢屋でヴァニナと対面したピエトロは、「私がこの地上で執着するものがあるとすれば、ヴァニナ、それはもちろんあなただ。だが、神様のおかげで私は生きている間、一つの目的しかなくなった。この牢屋で死ぬか、さもなければイタリアの自由を救うためにはたらくか」。このピエトロの言葉にヴァニナはピエトロの気持ちを振り向かせる最後の望みを掛けてこれまでの裏切りを一部始終告白する。しかし、この告白を聞いたピエトロは「この、人でなし」「おのれ、人非人、おれはお前のようなやつに何一つ恩に着るのはいやだ」という言葉を投げつけ、ヴァニナが渡した脱獄用のヤスリとダイヤモンドを投げつけるのだった。物語は、その後ヴァニナはある公爵と結婚したことで終わっている。
さて、ピエトロの情熱とヴァニナの情熱の違いは何であろうか。一気に「男と女の違いさ!」などと旧聞に付すような一般的結論に急ぐ必要は無いが、「祖国愛」という社会的情熱と「自己愛」或いは「自尊心」という個的情熱、権力の側に位置する女と反体制の男、実に様々な要因が考えられるが、「恋愛論」にも深く思考するスタンダールはこの短編小説で何を言いたかったのだろうか、という問いとともに現代における「男と女」の在り方の問題としても面白い題材のように思える作品である。 現代的解釈はそれとして、スタンダールが敢えて「炭焼党」という具体的な存在を題材としたことは、スタンダール自身が炭焼党の支持者であったと思われることや、『ヴァニナ・ヴァニニ』の副題には、「法王領において発見されたる炭焼党最後の結社に関する顛末」となっていることから、この当時のヨーロッパに吹きすさぶ革命の嵐の中での恋愛への考察を行ったのではないか。しかし、スタンダール自身が恋愛の情熱と社会的情熱とをどのように考えればよいか、結局この小説においてはその回答を出すことは出来なかったのだろう。彼は恋愛についてこう言う。『自尊心の恋は、一瞬にして過ぎ去る。情熱恋愛は逆である。』ヴァニナもピエトロも結局は自尊心の恋だったのだろうか!
小説は岩波文庫復刻版『ヴァニナ・ヴァニニ』で読める。興味あるかたどうぞお読みください。2時間もあれば読了できる短さだが、提起している”課題”は永遠の解けない問題でもあるようです。

低炭素社会と豊洲問題

東京の豊洲市場問題が連日マスコミを賑わし、ネット上でも政治的、経済的、社会的視点からの意見が様々に飛び交っています。「低炭素社会」の創造を儚い力ながらも目指している私たち研究会にとっても、豊洲問題は直視しなければならない問題であるという認識はあるのですが、現在焦点となっている「安全・安心」というテーマは「低炭素社会」における最も基本的な問題と思われるにも関わらずこの問題にどこから切りつけて行けば良いのかがなかなかわからないというジレンマに陥っているというのが正直なところです。そこで、豊洲関連の資料をいろいろ調べている中で、江東区から『豊洲グリーン・エコアイランド』という”低炭素まちづくり計画”に突き当たりました。この計画の元になっているのは『都市の低炭素化の促進に関する法律(略称:エコまち法)』です。本計画は 六つの視点と防災という観点から豊洲開発の基本方針を述べていますが、「安心・安全」の視点はその5という項目で「安心安全な市場の整備により信頼向上を図ります」というタイトルで「商品管理システム化」「省資源・リサイクル化」「豊洲ブランド創出」という空虚な方針が3点述べられているのみです。その他の項目についても綺麗な言葉が飛び交ういつものパーターンですが、共通しているのは、「土壌問題はない」という前提であくまでも上地(土地利用)に焦点をあてた計画となっていることです。同法律は国交省管轄であり、土壌問題は環境省管轄であることから、国交省環境省問題に口を突っ込む立場にはないということでしょうが、「低炭素社会」はこのような官僚的思考、或いは分業思考で成り立つものではなく、自然的存在である日々の人間の活動がそのベースとならなければならないはずですが、今の社会を動かすシステムの根本的誤謬を見るような気がします。ちなみに、「低炭素社会」のバロメータとなっている地球温暖化と土壌との関連については、植物の光合成への影響を語るのみで土壌汚染と「低炭素社会」の直接的なつながりを見つけることはなかなか困難ですが、「低炭素社会」を「持続可能な社会」という観点からみると一つのヒントが見つけ出されます。それは、国際NGOナチュラルステップの①自然の中で地殻から掘り出した物質の濃度が増え続けない。②自然の中で人間社会の作り出した物質の濃度が増え続けない。③自然が物理的な方法で劣化しない。④人々が自らの基本的ニーズを満たそうとする行動を妨げる状況を作りだしてはならない。という4つのシステム条件です。豊洲地区は1923年の関東大震災のガレキ処理による埋立で生まれた土地ですが、町名の由来は将来の発展を願い豊かな土地になる願いから「豊洲」と命名されました。しかし、それから100年近く経った現在このような問題が起きたことは、「天の啓示」とでもいうべく「天網恢恢疎にして漏らさず」という言葉がぴったりな状況です。先述の4条件を深読みすれば、「埋立」という行為に問題があり、またそれを可能にする社会の在り方そのものが問われる訳ですが、現実的な解決策としてそこまでの議論を要求するのは困難なことでしょう。小池知事の「東京大改革」の手始めとしての問題としては余りにも人間存在の根本的な問題ともなった「豊洲問題」。当研究会においても、一つの長期テーマとして考える必要があるように思います。

観念と経験について

経験から観念が生まれるのか、観念が行為を決定し経験になるのか、有体に言えば「卵鶏論争」レベルの話にもなるが、実在する社会は全くカオス状況であり、そこには経験と観念がせめぎ合いと混ざり合いを絶えず繰り返している。我を主体として外を見れば社会は客体であり、社会を主体としてそこから我を見ればそれは客体となる。そのように主語と述語が絶えず反転する世界の中で、これまでの思想家或いは宗教家が行った思弁はある意味表裏一体にあるとすれば、それらを一元化する、或いは出来る「論理」というものを、言葉を変えれば「至高唯一の論理」を西洋人は有史以前から追求する努力をしてきたように思われる。その構造は継時的な縦糸として「宗教(キリスト教)」があり、共時的な横糸として「思弁・思想」がある壮大な切れ目のない織物のようである。そのような無限の織物を有限の人間が果たして完全に使いこなせる日が来るのか、織物が織物として最期の切れ目を作れるのか。今現在、西洋的な思考がその行きづまりを見せているように思われるが、実は際限のない織物を織っているのではないだろうか。その織物の柄は多分カノンなのだろう。

男性<主流>文化から女性<主流>文化への転換

人類の歴史は、「男」と「女」という根源的2大本質から作られて来た。宗教的に言えば、アダムとイブの原罪から始まった。しかし、我々が確認できる歴史においては、この2大本質は一方的な従属関係、支配被支配関係に固定され、そこから作り出される人間の文化、特に広義的に解釈して、政治・経済・文明・科学・宗教・芸術、、、、など様々な人間が創りあげたシステムは、すべて「男」的な性質を有している。「男的な性質」について、ドイツの社会学ゲオルク・ジンメル(1858-1918)は、男性の性質を「客観的」「即物的」「分化・分業的」「専門的」、女性の性質を「主観的」「人格的」「全体的連帯性」と分析、男性は自己超越性をもち、女性は自己充足性をもっていると見たが、ジンメルの論に従うならば、例えば近代以降の科学の発達のベースには「男的な性質」があり、そこから作り出された社会システム(政治・経済・軍事・医療・芸術・・・・・)はいわば「男性OS(オペレーションソフト)」に基づいて作られているといえる。ここから一気に結論を言うとすれば、現在の社会システムにおける様々な誤謬の要因をこのOSとみるならば、これを「女性OS」に切り替えるという発想が出て来るのは必定である。確かに、近代以降においてはこの性差(ジェンダー)意識の課題は顕在化され、たとえば婦人参政権などに見られる「女性の権利」を社会システムに組み込む動きは活発にはなってきたが、これは女性性質を男性性質へ同化させるという限界或いはあらたな誤謬の要因を生む結果ともなっている。また性差の本質を固定せず、両性融合的な概念を打ち立てようとするジェンダーフリー思想、或いはフェミニズムなども起きているが、歴史の進歩法則としての弁証法を用いるならば、「正(男)・「反(女)」・「合(両性融合)」の流れに従い、近代以降の矛盾への対処として、「反(女)」の時代創出を図るべきと思われる。
ジェンダード・イノベーション」という言葉がある。アメリカのロンダ・シービンガー博士が提唱した概念だが、男女の性差を十分に理解し、それに基づいた研究開発をすることですべての方に適した「真のイノベーション」を創り出そう、というものだ。科学の歴史の中で、従来「性差」はほとんど認識されることなく、科学者たちは無意識のうちに同性である男性のみを基準として様々な研究開発を行ってきた。車のシートベルト設計や鎮痛薬の開発など、性差が顧みられていなかったことによる不具合が実は考えられていたよりもずっと深刻であることがわかり始めたのはつい最近のことだ。こうした性差認識の重要性を、シービンガー博士は科学史の中に隠されていた女性の存在を様々な角度から浮かび上がらせることで明らかにした。その業績はEU(欧州連合)の「女性と科学」政策に大きな影響を及ぼし、のちのジェンダーサミット発足の原動力となった。 (※科学技術振興機構より)

唐十郎『少女仮面』鑑賞記

不条理劇が今日の社会においてどれほどの影響力を持つことが出来るのか、その可能性を少しは期待できそうな演劇だった。この劇が演じられた1969年は日本社会が60年安保に続く戦後2番目の動乱時期であったが、60年の政治闘争が文字通り「政治イデオロギー」にフォーカスした闘争であったのに比べ、70年はまさに不条理の中から人間存在を確かめようという「存在イデオロギー」が跋扈した訳だが、政治的には例えば連合赤軍を一つの象徴とする「敗北」に終わったように、不条理劇も社会変革を起こすこともなく紅テント、黒テント天井桟敷等の一瞬の祝祭的象徴化に留まったように思う。これは、演じる側と観る側の拮抗が、存在の根底から反転して社会変革(革命)へ向かうことなくその後の「個」への限りない没入へと陥ったことは不条理劇の持つもう一つの本質であったかもしれない。それからの50年は、演劇界はまさに古典芸能も含めいわば”社会と寝る”「軽チャー商業」路線一筋に向かった訳だが、先日の歌舞伎俳優の不倫騒動などもその一端の現れだろう。話が逸れたが、今日の情況で、奇しくも昨年の「安保法成立」から丁度一年と言うこの日に、この劇を鑑賞した意味を敢えて言うならば、60年、70年と続く50年のブランクを超えての「革命劇」としての意味づけを敢えて行いたい。ヅカジェンヌ春日野が永遠の処女と肉体を欲する存在としての矛盾と「日本を世界一に!」と叫びまくる安倍晋三の虚偽性は実は表裏一体のものだ。「少女仮面」とは老いた肉体のわが日本の姿でもある。
今回の劇を演じたのは、私の世代より二回り、三回りも若い諸君たちであり、もちろん彼らは今から60年前、50年前の状況を知る由もない世代である。にもかかわらず、ストーリー劇中心の時代においてあえて不条理劇を演ずるその勇気は買いたい。また観る側も私の世代はほんの一握りであり、ほとんどが演じる側と同じ世代であった。形式的に言えば、50年前の「演じる・観るの一体化」は少なくとも年齢的には達成された訳で、昔を懐かしむ回帰主義や懐古趣味ではない。果たして、新しい不条理劇の運動がおこるのかどうか、現実が虚構を上回る「衝撃」が日常化している時に、敢えて舞台と言う虚構から現実を狙い撃ちできるのか、そこに期待してみたい。

「パリ協定」の政治戦略と我が国

9月3日、米中両政府がCOP21で採択された温暖化対策「パリ協定」を批准したというニュースは耳新しいところです。日本ではオリンピック狂騒に遊び呆けた後に、またぞろ中国との軍事的緊張だけを一方的に報道する相変わらずのマスコミの姿勢が目立つ中で、この「パリ協定」批准に関わるニュースもベタ記事程度の扱いしか見られないように感じました。しかし、米中による気候変動枠組に対する積極姿勢は、相当に戦略的なものであることを我が政府は見抜くことができないくらい愚かというしかありません。6月の伊勢志摩サミットにおいてもこの問題は話し合われ、「2016年発効」と言う具体的目標が設定されたにもかかわらず我が政府は「静観」などと言い、また5日の菅官房長官は「具体的な時期については現在、政府で検討中であるが、できるだけ早くと考えている」などとのんきな記者会見を行っています。米中がこれまで地球温暖化対策に背を向けて来たことから180度の転換を図ったことは大きな衝撃であり、これまで1992年の地球サミットアジェンダ21からおよそ四半世紀の時間を掛けて、「地球温暖化問題」は「科学」「経済」の枠から「国際政治」の枠へその本質を変えることになります。
今回の米中批准について、表面的には、米国はオバマの政治的遺産としての置き土産であり、また習近平路線の国内締め付けの手段と言う見方もありますが、それは文字通り皮相というものでしょう。今、世界政治は中東における混乱や極東の緊張など軍事的緊張を拡大するなかで、IMF、WTO(GATT)、NATOなどおよそ半世紀以上経った世界システムの枠組みの変動が静かに進行しています。 世界の警察官を任じた米国が単独主義への意向を模索する一方、ロシア・中国等の新興経済国(BRICS)が台頭、上海協力機構など脱欧米型同盟も誕生する中で、中国が中心となったアジアインフラ投資銀行(AIIB)が立ち上がったことは、いわゆる世界構造の多極化(脱欧米中心主義化)であることは間違いありません。そういう流れの視点から我が国の世界における動向をみると、「日米同盟」という旧式枠組みへの絶対的固執以外の何ものでもなく、更にそこには国家としての世界戦略を自ら描くことなく、宗主国たる米国への追従という独立国として恥ずべき対応と言わざるを得ません。今回の「パリ協定」の米中批准は、このような世界政治変動の中で行われたものであり、米中による世界的課題への共同化の動きとしてそれは評価することができるでしょう。
後先になりましたが、中国、米国という世界1位、2位の温室効果ガス(GHG)排出国が同時に締結・批准を行うことの意味は、今後のCOP22以降のヘゲモニーを両国が取るという意味でもあり、それは、「パリ協定」の目指す21世紀後半までの脱炭素化(正味ゼロ排出)という最終目的地を国際社会が共有し続けることの宣言とも言えます。具体的には、米中双方とも、「長期低GHG排出開発戦略」を発効目標の今年中に策定・発表することで合意しています。翻って我が国では、やっと環境省経産省で専門委員会がたちあがったところですが、米中が明確に2025年目標(米国)、2030年目標(中国)を掲げる中で、我が国は、2050年目標という神仏への願いのような態度であり、「温暖化対策は非常に長期的な問題であり、2030年まで頑張ればいいのではなく、もっとその先まで、今から100年以上かけて取り組まなければいけないという問題意識が必要だ」(地球環境産業技術研究機構 山地憲治所長)などという言い訳に終始しています。
「パリ協定」においては、もう一つ「温暖化による気温上昇を産業革命前に比べ2度より十分低く抑える」という長期目標があります。これによる、新たな温室効果ガスとしてハイドロフルオロカーボン(HFC)や航空部門からの排出取り組みなども議論が検討されることになっていますが、これを先述の「政治的」から見ていくと、自国へ有利な状況をCOPにおいて決定するという米中両国の思惑があるのは間違いないでしょう。そこには、「温室効果」のある「行為」そのものに「規制」を掛けていくという政治手法、それを科学技術の独占化・寡占化による世界標準へ囲い込んでいくという深謀遠慮の政治戦略を見てとれます。そもそも、先述の1992年地球サミットにおいては、人類共通の地球環境の保全と持続可能な開発実現としての課題として、生物多様性酸性雨、オゾン、温室効果、、、と様々な地球環境影響要因がパラレルに議論されましたが、特に二酸化炭素をターゲットにしたのは英国を中心としたEUの新しい金融取引の創造の狙いがあったと思われます。現状では排出権取引市場は彼らが目指したほどの成果を上げてはいませんが、今回の米中協定により、排出権取引を始めとする「CO2の貨幣価値」をめぐる様々な議論が活発化されることは間違いないでしょう。
ふり返れば、「京都議定書」という世界的ネーミングを頂いたにも関わらず、我が国はそれを活かすことが出来なかったのははなはだ残念に思います。「おもてなし」や「スーパーマリオ」も結構ですが、「京都議定書」の失敗を、米中不参加と言う当時の事情を根拠にするのは、今回の真逆の状況を見れば、21世紀の世界を想像俯瞰する知恵が我が国にはなかったということでしょう。現政権は良く「未来への投資」という言辞を多用しますが、果たして本当に彼らは「未来」を深く広く且つ戦略的に思考(・志向)しているのか、はなはだ疑問と言わざるを得ません。
最期に、「科学と政治」について一言。科学が政治に利用されることは近代以降否定できない事実です。しかし、「象牙の塔」或いは「専門家(領域)」という現実社会との関係性を意識的或いは無意識に断絶した中では、「科学」自体の進歩もありえないのではないでしょうか。確かに「政治」はイデオロギーの対立をその本質の一つとしていますが、「科学」がそのことを避けて傍観者となるのではなく、積極的に「政治」に関与していくべきだと思います。この点については、古くはマックス・ウェーバーから現代に至るまで、様々な議論がなされていますが、非常に興味あるテーマです。

「パリ協定」の政治戦略と我が国

9月3日、米中両政府がCOP21で採択された温暖化対策「パリ協定」を批准したというニュースは耳新しいところです。日本ではオリンピック狂騒に遊び呆けた後に、またぞろ中国との軍事的緊張だけを一方的に報道する相変わらずのマスコミの姿勢が目立つ中で、この「パリ協定」批准に関わるニュースもベタ記事程度の扱いしか見られないように感じました。しかし、米中による気候変動枠組に対する積極姿勢は、相当に戦略的なものであることを我が政府は見抜くことができないくらい愚かというしかありません。6月の伊勢志摩サミットにおいてもこの問題は話し合われ、「2016年発効」と言う具体的目標が設定されたにもかかわらず我が政府は「静観」などと言い、また5日の菅官房長官は「具体的な時期については現在、政府で検討中であるが、できるだけ早くと考えている」などとのんきな記者会見を行っています。米中がこれまで地球温暖化対策に背を向けて来た態度から180度の転換を図ったことは大きな衝撃であり、1992年の地球サミットアジェンダ21からおよそ四半世紀の時間を掛けて、「地球温暖化問題」は「科学」「経済」の枠から「国際政治」の枠へその本質を変えることになります。

今回の米中批准について、表面的には、米国はオバマの政治的遺産としての置き土産であり、また習近平路線の国内締め付けの手段と言う見方もありますが、それは文字通り皮相というものでしょう。今、世界政治は中東における混乱や極東の緊張など軍事的緊張を拡大するなかで、IMFWTOGATT)、NATOなどおよそ半世紀以上経った世界システムの枠組みの変動が静かに進行しています。 世界の警察官を任じた米国が単独主義への意向を模索する一方、ロシア・中国等の新興経済国(BRICS)が台頭、上海協力機構など脱欧米型同盟も誕生する中で、中国が中心となったアジアインフラ投資銀行(AIIB)が立ち上がったことは、いわゆる世界構造の多極化(脱欧米中心主義化)であることは間違いありません。そういう流れの視点から我が国の世界における動向をみると、「日米同盟」という旧式枠組みへの絶対的固執以外の何ものでもなく、更にそこには国家としての世界戦略を自ら描くことなく、宗主国たる米国への追従という独立国として恥ずべき対応と言わざるを得ません。今回の「パリ協定」の米中批准は、このような世界政治変動の中で行われたものであり、米中による世界的課題への共同化の動きとしてそれは評価することができるでしょう。

後先になりましたが、中国、米国という世界1位、2位の温室効果ガス(GHG)排出国が同時に締結・批准を行うことの意味は、今後のCOP22以降のヘゲモニーを両国が取るという意味でもあり、それは、「パリ協定」の目指す21世紀後半までの脱炭素化(正味ゼロ排出)という最終目的地を国際社会が共有し続けることの宣言とも言えます。具体的には、米中双方とも、「長期低GHG排出開発戦略」を発効目標の今年中に策定・発表することで合意しています。翻って我が国では、やっと環境省経産省で専門委員会がたちあがったところですが、米中が明確に2025年目標(米国)、2030年目標(中国)を掲げる中で、我が国は、2050年目標という神仏への願いのような態度であり、「温暖化対策は非常に長期的な問題であり、2030年まで頑張ればいいのではなく、もっとその先まで、今から100年以上かけて取り組まなければいけないという問題意識が必要だ」(地球環境産業技術研究機構 山地憲治所長)などという言い訳に終始しています。

「パリ協定」においては、もう一つ「温暖化による気温上昇を産業革命前に比べ2度より十分低く抑える」という長期目標があります。これによる、新たな温室効果ガスとしてハイドロフルオロカーボン(HFC)や航空部門からの排出取り組みなども議論が検討されることになっていますが、これを先述の「政治的」から見ていくと、自国へ有利な状況をCOPにおいて決定するという米中両国の思惑があるのは間違いないでしょう。そこには、「温室効果」のある「行為」そのものに「規制」を掛けていくという政治手法、それを科学技術の独占化・寡占化による世界標準へ囲い込んでいくという深謀遠慮の政治戦略を見てとれます。そもそも、先述の1992年地球サミットにおいては、人類共通の地球環境の保全と持続可能な開発実現としての課題として、生物多様性酸性雨、オゾン、温室効果、、、と様々な地球環境影響要因がパラレルに議論されましたが、特に二酸化炭素をターゲットにしたのは英国を中心としたEUの新しい金融取引の創造の狙いがあったと思われます。現状では排出権取引市場は彼らが目指したほどの成果を上げてはいませんが、今回の米中協定により、排出権取引を始めとする「CO2の貨幣価値」をめぐる様々な議論が活発化されることは間違いないでしょう。

ふり返れば、「京都議定書」という世界的ネーミングを頂いたにも関わらず、我が国はそれを活かすことが出来なかったのははなはだ残念に思います。「おもてなし」や「スーパーマリオ」も結構ですが、「京都議定書」の失敗を、米中不参加と言う当時の事情を根拠にするのは、今回の真逆の状況を見れば、21世紀の世界を想像俯瞰する知恵が我が国にはなかったということでしょう。現政権は良く「未来への投資」という言辞を多用しますが、果たして本当に彼らは「未来」を深く広く且つ戦略的に思考(・志向)しているのか、はなはだ疑問と言わざるを得ません。

最期に、「科学と政治」について一言。科学が政治に利用されることは近代以降否定できない事実です。しかし、「象牙の塔」或いは「専門家(領域)」という現実社会との関係性を意識的或いは無意識に断絶した中では、「科学」自体の進歩もありえないのではないでしょうか。確かに「政治」はイデオロギーの対立をその本質の一つとしていますが、「科学」がそのことを避けて傍観者となるのではなく、積極的に「政治」に関与していくべきだと思います。この点については、古くはマックス・ウェーバーから現代に至るまで、様々な議論がなされていますが、非常に興味あるテーマです。