脱原発と脱温暖化と太陽光発電

FIT制度が今年度(2019年)で10年を迎え終了するという。そもそも「10年間」という制約があったため突然の出来事ではない。太陽光発電を含む再生可能エネルギーへの関心が高まったのは、もちろん2011年の東日本震災による福島原発の崩壊がその大きな要因であった。震災以前にも、「地球温暖化」というマターが再生可能エネルギー導入の動機づけとしてあったが、原発を基本エネルギーとしているわが国においては、エネルギーの継子扱いでしかなかった。しかし、原発崩壊を目の当たりにした我々は自らの生存の危機を本能的に感じ取り、救いを再生可能エネルギーに求めたのは間違いのない事実である。当初の再生可能エネルギー導入の意志はまさに「生存」であったのだが、原発推進派の猛烈且つ欺瞞的技巧的論述により、「生存論」から「経済論」へ変質させられた。その論拠となるのが「原発が温暖化防止に貢献する」だった。「論争」というものは立場を変えればその論拠はその立場に立つものにとっては成立するものであり、特に様々な前提条件の設定が可能なエネルギー経済論争においては絶対的な解は得られない。しかし、「生存論」というものは果たして「経済論」として成立するのだろうか。震災後に国内外で大きなうねりとして起きた「再生可能エネルギー導入」の動機はまさに前述したとおり「生存」であったのだが、今回のFIT終了はそのような再生可能エネルギー導入の基本的な精神をもう一度思い返すきっかけになるのではないか。(低炭素ニュース6月号投稿)

※補筆
私は、「生存」と「経済」を同次元で語ることについては、非常に懐疑的であり、本質を見誤らせる危惧を感じます。