因果関係と内省

科学が発達し、また人間自身が自らをある程度客観視することが出来るようになった今日、世の中で起き得る事象について、必ずその因果関係を突きとめようとする人間の情熱は、これまで知らなかった世界への扉を開けているように思えます。しかし、そのことが自らをまた迷宮入りさせるという”相反”状況に陥っていることに気付かない様相があるように思えます。
 冒頭から抽象的な書き出しになってしまいましたが、例えばこの夏の暑さについて、気象庁は毎日のように各都市部の最高気温をセンセーショナルに報告しており、我々も「地球がおかしい」「温暖化だ」などと「異常気象」的に見ていますが、実は都市部の場合、その暑さの原因は「自然界」にあるのではなく、人間が作った「都市の構造」の中にこそ原因があります。いわゆる「都市熱」ですが、走る車は別名「走るボイラー」と呼ばれており、エアコンの室外機か排出される空気は熱交換により、より高温となって外気に排出されます。
 いつの頃からでしょうか、人間は科学を絶対視する風潮により、様々な事象における因果関係を自らの内に求めることなく、自らの外部にその原因を求めているように思えます。常日頃、ともすれば私たちは、何かあると直ぐに、責任や原因を外に求めます。こうなったのも「あいつのせいだ」「あいつが諸悪の根源だ」のような思考を無意識に行っていないでしょうか。
「内省(ないせい)」という言葉があります。意味は非常に簡単です。「自分自身の心のはたらきや状態をかえりみること」「自分の考えや行動などを深くかえりみること」です。便利と思い、車やエアコンを使う生活が自らを苦しめているこの夏の高温に対して、「異常気象」のせいにするのではなく、自らの生活の在り方を「内省」することから、この高温対策は始まるように思えます。
 そういう意味では、現在の政治への不信も、政治家そのものに原因があるという見方だけではその悪状況を変えることはなかなか難しいのではないでしょうか。政治に対する「内省」とはどういうことか、と問われればなかなか即回答はできませんが、政治への不信を感じているとすれば、一度自分自身を振り返る必要があるのかもしれません。
 自らの周りに起る様々な事象に対して、その因果を「外」にばかり向けるのではなく、「内」にも目を向ける努力をいまこそ行うべきなのではないでしょうか。「因果応報」という言葉がいつになく心にしみるこの夏の暑さです。

 

<低炭素都市 ニュー ス&レポー ト【2018年】 7月20日号(第77号)より>