学長

大学3年次(21歳)に「学費値上げ問題」に端を発した学園紛争において、学校をロックアウトして学長室で学長とタイマンで話し合った。別の表現をすれば「学長を軟禁」という行為だったのだが、学長は当時70過ぎと思われたが、実にシャンとして威厳を保っていた。「この若造ども」と彼は思ったのかもしれない。「軟禁」は結局一昼夜の「対話」の後、学長の体調を考慮して、「解放」したのだが、その途中で彼がトイレへ行くことになり、その“お供”として私が付き添うことになった。学長が用を足している時に私は、彼に、「このような形で学長と話さないといけないというのは不本意ですが、学長もそれなりの覚悟でいてください」と言う主旨のことを言ったことに対し、彼はズボンのチャックを閉めながら、「君らは君らの考えで行動し、私も私の考えで行動するだけだ」と毅然として言われたとき、行っている違法行為へのおののきもあったのだろうが、それ以上に学長の態度に対する畏怖感というものを感じたものだ。学費問題の根底に学校法人の名を利用した土地取得取引があり、学園理事長と学長へのその真偽を確かめるというのが「対話」の目的ではあったのだが、一昼夜の話は最初はそれなりに対峙感は強かったものの、時間が経つうちに、双方に摩訶不思議なコミュニケーションが生まれたのも事実だ。ちなみに、学長は山田良之助氏、理事長は五島昇、学校は武蔵工業大学東京都市大学)だ。学長、理事長とも物故者となっているが、今から45年前の話である。日大当局が何かといえば「コミュニケーション不足」という言辞を吐いているが、一度、学生は学長室を占拠して、本当のコミュニケーションを創造したらどうだろうか。