せごどん(大河ドラマ『西郷どん』)

私的なことで恐縮です。過日、家人とともに二人の故郷でもある鹿児島へ墓参帰郷してきました。一緒に帰省するのは15年振りとなります。3泊4日のちょっとした小旅行でしたが、墓参という義理的旅行とはいえ、やはり心は躍るものです。鹿児島空港に到着するやいなや、ある種の予感はありましたが、かの地は大河ドラマ「西郷どん」一色で、お土産パッケージも同じく右倣えよろしく、相変わらずも薩摩らしい”てげてげ”(薩摩弁:”適当な”の意)ぶりが何とも心地よい滞在ではありました。西郷生誕地の甲突川(こうつきかわ)河畔は綺麗に観光化されており、幼少時や学生の頃の面影は全くなくなっていたのが何とも残念でしたが、これも時の流れなのでしょう。

 さて、当地の方々と話していると、今回の大河ドラマについては、賛否両論があるようです。「維新」と「西郷」と聞けば、おなじみ司馬遼太郎的というか、政変劇、革命劇としてのどちらかといえば男性的な話が定番ですが、今回の大河ドラマの原作者である林真理子氏は当初から「西郷隆盛をめぐる女性の物語(にする)」と公言していました。また彼女の原作には、以前同じ大河ドラマ篤姫』の脚本を担当した中園ミホ氏が同じく脚本家として加わり、二大”女傑”文芸家による、まさに「女目線」からの「西郷隆盛」となったことが、当地の西郷信奉者にとっても「理解困難(笑)」なものとなっているようです。確かに西郷は3度結婚している(×2)のは事実であり、巷間「女に甘い、女好き」という評判も無かった訳ではありません。また、3度の結婚の2番目の奄美大島の愛加那さんとの間に出来た子どもを「菊次郎(1860年)」と名付けたこと、3度目の結婚で生まれた子供に「寅太郎(1866年)」と名付けたことから、「愛加那は本妻ではなく愛人だった」「女性蔑視」などという見方もあります。また、真偽はわかりませんが、林真理子氏の原作によれば、京都においても西郷さんは良くモテたようで、祇園の芸者、或いは料理屋の仲居などとも”親しかった”ようです。ちなみに、この仲居さんは「豚姫(篤姫ではありません)」というニックネームがあったようで、どちらかと言えばふくよかタイプが西郷さんの好みだった(笑)ようです。最初の結婚に失敗した時に「一生不犯(一生を通して異性と交わらないこと)」とつぶやいたそうですが、その志がすぐ折れてしまった西郷さん!(笑)江戸城明渡や戊辰戦争西南戦争などのイメージからすれば全く想像できない一面ですが、「女好き、女たらし」というのではなく、女性の方がほっとくことが出来ないような存在だったのでしょう。ある意味では、だからこそ彼に交わる男どもも「(彼を)ほっとくことが出来ない」と思うほどのいわば「人間たらし」だったのでしょう。西郷の座右の銘の『敬天愛人』という言葉に含まれる意味として西郷の女性関係を考えれば納得いく西郷像ともいえます。

 大河ドラマはまだ始まったばかりでどちらかと言えば視聴率が結構低いようですが、西郷像への戸惑いがその結果に表れているのかもしれません。林真理子氏と中園ミホ氏がこれからどのような「西郷隆盛像」を描いていくのか、暫しあらたな視点から注視してみたいと思います。

 

<DAIGOエコロジー村通信2018年3月号より>