AI(人工知能)と人間社会

毎日のようにテレビや新聞、或いはネット上で「AI(エーアイ)」という言葉を聞かない日は無いくらいですね。囲碁やチェス、将棋などで「人間に勝った」などと言っているうちは可愛いものですが、私たちの仕事を奪い、そして私たち自身の人生までもコントロールすることが可能である、などという解説を聞いていると、新しい技術としても手放しでは喜べないでしょう。「AI」が単なる技術と違うところは、これまでの技術が、車やメガネ、各種機械など、いわば人間の手足、或いは目、耳など「肉体」の代替延長にあったものが、「精神」の領域にまで入り込んできているということです。自動運転技術というものも、自動車そのものは人間の足代わりとして開発されて来ましたが、その自動車に「AI」を組み込むことによって、自動車自身が「思考」するという、ある意味次元の違う世界になります。「AI」はディープラーニング(深層学習)という、人間の脳の仕組みを応用した特殊な機能の技術を駆使して自らを成長させます。これまでの機械的な技術しか見ていない私たちにとって、「AI」という技術をイメージするのは少し困難ですが、良く報道されるロボットのイメージだとなんとなく理解できるでしょう。ロボットも人間の僕となって人間の手助けをしてくれるだけであれば非常に助かるものでまた便利なものですが、彼ら(敢えて「彼ら」と言います)が自ら学習を極め、人間を支配下に置くという逆転の可能性は非常に高いように思えます。「AI」が人間の仕事を奪うという現象は、まさにその逆転ではないでしょうか。「ロボットと言っても所詮は人間が管理するから大丈夫」という声もあるかもしれませんが、先述の逆転現象は私たちの身近なところからじわじわと起きているように見えます。私の感覚からすれば、自らの健康を全て病院や健康診断に委ねることも。この逆転現象の一つです。人間の医者が病院から放逐される日も遠くないかもしれません。「AI」で無くなる職業の中に医師も想定内です。さて、しかし、このような状況を嘆いてばかりでは、本当に「AI」に身も心も占領されてしまいそうですが、良く考えれば、根本的、本質的なところに行きつきます。それは、古代からの哲学、或いは宗教にも関わる「私は何者か」「私は何故生きているのか」という問いかけです。これは「脳」の問題ではなく、「心」の問題です。人間には「心」という摩訶不思議なある意味非合理な世界があります。果たして、「AI」は「心」の領域にまで介入することができるのでしょうか。もしできるとしたら、それは「AI」が能動的に進化するということではなく、人間自身が「AI」に自らを合せていくという生き方を選択した場合のみでしょう。昔、「あなた人間辞めますか」という覚せい剤のCMがありましたが、まさに「人間が人間を止めた時」が「AI」が「神」となる時なのでしょう。しかし、「人間を止めなかった人間」にとっては、「AI」は「悪魔」でしかありません。さて、貴方は人間を止めますか、それとも人間であり続けたいですか!!