【批判ではなく敵認識を持て!】

坂本龍一氏を批判するつもりはないが、「体制批判」の限界性を現実は示しているように思える。ヘイトスピーチにしろ、ネトウヨ或いは政権与党の議員の言動にしろ、その「低レベルさ」を「体制批判」側は責め立てるのだが、相手には全然響いていない。それは彼らが”馬鹿”なのではなく、「体制批判」側を彼らは「(打倒すべき)敵」と認識しているからなのだ。北朝鮮のある意味での”強さ”はまさに国家・国民が相手(米国・”国際社会”)を「(打倒すべき)敵」という具体的な認識をしているからに他ならない。我が宰相、安倍晋三が先の都議選で言い放った「あのような人たちには負ける訳にはいかない」という”有名”な言葉は、彼の意識の「敵認識」を図らずも露出した訳だが、この「敵認識」が彼のある種の強さの要因ともなっている。「体制批判」側はいろいろな言動を行うが、その語調の強さに反比例し、たとえば国会前デモにしろ、相手を「(打倒すべき)敵」と認識しているとは到底思えない。『ポスト・マルクス主義と政治 根源的民主主義のために』の著者のエルネスト・ラクラウはこのような「敵認識」を「敵対性(agonism)」と言う言葉で説明している。彼によると「敵対性」とは「他者の現前によって自己の十全なアイデンティティが損なわれるという経験」であり、”表面的表層的な調和を求める”のではなくこのような「敵対性を基礎に置くことによってこそ真の民主政治が可能になるとしている。まさに「体制批判」側に欠如しているのは「敵認識(敵対性)」であり、これを持たない限り、民主主義を勝ち取ることは不可能ということだ。

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