救急搬送記

関わっているNPO活動の一環で行っている炭焼活動作業で怪我をして救急搬送され、丸二週間の入院生活を送りました。怪我は、除草中に自らの刈払い機(エンジン草刈機)で自らの足を切る、という悲惨ながらも無様な自損事故でした。原因はチップソーという丸鋸状の刃の緩みで機械全体が大きく振動、通称”肩掛け”という呼び名もある刈払機は必ず肩紐を装着して作業を行うことが原則ですが、横着にも紐掛けもせず、また振動時にエンジン停止という操作も行わずに”離した”ことで機械がキックバックにより、私めがけて「鋸刃が飛んできた」ことです。私はとっさに体を捻ったのですが、一瞬遅く、刃は私の左大腿部にぐさりと回りながら食い込んできました。その瞬間に傷の深さは認識できました。思わず切れた作業ズボンの中の傷を見ました。それは、今まで直接見たことのない、しかし確かに私自身の肉体を構成している生の“筋肉”でした。色は白かったように思います。現場から多量に出血する患部を押さえながらおよそ50メートルほど駆け下り、仲間に止血の要請を行い、足の付け根をとにかく縛り付け、119番通報。待つことおよそ30分。その間の私の心情は推して知るべし。とにかくショックの後の不思議な冷静さと激しい動揺の繰り返し。さて、救急隊員到着の声に少し気持ちが楽になり、彼らに身を任した時に、「後はすべて天命に従うしかない」と思いました。隊員は沈着冷静に私の傷口を判断。無線での「…収容。傷は・・裂傷・・・長さ20センチ、深さ5センチ・・・」という声が聞こえ、初めて自らの傷の客観的状況を把握し、これで「安心」と思ったのですが、しかし事は思わぬ方向へ展開したのです。いざ、搬出!という段階で、現場の地形(山中山道)では救急隊員持参の担架では危険、と言うことになり、山中専用担架(というのかどうか知りませんが)が必要なため「山岳救助隊を要請します」という救急隊の通知が為されました。後から考えれば、救急隊としては私の止血状態や傷の程度からして「緊急性」の尺度を下げ、より安全な搬送を選択したのですが、「天命に任す」などと思いながらも片方では一刻も早い処置を望んでいる私としてはある意味「寝耳に水」という気持ちで、また”覚悟の揺らぎ”が出て来ました。仲間の「大丈夫だ!」という励ましも、私の気持ちを代弁するような不安がわかるような声でした。その山岳救助隊が到着したのが、やはり30分後。担架は、よくテレビなどで見る山の遭難時に使用される「バスケット担架」というものでした。担架は救急隊員ではなく、山岳救助隊員によって担がれました。現場から道路までは、およそ100メートルほどの細い傾斜地山道を通っていかなければなりません。結局、担架から下され、”念願の”救急車に乗せられたのは、事故からおよそ2時間近く、また搬送先の病院到着時は3時間以上経ってからのことでした。後日談ですが、このように事故発生から病院着まで3時間もかかったとすれば、仮に切り口が動脈や顔面、首などであれば、「出血多量死」ということも充分考えられた様な事故であり、それが大腿部と言う体の中でも一番”肉厚”な部位であったということは「ラッキー」以外の何物でもない、というコメントを搬送先の医者から聞かされました。まさに「九死に一生」と言えるのでしょう。ちなみに私の不注意による事故によりかり出された救急隊員・山岳救助隊員はおよそ20名ほどいたそうです。これらの経済的コストは如何ほどだろうか、等と安静状態のベッド上で考えることが出来たのは、事故直後のあらゆる肉体的精神的動揺がとりあえず消えた手術後のことでした。

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