中曽根語録にみる安倍政権とのイデオロギー闘争

先に少し長くなるが、中曽根康弘氏の著書『日本の総理学』(PHP)から引用する。

『  近頃の政治家が目先のいわば臨床的な措置しか語っていないように思えるのは私だけでしょうか。みななりたての新米医者のようなことを言う政治家ばかりで、病理学を熟知した病院長が見当たらないのです。日本社会も同じように臨床的です。深い歴史観や哲学に裏打ちされた、医学で言えば体系の上に立った病理学的見方が欠落し、すべてが表面的、表層的、かつ瞬間タッチ型なのです。日本人の精神を貧困にしている一番の原因がまさにここにあります。私には、国民のみなさんがいま乾燥しているように見えます。人間の「情」、あるいは歴史的な連続性への「憧れ」、さらには喜びや悲しみを大事にするような「心」、そうした潤いが感じられないのです。それはなぜか。私は日本社会が物事を判断する価値基準を失ったことが原因だと思っています。今日、確かに頼るべき価値判断基準はありません。そうだとすれば、日本や世界の歴史を良く学び、歴史の中から「国家はこうあるべきだ」、「社会はこうあるべきだ」、「人間はこうあるべきだ」と言った原理・原則を私たち自身で獲得していく以外方法はないのです。とりわけ一国の指導者は、自ら先達となるべく、勉強し、日本の柱となる思想を体得し、それを国民に示しながら政治を進めていく必要があります。国会での論戦も、まさにこうしたことをテーマに議論すべきなのです。 』(  『日本の総理学』(中曽根康弘)【歴史に耐えうる決断とは】より引用)

  主義主張も180度違い、当然歴史観、国家観も真逆の中曽根氏だが、上記の発言を否定する理由はなにもない。否それどころか、まさにその通りなのである。かれはこの著書の中で、国家とは何かを説き、憲法改正を説き、教育を説いている。私は、今の安倍政権を社会病理学的見地から見た場合、まさに社会というより、政治そのものに”病理”をみたのだが、皮肉にも思想的立場の真逆の中曽根氏も同じように、病理学的見解から政治と社会を見ていたことに少し驚いている。しかし、彼と私が根本的に違うところは、政治家は医者ではなく患者という認識である。国民主権とは国民自身が政治を行うことが基本であり、社会に病巣があるとすればそれを直す医者は国民自身でしかない。政治家とはたんなる代理人に過ぎない。しかし、社会病理的患者である政治家の言葉をいとも簡単に信じることもこれまた病理的と言わざるを得ない。さて、そのような中曽根氏と私の主語が転倒した見解ではあるが、やはり彼が言っていることは正しい。日本の戦後体制の根本的変換、それは戦前回帰の思想ではあったが、ハッキリと政権がその方向を示したのはやはり中曽根康弘氏がその発端であろう。安倍政権は突如突出した極右思想を持ち込んだ訳ではなく、およそ数十年と言う流れの中でイデオロギー醸造・熟成されてきたのであり、安倍政権はその流れにのっかかっただけである。

中曽根氏の言う、「日本や世界の歴史を良く学び、歴史の中から・・・・・・・・・・と言った原理・原則を私たち自身で獲得していく以外方法はない」という言葉を、安倍政権に抵抗を示す国民勢力は重く受け止めなくてはならない。安倍政権に翻弄され、彼らの社会病理的表層だけを抵抗の対象としている限り、彼らが仕掛けたイデオロギー闘争における彼らの勝利は目に見えている。そういう意味からも中曽根氏の言葉を借りれば、「日本社会が物事を判断する価値基準」「日本の柱となる思想」そのものを抵抗勢力側は持たねばならないだろう。「憲法守れ!」はイデオロギーにはならないのである。「森友」或いは「加計」では安倍政権は倒れないし倒せないのである。

※冒頭の中曽根氏の言葉の「政治家」を「国民」に、「国民」を「政治家」に置き換えて読んでみると分かりやすいだろう。