グリーンエネルギー革命と社会変革

安倍政権の極右シフトが言葉狩りにまで影響を及ぼしそうなこの頃です。ところで「革命」という表現は様々な状況で使用される日常語的な表現ですが、意識的に曲解されて、無条件に血生臭いものだと考えたり、甚だしい暴力行為が行われる無秩序な社会状態が出現することだと考える人もかなりいるようで、「革命」という言葉にも、そのうち何らかのバイアスがかかるかもしれません。「日本の政治に革命を!」などと叫ぶだけで「共謀罪」を問われそうな今日の情況です。さて、前置きはこのぐらいにして、2012年に当時の民主党政権が「私たちの手でグリーンエネルギー革命を実現しよう!」というキャッチフレーズで『グリーン政策大綱(骨子)』を唱えました。原発事故の直後ということもあり、政権の責任も踏まえ、そこで挙げられた項目は「原発ゼロ」を目標にかなり、確かに「革命的」な提案となっています。「IT革命」と比較する「グリーンエネルギー革命」の絵柄では、「政府・電力会社」と言う項目で、主役の交代を「消費者」或いは「ベンチャー企業」と位置付けています。しかし、この大綱(骨子)を出した直後の政権交代により、安倍政権はこの『グリーン大綱(骨子)』の真逆の方針(原発容認)を『エネルギー基本計画』として出して来たのはご存じのとおりです。  社会が進展進歩するのは、直線的ではなくかなりいびつな線を描きながら進んでいく訳ですが、「ターニングポイント(T.P)」或いは「エポックメーキング(E.M)」と言われる切っ掛けが必ず存在します。福島原発事故を歴史的観点から見た場合、かなり「T.P」「E.M」的事象であったことは疑いもないでしょう。先の『グリーン政策大綱(骨子)』では、「グリーンエネルギー革命によるイノベーションの連鎖で新たな仕事・会社(※)が生まれ、産業構造が変わっていくこと」と表現しています。単に技術の変更ではなく、文字通り「新しい社会」を目指すことこそが、「革命」ということになるのですが、「低炭素社会」を目指すのであれば、やはり単に技術の変更だけではなく、「社会(構造)の変革」というものを見据えて行わなければ、いつまでも社会というものは変わらないということでしょう。先の民主党政権に「社会変革」という気概まであったかどうかは、現在の民進党を見れば一目瞭然(※「会社」を「社会」と表現しない!)ですが、少なくとも、原発事故直後の政権にはその表れを感じさせる動きはあったように思います。世界の右シフト傾向やきなくさい「戦争」の匂いなどが顕在化してきている現代は、後の世から見れば確かに「T.P」「E.M」だと言われることは間違いないと思われますが、余りにも「現実」を優先させる流れを、たとえユートピア的であろうと「社会変革」を伴う「未来」を見据えた様々な決断・決定の流れに少しでも変えていく努力こそ、「歴史的生き方」と言えるのではないか、と思う次第です。