余命1か月

さてこのような文章を書くことを当初ためらったのであるが、思うところあり書くことにする。

昨日の夜、真の兄弟のように付き合う従兄弟から電話があった。時々会っていることもあり、「また何か用でもできたのだろう」という軽い気持ちで応答した。しばらく無言。そしてその後「、、、あと3か月の命と言われた、、、」という涙声の従兄弟の声を耳にした。唖然、そして絶句である。どう言い返せばよいのかわからずまま、こちらも無言になってしまう。頭の中で、従兄弟の伝える言葉の真実と真意を自問自答する。その間、わずか数秒程度のことだろうが、やっと「どういうことだ」と切り返す。「日曜日に胃がちょっと痛くなり、病院で検査入院したんだ。そして今日その結果を告げられた。すい臓がんで胃まで浸食され、どのような処置ももう効かない段階ということだ」と咽びながら従兄弟は答える。私は、「そんなことないだろう。何かの間違いだろう」と慰めにもならない、勝手な願望の言辞も会話の流れで話したような気もするが、「とにかく明日、病院へ行くよ」と返すのがやっとだった。電話を切った後、頭の中で従兄弟との出会いのさまざまな場面がフラッシュライトのように浮かんでは消え、何とも言えない重苦しい気分に見舞われ、その晩は寝付けぬままに朝を迎えた。「あって何をどういえば良いのか」、朝からその事ばかりが頭を離れない。従兄弟と約束したのは午後5時だ。東京では彼の親族は私しかいないこともあり、「担当医の話を聞いてくれ」と従兄弟が病院側に要請したとのこと。病院へ向かう車中でも、「どういう態度が彼を傷つけないことになるか」「もしもの場合、どのような段取りを(私は)取るべきか」「余命3か月という期間にできること、しなければならなことは何か」ということばかりが頭を巡る。頭の中では、私は「余命3か月」という従兄弟への宣告を私自らへの宣告のように感じながらも、また「(従兄弟は)私に何を要請するのだろうか」という身勝手な不安も同時に湧き起る。また、「死」というものを無理やり冷静に捉えようと、目線は車中の乗客の全てを追いながら「(乗客の)彼らもいつかは死ぬ。誰でも。それは早いか遅いかだけだ。」と必死に考えようとする。そのようなあらゆる感情が入り乱れる状態のまま、病院の前でしばし立ち止まること数分。意を決して意図的に明るい声で、「病室はどこだ」従兄弟に電話する。従兄弟に教えられた病室へ足を運びながらも、彼の顔を見ることに耐えられない気持ちは未だに続いていた。病室で寝ている彼に声を掛ける。思ったより、落ち着いた感じで答える彼に、私の不安は少し消え、何とか普通に振る舞う。談話室で従兄弟と二人きりになり、私は普通に「気分はどうだ」と聞く。従兄弟は「大丈夫だ」と答える。どう切出せばよいか、私は少し逡巡しながらも「医者の見立ては医者の側からの見立てでしかない。彼ら(医者)が我々の生命を完全に司っている訳ではない」などと理屈をいう。彼はそれにうなずくとも心ここに非ず、という感じだ。と、突然彼が泣きだし、私の手を取って、「あとをよろしく頼む」と何度も何度も頭を下げる。私も一緒に泣きそうになったが、従兄弟の負けん気の性格と気質を知っている私は敢えて冷静を装い、「わかった。大丈夫だ」と答える。そのようなやり取りがあった後、担当の主治医の話を聞くことになる。主治医は若い。まだ30代後半ぐらい私の息子の世代だ。従兄弟が(症状説明を)頼んだからだろうか、彼(主治医)は、従兄弟に「昨日と同じことしか話しませんよ」と、言いながら私に、従兄弟のカルテの画像を見せ、CTスキャン画像、MRI画像などに写る諸患部の説明を坦々と行う。そして、「早ければあと1か月しかもたない」と、ハッキリと言う。癌の告知について、このようにストレートに、しかもまるで車の故障を説明するような口調に相当な違和感を覚える。私は、その時何故か急に冷静になり、主治医に対するある種の敵愾心も手伝い、「なるほど、わかりました。先生のおっしゃることに多分間違いはないでしょう。これから先は医療を超えてあと残りの人生をどう生きるか、ということから考えないといけないということですね。ただ、あと1か月と言うのは、個人によってかなり差があるのではありませんか」と、私と従兄弟は普通とはちょっと違う人生を歩んで来ているということも付け加えて、軽く質問を投げる。彼は答えた。「精神力で何とかなるというものではありません。気持ちも行ったり来たりをくり返すでしょう。これから多分痛みが徐々に増して来ます。治療は麻薬しかありません」と。その時、部屋には主治医と私と従兄弟の他に担当の女性看護師の4人がいたが、死刑宣告にも等しい非常にヘビーな会話にも関わらず、本当に坦々と事務的に進んでいく。一瞬、なにか演劇中の人物になったような錯覚にとらわれ、従兄弟に対して「とにかく残された時間内にできることをやろう」と声を掛ける。彼も私と同じように、さも劇中の主人公のようなうなづきをしたように見えたのは、しかし、私が実はそう思いたかった意識下から出た感覚だったかもしれない。主治医との話は20分ほどで終わる。主治医の一貫した助言は身体が動くうちに身辺整理を済ませ、仮に故郷へ帰るのであれば早いほどよい、ということだった。彼はこのような症例に若いながら結構付き合っているのだろう。彼にとっての対患者マニュアルに沿った言動に見える。従兄弟に病室で別れを告げ、帰りの車中は少し気持ちが軽くなっていたのは何故だろうか、と考える。死へ赴くものへの生者としての申し訳なさなのか、或いはアリバイ作りか。

事態はまだ進行中である、、、、、、、。