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チャーチルの寓話とエコロジー村

よく聞かれます。「何故、エコロジー村は皆さん仲良くそんなに長く続いているのですか?」という疑問。エコロジー村は開村(1996年)して20年過ぎました。確かに、メンバーの入れ替えはそれぞれの事情によりありますが、古い新しいに限らず、メンバー仲良く活動をしています。長続きの要因はいろいろなことが考えられますが、「炭を焼く」という行為を通じての共有できる価値観を持っていることが大きなように思えます。
イギリスのチャーチルはいろいろな場面で寓話を使うのが上手い政治家でしたが、それぞれが自分だけの価値観に拘ることの愚かさについて次のような話をしています。
『昔々、動物園の動物たちが全員一致で暴力を放棄して平和に暮らそうと決めました。そこで、サイが「牙を使うのは野蛮なので禁止しよう。しかし、角は自分の身を守るために使うので許しても良い」と主張しました。これに牡鹿とヤマアラシは賛成しましたが、トラは「角は使うべきではない」と言い、反対に「牙やかぎ爪は賞賛されるもので、全く危険なものではない」と主張しました。すると、最後にクマが、「牙もかぎ爪も角もすべて使うべきではない」と言い、その代わりに皆の意見が一致しない時は、相手をしっかり抱きしめることにしよう」と提案しました。』
 チャーチルは、この話を軍縮キャンペーンの一環として使用しましたが、「この動物たちは皆、自分が暴力を使うのは平和と正義のためだけに限ると信じている。だが、道徳性が暴力や権威や支配の正統性を示す確固とした根拠になるのは、異なる見方や価値判断を排除した時だけである。異なる価値観を受け入れれば、そのような体制は即座に崩壊してしまう」と説明しています。
この説明はちょっとわかりにくい部分もあります。「価値観の多様性を認めること」が良いのか、それともそれは認めずに「多様な価値観」の上部に新たな共通の価値観を作るという話なのか。大きな世界政治の話ですので、チャーチルはもしかしたら国際連合のようなものを思考していたのかもしれません。(※ちなみにこの寓話は1928年のものです)
 さて、小さな世界のエコロジー村は、それぞれメンバーの持つ価値観の上に新たな価値観を作っている訳ではありません。もちろん最低限のルールはありますが、それは各人が持つ価値観とはレベルがちょっと違う話です。チャーチルの寓話に当てはめれば、メンバー(各動物)がそれぞれ自己主張を通せば、集まりは崩壊してしまうでしょう。冒頭に「炭を焼く行為を通じた共有できる価値観があるのではないか」と言いましたが、これはあくまでも私個人の意見です。確かに、エコロジー村の活動は現実的な金銭を得るための活動ではなく、とはいえ、各個人がバラバラに個人の趣味として行動している訳でもなく、とはいえ、何かの具体的な目標や目的のために一致団結して活動している訳でもありません。が、確かにこの20年を通じて、何らかの「共同」或いは「協同」「協働」という”価値”に包摂されているように感じます。自然に作り上げられたとも言えますが、小さな世界の何気ない集まりの中に、もしかしたら今世界が求めている”形(カタチ)”のヒントがあるかもしれない、などと山の中で倒した木の枝を払いながら思う春を迎えるある日の話でした。