2017年年頭に思うこと

あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願い申し上げます。
震災以前から毎年のように「激変の年」などという言辞が年始を賑わしている今世紀ですが、今年は「変化」の表象が抽象から具象、言辞から行為、他人事から自分事へと、まさに「激変」を自らが自らの問題として捉えるべき年となると思えます。そのもっとも顕著な出来事の一つがD.トランプ次期米国大統領就任であることは日本国のみならず世界中の共通でしょう。トランプ就任を巡って右往左往している世界の状況は、やはり米国が世界を動かす唯一のエンジンとなっていることを示すものですが、彼が得意のツイッターでわずか数行つぶやいただけでTOYOTAの株が200円も暴落したという事実は象徴的な出来事のように思えます。就任前までにこの手法を使えば、彼は個人的に短期間に巨万の富を所有できるでしょう。また大統領としてのアメリカの利益確保も、ややこしい外交交渉取引を介在させることなくできることも証明しています。「そういう手法が長続きする訳がない」という反論はありますが、彼の役割は“維持”ではなく“破壊”です。対象が破壊されれば次の対象を狙うだけです。
昨年のニューズウィーク誌8月号に、元CIA諜報員のグレン:カール氏は「古代の賢人が警告してから2400年後、そして近代初の民主共和制の国アメリカが誕生してから240年後の今、賢者の警告を裏付けるようにトランプは出現し、アメリカの政治制度を破壊しようとしている」と記しました。彼の言う、“賢者の警告”とは古代ギリシアの哲学者プラトンの『ゴルギアス』に出てくるカリクレスの「すぐれた者は劣った者よりも、また、有能な者は無能な者よりも、多くを持つことこそが正しい」「正義とはつねにそのようにして強者が弱者を支配し、強者は弱者よりも多く持つという仕方で判定されてきた」という故事を指していると思われますが、「トランプがそうする」、と言う前に世界は既にそのような状況にあったのであり、トランプがそのことを顕在化させたということではないでしょうか。富の一極集中、格差貧困の拡大は先進国、新興国問わず国と言う枠内でも顕著に起きていることです。私から言えば、トランプもオバマも同じであり、これまで隠れてやっていたことをもう隠すことが出来なくなった。民主主義と言う隠れ蓑の化けの皮がはがれて来た。グレン・カール氏が言うようにトランプの破壊はまさに民主主義の破壊であり、逆に言えば、民主主義がその限界を呈した、とも言えるでしょう。いやもっと正確に言う必要があります。我我が「民主主義」と考えているものが破壊される、と言うべきかもしれません。「民主主義」は歴史的に見れば確固として固定された概念ではなく変遷しています。先述のプラトンは民主制に懐疑をもっており、「万事に関して知恵があると思う、万人のうぬぼれや法の無視が、わたしたちの上に生じ、それと歩調を合わせて、万人の身勝手な自由が生まれてきた。思うに、思い上がりのために、自分よりすぐれた人物の意見をおそれないということ、まさにこのことこそ、悪徳ともいうべき無恥であり、それは、あまりにも思い上がった身勝手な自由から生じてきている」(プラトン『法律』)と述べています。古代と現代の違いを超えて共通するように思えます。
さて、止めどもない記述になってしまいましたが、冒頭の「激変」に立ち戻れば、我々は誰一人として変化の大波から逃れる術は無く、我々を守るものと考えられたもの、例えば「国」「法律」「制度」はその根拠を失うことでしょう。この変化に立ち向かうには、万人共通の手段或いは武器などなく、我々一人一人自身が受け止め、立ち向かい、そして闘うしかありません。外部注入的価値観を一度破壊し、内面創発的価値観を打ち立てる時期に来ています。厳しいようですが、しかし、もともと人間の存在の根源的姿勢とはそのようなものではないでしょうか。トランプ登場という現象の裏側にあるもの、或いはその底流を流れるもの、そこに意識を傾ければ、これからの時代に対する御し方もまた少しづつ見えて来るように思えます。
≪低炭素ニュース&レポート2017年1月号より≫