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天皇明仁と人間明仁

平成天皇が「生前退位」という”お気持ち”を表明されました。朴訥と語る口調のおよそ11分の全文は1823文字からなっています。普通5分間スピーチで1500文字と言いますから、天皇はその倍以上の時間をかけてスピーチを行ったことになります。天皇の口調をモノマネするタレントもときおり見かけますが、今回のスピーチの言葉と口調は説得力と訴求力があるように思えます。それは、やはり天皇の偽りのない本音がにじみ出ていたからでしょう。天皇制を巡る政治的立場からの議論は横に置き、人間として彼の言葉をどのように受け取ることが出来るか、或いは受け取らなければならないか、ということは国民としてだけでなく我々も人間として避けてはならないことのように思えます。何故なら、彼と私たちの存在の関係は政治や制度と言う社会的制限を取り払えば、人間共通項としての”自由”という根源的命題が横たわっているからです。極言すれば、彼(平成天皇)の自由を奪っている主体の一つに我々(国民)の存在があるのではないでしょうか。少なくとも戦後、天皇から国民が「自由を奪われる」ということはなかったでしょう。彼の話しの中の「天皇が国民に、天皇という象徴の立場への理解を求めると共に、天皇もまた、自らのありように深く心し、国民に対する理解を深め、常に国民と共にある自覚を自らの内に育てる必要を感じて」いたという個所は、彼の素直な立場上の思いとともに彼自身の苦悩も感じさせるという受取は私だけかもしれませんが、彼の意識的或いは無意識的呪縛をほどき、人間としての根本的自由を取り戻させるのは、時の政治権力ではなく、同じ人間共通項としての我々国民にしかできないものです。戦後70年、とくに彼が在位したおよそ30年に渡る彼の行動は「天皇明仁」ではなく「人間明仁」として高い評価を与えうるものでした。戦後民主主義の申し子の一人としての人間明仁は、その妻美智子皇后とともに新しい時代における皇室の在り方を模索してこれまで来た訳ですが、敢えてこのタイミングで彼が”お気持ち”を述べたその真意と本音を考えることは、同じ戦後民主主義を啓蒙された者として私自身には必要に思えます。