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離婚劇としてのイギリスEU離脱

イギリスがEU離脱する。我が国を含む先進国の報道をみていると悲観的な論調がほとんどであるが、その根拠は「カネ」でしかない。EU離脱が「やれ株価が下がる」「やれ円高だ」「日本企業が危ない」、、、、挙句の果てが、「年金がもらえなくなる」という脅しにも似た解説も見受けられる。今回の離脱劇の底には、「金融経済vs実体経済」「大企業vs中小企業」「中央vs地方」というグローバル“金融”経済が引き起こした資本主義の断末魔を象徴しているように思える。しかし、見方を変えれば、「21世紀の民族自決運動」とも言える側面をもっているのではないか。「民族自決」の概念は、第1次世界大戦後、1918年にウッドロー・ウィルソン大統領が米国議会で提示した「14か条の平和宣言」にさかのぼる。またこの平和宣言は、レーニンも民族自決を認めた「平和に関する布告」に対する資本主義国側からの回答でもあった。その後、第二次世界大戦以後は、旧植民地国が宗主国に対する、またある国家内における少数民族独立運動の基本的理念として国連でも正式に認められたが、感覚としては「大国家vs小国家(or少数民族)」という公式のように思えるが、イギリスのような大“資本主義”国家においても、グローバル経済は“民族”を凌駕する勢いで浸食しており、結果として民族内で「富者」と「貧者」が二分化されている。或いはグローバル“金融”経済とは、国家を超え、民族を超え、ただカネだけが絶対的な価値を持つ体制のことであり、言い方を変えれば「カネをうまく使えるもの」と「カネに振り回されるもの」の二分化がすすんでいるのだろう。特に、20世紀に「先進国」という名を頂いた国ほどこの“不平等化”は進んでいるものと思われる。社会主義革命を夢見るものにとってはこの状況が「プロレタリアート(貧者)の結集」に結びつくところか、「国粋主義」と結びつくことがはなはだ不満であり、不可解であろうが、「国家・民族」の乗り越え(消滅)はマルクス主義の目標でありまた課題でもある。今回のEU離脱は単純な左右イデオロギーでは到底理解しえないだろう。先述のレーニンは民族自決について、面白いたとえ話をしている。彼は「民族自決」を夫婦の離婚の権利に例えて曰く「離婚の権利を認めるのは、離婚を義務づけるためでもなければ、うまく行っている夫婦に離婚を説いて勧めるためでもない。それは、両性の真に対等で民主主義的な結婚を保障するためのものである。離婚の権利が認められてはじめて両性は真に民主主義的な基盤の上で結婚生活を送ることができるのである。いつでも離婚することができるにもかかわらず、あえて離婚を望まず、みずから進んでその結婚生活を続けるというところに自由意志に基づく真の結婚生活がありうるのであり、その方がかえって夫婦の結びつきは強まるのである。それとちょうど同じようにいつでも分離することができるにもかかわらず、分離せずにあえて大国家の中にとどまるというところに真に民主主義的でより強固な民族関係がありうるのである。つまり、分離の権利の保障が自発的な結合を促進するのである。」(丸山敬一著「民族自決権の意義と限界」(有信堂高文社 2003))離婚経験のある私としては少々耳が痛い話である(笑)が、なかなか面白いたとえ話である。現代の感覚からすれば若干の家父長的道徳的にも聞こえなくはないが、しかし「カネの切れ目が縁の切れ目」という言葉もある。レーニンは、「離婚できるけれどもやはりカネのあるやつ(大きな国)と一緒の方が幸せだよ」と言っているのであるが、イギリスは「私にもプライド(主権)と言うものがあるわよ!」と言って別れ話を持ち込んだのである。さて、世界中はこのような「離婚劇・話」があちこちで出始めている。当のイギリスも今回の離脱でスコットランド独立がまた再燃する可能性があり、EU離脱ドミノ現象で世界に及ぶことも否定できないだろう。米国のトランプ現象も一種の離婚話でもある。日米同盟などと未練たらしくしないで、安倍晋三は堂々と「日米離婚」を言えば良いと思うのだが、独立心のないものが新たな船出など出来る訳はない。ここは沖縄も長年DVのように虐げられてきた“本土・日本”からの離婚を真剣に考えてはいかがか。
<付記>「国家」と「民族」という問題は歴史的にも現代に至るまでなかなか解決できない命題でもあるが、カネ=資本主義が「国家」を僕として扱うようになった現代において、民族問題が先進国からも出て来たことの意味は大きく深いと思える。