オバマ大統領の広島でのスピーチについて

先日のオバマ大統領の広島訪問及びスピーチについては、少し考えるものがありました。彼のスピーチは日本のメディアはもちろんのこと、海外メディアでも概ね評価されたものとなっています。また多くの日本人が「感動した!」と思っているようです。確かに、スピーチは表面的には崇高な言葉が飛び交い、そういう意味では格調も高く説得力に富んでいると思います。しかし、メッセージを通して語る主語が「原爆投下を実行した国の大統領」ではなく、ほとんどが「われわれ」或いは「人類」という主体をぼかした抽象者(第三者)となっています。彼は、任期が短いとはいえ現職の米国大統領であり、現実の国際政治の世界でもっとも権力を有している人物です。少なくとも、彼が実現(実行)できる具体的な策は数多くあるはずですが、スピーチに占められた言葉、ちりばめられた言葉の中にはそのようなものは一つもなく、また彼自身の”大統領として”の具体的決意も見出すことは出来ませんでした。もしもあのスピーチを例えばローマ法王が行っていたのであれば、基本的な人類の道徳論としてそれほど感覚的に違和感なく聞けるかもしれません。或いは高校生の発言であれば、それこそ彼(彼女)らのこれからの未来とダブらせ期待できる発言だったでしょう。私は、オバマのスピーチを映像を通し、また全文を新聞を通して何度も読み返しましたが、そのたびに湧き起って来るものは言葉の「空しさ」であり「狡さ」でした。彼はあのような言葉を20分近くに渡って語りながら彼の傍には、いつでもそのボタンを押せる状態にある「核兵器発射装置」を入れたケースを持つ軍人がいたことはあまり知られていません。片方で「人類平和」を語りながら片方で「人類破滅」の鍵を握る彼は、一体何をしに広島へ来たのでしょうか。彼は言いました。「高邁(こうまい)な理由で暴力を正当化することはどれほど安易なことか!」あなたこそがそれをまさに実践しているのではないか。彼は今「核兵器近代化計画」を推進中です。「限定核」とも言われる小型核兵器ですが、爆発力は小さくも命中精度やステルス性、運搬システムの能力を高めることが可能な核兵器です。彼は、この核近代化計画は新たな核兵器製造ではなく、「近代化から削減していく努力を推進していくことが核兵器の保有量を減らす一番の近道」という理由を述べています。そのようなことは現実の国際政治の世界に従事するリーダーとしては当然のこと、という理解もあるかもしれませんが、少なくとも民主主義社会における政治家とは言葉という武器を最大限に使用するものであり、市民はそのようなリーダーの言葉と行為(行動)の一致にこそ政治家の真の誠意と勇気を見るものです。再度言います。彼のスピーチは確かに素晴らしいものでした。だからこそこう言いたいのです。「だからあなたは具体的に何をするのか!」と。
彼のスピーチは面白い仕掛けになっているように見えます。彼のスピーチを文節ごとに区切ると、そのたびに「だからあなたは何をするのか!」と問いかけることができるようになっています。彼のスピーチをそのまま表面だけの美辞麗句を称賛するのではなく、彼のスピーチに対するその問いを我々は発しないといけないし、彼はまた自らが発した言葉の意味を行為として示さなくてはならないでしょう。それが、現職の大統領と言う地位ではないのでしょうか。もし、単に道徳論を高邁に話したかったのであれば、大統領を辞めてから来れば良いのです。