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法衣と権威に弱いのは誰か!?

一休さんの頓智ばなしは子供時代に聞いてもなかなか面白いものですが、世の中のいろいろな経験を重ねた今でも、読み返すと子供時代の解釈とはまた違った、言い換えれば奥が深いというか微妙な人生の機知のようなものも感じさせてくれます。その一休さんのとんち話の中に、「法衣」の話があります。
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≪豪商から法事の招きを受けました。一休さんは、ボロボロの普段着の法衣で訪ねました。それを見た店のものから、追い出されました。そこで、一休さんは、最高位の法衣を着て、再び訪れると、丁重なもてなしを受けました。しかし、一休さんは、着ていた法衣を仏前に置いてそのまま帰ってしまいました。≫
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さて、私が経験した-逸話その①-
昔、某霞が関役所の委員会メンバー選定にあたって役人と協議した時に、「(委員のメンバーとしては)やはり東大か、せめて早稲田、慶応クラスの先生がふさわしい」という担当者からの依頼がありました。
-逸話その②-
これも昔、ある地方の役所の仕事を行っていた時のこと。「上司を納得させたいのだが、本省の係長か課長クラスをご存じありませんか?」という担当者からの依頼がありました。
-逸話その③-
これは誰でも知っている話。ご存じ水戸黄門。身なりの質素な爺さんが説教しても聞かない悪代官の前で「この紋所が見えないか!頭が高い、控えおろう!」というあの決まり文句。これは説明の必要がないでしょう。

このような話は誰でもご自分の経験の中で日常的に持っているものであり、その例をあげれば枚挙にいとまがないでしょう。
これを以て「日本人は権威に弱い」という御馴染みの文句が出るのですが、哲学者の内田樹は逸話③の水戸黄門に関して面白い解釈をしています。彼が言うには、印籠に翻弄されるのはいつもワルモノばかりであり、逆に庶民は最後はご隠居さんと同じ目線でものをみている。ワルモノたちは彼ら自身が「根拠のない権威の名乗り」によって現在の地位に達し、その役得を享受しているので、「あなたの権威の由来を挙証せよ」と他人にいうことができなくなっている。この水戸黄門のワルモノたちこそ、日本の知識人たちの主流である「舶来の権威」を笠に「無辜の民衆」たちを睥睨(へいげい)してきた「狐」たちの戯画に他ならない
(『日本辺境論』内田樹より)・・・・


さすが内田樹。読みが深い、、、、、。と言いたいところですが、ワルモノと庶民という区分の仕方が恣意的であり、それほど単純な解釈でもないような気もします。内田さんの言う、「舶来の権威を笠に着る狐」はどこにでもいますが、果たして庶民である我々自身の中にも「虎の威を借りる」風潮が無いと言えるでしょうか。富に、昨今の日本社会中に「専門家に頼る」「支配者に頼る」ような我々自身がワルモノになっているのではないか、という気がしないでもありません。
さて、冒頭の一休さんのとんち(公案)の一応の正解は、「形にとらわれるな」という至極もっともなものですが、さて、あなたの人生経験からはどのような答が出るのでしょうか。

 

<DAIGOエコロジー通信5月号>