関係性の科学ー東洋思想の再評価ー

今からおよそ50年ほど前、オーストリアの美しい小さな村アルプバッハに15人の科学者が集まり、生命及び科学の本質について議論を行った。呼びかけたのは、アーサー・ケストラーというユダヤ人のジャーナリストだ。この会議には、遺伝学者、心理学者など15名が集まったが、会議のテーマは「還元主義を超えて」と題し、機械論的世界観の転換を図ることを目的としたものだ。19世紀後半から20世紀にかけての科学における基本となった要素還元主義の思考は今でも医学界などにおいては主流だが、「部分の総和=全体」或いは「全ての事象は物理・化学的法則に還元(翻訳)できる」という機械論は、確かに人間社会に「効率性」「利便性」をもたらしたが、一方で例えば、フレデリック・テイラーが唱えた「科学的管理法(テーラリズム)」は、我が国では戦後の高度成長時に日本生産性本部が取り入れそれがトヨタカンバン方式へとつながったが、それはチャップリンのモダンタイムズでも批判された人間を実質機械と見る経営管理手法であった。このような機械論的発想は、いわば無機質思考とでもいうべきものであり、結果として人間特有の有機論的価値観(生きることの意味、目的、価値等)を捨て去ることになった。これらへのアンチテーゼとして、冒頭のケストラーが行ったシンポジウムはその後、「ニューサイエンス」と呼ばれるジャンルの成立につながるのだが、それは同時に反文化論としての「ニューエイジ」、「フェミニズム」「エコロジー」という思想的潮流も生み出した。今、我々がテーマとしている「地球環境」という言葉或いはパラダイムが現れるのもこの頃だ。この流れが「科学・哲学・宗教」という領域を発展的に溶融し、新しい価値観を生むようにみえたものの、しかし、その後それらは東洋的或いは西洋的「神秘主義」と結びつくことになり、例えば我が国ではオウムのような「科学こそ宗教」という極端な思考集団を生むこととなったのは、記憶にまだ新しい。現在の環境保護運動にはこの「ニューサイエンス」的、或いは「ニューエイジ」的思考或いは集団が少なからずみられる一因であろう。しかし、果たして「ニューサイエンス」は怪しげなオカルトだったのだろうか。量子力学におけるコペンハーゲン解釈、或いは最近話題になったアインシュタイン重力波を、F・カプラは仏教の「縁起・空思想」との相似性を提起し、科学(物理学)に東洋思想を積極的に取り入れることを謳ったが、カテゴリーエラーとして批判もされた。しかし、ともかくも数式的に説明できないもの、或いは(定理・公理に)還元できない論理をすぐ「怪しい」とする“科学主義”は、STAP細胞問題を見るまでもなく、ある意味決定論的思考となっており、自らが科学主義信仰に陥るというパラドックスを示しているようにも見える。簡潔に言えば、これら西洋合理主義思考は、デカルト哲学により精神と物質の分離を強固なものとし、またルネサンスに端を発する自然科学の発展は二つの領域の関係性を問うことなく、いつのまにか物質的説明を精神世界に持ち込む転倒が行われた。一方、東洋的精神とは、「分離・対立・相対」的な西洋合理思考と違い、「統合・相関・絶対」的であり、自然状態を「あるがまま」に観ることを基本とするように思える。しかし、分離・対立により、物質の説明を原子レベルまでは見事に説明してきた近代科学が、その先の素粒子に至って量子論で示した『世界は相互作用の関係性のみが存在している宇宙的織物』『世界を主体と客体、内的世界と外的世界、身体と魂に分ける通常の分割法は、もはや充分とは言えない』(ハイゼンベルグ)という言葉は一体何を示しているのだろうか。この「関係性」と言う言葉にこそヒントがあるような気がするのである。関係性の科学は、ウイナーのサイバネティックス或いはベイトソンのシステム論など、先述のニューサイエンスの流れを汲む西洋の学者によって、これまで単発的に説明されてきたが、その後が続かないように見えるのは、どうしても彼らが根本的に西洋人であるからではないか、と思える。ハイゼンベルクシュレーディンガーは言う。『戦後、日本から理論物理学の領域で素晴らしい貢献がなされたことは、東洋の伝統的な哲学思想と、量子論の哲学的性格との間になんらかの関係性があることを示しているのかもしれない』(ハイゼンベルグ・ボストン講演)『西洋科学へは東洋思想の輸血を必要としている』(シュレーディンガー)そして、アインシュタインと我が湯川秀樹の言葉で本論を締めくくる。我ながら何を言いたいのかまとまりがない散文となってしまったが、少しでも意図が伝われば幸いである。
●『現代科学に欠けているものを埋め合わせてくれるものがあるとすれば、それは仏教です』(アインシュタイン
●『素粒子の研究に、ギリシャ思想は全く役に立たないが、仏教には多くを教えられた』(湯川秀樹


<付記>
関係性については、「平成23年度科学技術白書 第2節社会と科学技術との新しい関係構築に向けて」でこのような文章を掲載している。
「・・・科学技術を、単に研究者・技術者だけが関わるものとしてではなく、その功罪を含めて社会・経済・政治などの関係性の中で考えていくべきものであると認識して、社会を構成する個々人が、持続可能な民主社会を創出するために共に社会の一員という自覚を持って決断し行動するための力となるような科学技術の知恵とは何かを明らかにすることを目標としている・・・・」(科学技術の智プロジェクト)

 

一般社団法人 日本低炭素都市研究協会 会報『低炭素都市ニュース&レポート』4月10日号より>