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久々の友との出会いのプチ旅

連休最後の11日から2拍3日で、福島・喜多方へ移住した旧友先輩の和田典久氏宅を訪問した。和田氏は当方の数少ない人生の友の一人だ。喜多方には今から10数年前に二度ほどお邪魔しているが、ちょっと間が開いた今回の訪問はやはりワクワクした。新宿から高速バスでおよそ5時間弱の乗車。こちらも暖冬の影響で積雪はほとんどなかったのがちょっと期待外れ(?)だったか。工学部建築出身ながら、ご自身では直接図面は引かなかったと豪語する(笑)和田氏の”邸宅”は実にシンプルながらも機能性に優れた空間だった。通常では多分2.5階くらいに相当する高さの吹き抜けの中心には、若干角度が急な階段が途中の踊り場(ここが今回私の寝床)を経由して屋上まで続いているのが印象的だ。「そのうち足が弱った時はどうするのだろう?」などと余計な心配をしつつも、屋上から真正面に磐梯山を見る眺望は中々のものだ。当夜は和田氏の地元仲間の高橋氏も参加しての鍋宴会となり、「竹林の七賢」ならぬ“鍋前の三愚老”の鼎談で盛り上がる。元NHKカメラマンだったという高橋氏。御年80を超えているにも関わらず豪快な話しっぷりと飲みっぷりにつられて当方もついつい酒と余計なおしゃべりを重ねてしまった。結局宴会は夜半10時過ぎまで続きお開きとなる。翌日は、和田氏に誘われて奥会津にある秘湯の「つるの湯」へ。只見川を上流へと登る途中にある湯治場も兼ねた温泉は、目の前に只見川を間近にみながらの露天はその豊かな泉質が与える効果も加わって何とも言えない心地よさだ。まさに桃源郷の気分。さて、午前中の弛緩した気分と打って変って午後は、やはり一宿一飯の義理は果たさないとならぬという訳で、薪材の調達作業を行う。事前に間伐した40年モノのスギが数本倒れている中の1本をチェンソーで玉切りにしたものを薪割器の前まで運搬する。その数約20個。「美味しいビールとそばを食す」為にも、お正月以来あまり体を動かしていないのでちょうどいい運動になる。というのは、和田氏は玄人肌の蕎麦打ち名人でもある。蕎麦打ちを始めておよそ20年近いキャリアの持ち主だ。当方が薪材調達中に、およそ3時間かけて今夜の宴会のメインディッシュとなる蕎麦を和田氏は打っていたのだ。そしてこの日もまた高橋氏も参加、昨夜に続き三愚老の宴会第二弾が始まる。この日高橋氏は喜多方からほど近い猫魔スキー場で滑った後の立ち寄りだったが、ともかくもこの日の三愚老はそれぞれが程よく肉体を駆使した後の宴会となったのである。ところで、ちょっと不幸なことではあるが、和田氏と高橋氏は共に奥様と死別された境遇だ。個人的感想としてだが、夫婦の場合、ほとんどがどちらかが先に旅立つケースになる訳だが、大体において離別後未亡人の方が元気よく長生きするのに比べ、男やもめと言われるケースでは結構悲惨な状況が多いように見受けられる。そのようなこともあり、今回の喜多方訪問は和田氏の環境を少し心配しつつ慰めも兼ねての訪問意図があったのだが、おっとどっこい!すっとこどっこい!何とやもめ連中の元気な事か!ともすればまだ離別していない当方の方が元気づけられるような始末ではないか!かような訳で、二日目の宴会は、三愚老ともやはり「男の子」である。話題は自然と「女人」の話に及ぶ。お二方も適度な交流(※どうも交際までには発展していないような)があるようだ。特定の女人の名前が飛び交う話に花が咲き、また笑いがついつい酒を誘う。和田老、高橋老の話を聞いていると、「喜多方は男やもめの天国か!!まさに桃源郷!」などと勝手に想像してしまう。前半の酒タイムがそろそろ終了と言う頃合いになり、さてお待ちかねの今夜のメイン。和田老手打ちの「冷蕎麦」と「温蕎麦」をこれまた手製のオリジナル蕎麦汁でいただく。「美味い!」としか言いようがない。久々に食す和田老の蕎麦だが、かなり腕を上げていた。「これなら一人暮らしでも大丈夫だな。心配なし!」と当方心で軽くつぶやく。二日目の喜多方の夜もかように前夜に続き他愛のない話にも関わらず大いに盛り上がった三愚老だが、やはり老齢の身はごまかせないのか、日中の肉体労働・活動疲れに少し早目にお開きとなった。

 さて、当方にとっては非常に短い旅ではあったが、やはり遠く離れている友と久々に酒を交わす語らいは何とも言えず至福なものだ。初対面にも関わらず気さくに応じてくれた高橋氏にも、また新しい出会いとして感謝せねばならないだろう。人生を振り返ると、人には必ず自らのそれを左右する出会いというものがあるが、和田氏との出会いも当方にとっては、そのような数少ない人生で出会った貴重な存在である。流れ者根無し草的性向の当方が、よく30年近くもそれなりに落ち着いた生活が出来ているのも和田氏との出会いのお蔭と言って言い過ぎではないだろう。文字通り青年とも言える時期の出会いから30年を経た今、双方に齢を重ねてはいるが、「まだまだ行けるな!」と相互に感じ合ったことも疑いようがない気がする。「会津若松まで車で送るよ」というその和田氏に少しわがままを言い喜多方駅で見送られ、乗ってみたかった磐越西線で帰りのバスが出る会津若松へ向かったのだが、バスの車窓から道中全然顔を出さなかった磐梯山がその姿をくっきりと青空とのコントラストで見せた時、「ああ旅が終わったんだな」とちょっと心理の深淵を見るような感傷にふけったのが印象に残る旅だった。

<お断り>

※日記では愚老などという表現を使っているが、和田氏、高橋氏とも素晴らしいダンディな紳士であることは言うまでもない。

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