新自由主義・好戦派の矛盾と気候変動問題

安倍政権が安保法案制定から経済政策へと目くらまし的方向転換を行っていますが、世界経済が一気に軍事需要に向けて走り出す、ということは好戦派がいくら仕掛けたからとて、それほど簡単ではないでしょう。そのような観点から見れば、温暖化対策を楯に排出ガス規制で軍事活動を縛るという考えもあります。実際、1997年の京都議定書採択時にも軍事活動規制が論点となった事実があります。好戦国のアメリカ(に限りませんが)は、もしこのような国際協定が結ばれると手足を縛られる状態になるので、もちろんこれには猛反対しました。その結果、翌年1998年のCOP4では、①航空機・船舶燃料、②国連憲章による多国間軍事行動は規制の対象外となりました。新自由主義と好戦派はイデオロギーの根底で結びついており、彼らにとって「地球温暖化が人類を脅かしており、対策が不可欠であると認めてしまえば、新自由主義イデオロギーはそれで終わり(ナオミ・クライン)」です。何故なら、「政府の介入はすべて悪であり、すべての規制は撤廃すべきだ」という教義が根底から崩れることになります。温暖化懐疑論の科学的な議論とは別に、このような意図から懐疑論を振りまいている一派もいるので、懐疑論の議論も注意して見る必要があります。このような動きに対して、地球温暖化阻止を掲げるいわばリベラル派の動きも、既存システムの枠内での転換という範疇を出ていない「痛みを伴わない転換」として先述のナオミ・クラインは「排出権取引」を批判的に捉えていますが、それは道理と言えます。しかし、今の世界は片方に「道理」がありもう片方に「無理」があるという悪しきハイブリッドシステムの中にあり、その矛盾を戦争や例えば今回の安倍政権のような議会無視という態度に出らざるを得ない状況にあります。いずれにせよ、このような矛盾状況がいつまでも訳ではなく、必ずや破綻が来ることでしょう。聞くところによれば、このような矛盾を「人類浄化」という思考で世界システムを変えようとしている、という恐ろしい話もその真実味を考えざるを得ません。気候変動をすべて温暖化に集約する誤謬、と言って問題ならば課題を踏まえつつも、「人類の存在の保障」をその大きな目的に掲げるならば、既存システムそのものの転換を図る方策へ大きな転換を図る必要があります。先月国連安保理で行われた議論で、「軍事解決の困難」さが浮き彫りになり、同時に国連の存在に対しても疑念が出て来ましたが、気候変動の問題を単にそこに限定するではなく、例えば安保理とCOPとの連携と言った枠組みの創出も考えられるのではないか、と思います。12月には、COP21パリ会議が始まりますが、難民問題を抱える欧州にとってもその解決の糸口の一つとして、パリ会議での前述の軍事活動を排出ガス規制で再度縛る工夫の議論など、新鮮かつ刺激的な会議が望まれます。