流鏑馬鑑賞”和駒”考

10月4日、八王子で初めて開催されるという流鏑馬を見た。ここのところ、労働に明け暮れる中で気分的に鬱状態になっているところへ、カウンタブローのような憂事があったのでお祓い清めの意味も含め鑑賞した。流鏑馬ではないが35年近く前に京都上賀茂神社の競馬(くらべうま)を見た記憶があるが、賭け事競馬(けいば)を趣味としない私は日常的に馬を見る機会も少ないのだが、この日の和駒(わこま)という馬には非常に興味を持った。サラブレッドより一回りも小さく、故郷鹿児島のトカラ馬にも似たちょっとずんぐりした馬体には、ちょっと「大丈夫か?!」と思ったが、いざ走り出すとその姿は陣羽織をまとった射手(いて)と一体となったまさに人馬一体の雄姿には一目ぼれした。特に女性射手との一体の姿はあでやかで且つ凛々しく印象に深く残った。この日演武してくれた団体は、倭式騎馬會 という川越にある馬上武術を通して、”日本之形”を体現することを目的にしているとのことだ。彼らは出雲神社での神事にも参加するという。ちなみに、彼らのHPには、『あくまでも日本の馬、和駒にこだわる。<略>歴史的なゆが歪みを持つ文化的空間の中で、和駒の持つ履歴は重要な指標となり、日本人の根源的経験に関わる。今日、日本は独自の風土という感覚さえ見失ったかに見える。欧米化、欧米崇拝、拝金主義、環境破壊、欲望の奴隷、商業主義で心を見失い、生きる力を失う。日本人の古層に眠る美意識を呼び起こして日本之形を再生することによって、「己の原点」を見出していこうとする壮大なプロジェクトである』とある。”日本人の古層に眠る美”というものには、残念ながらこの歳に至るまでまだ私は触れていないが、和駒とサラブレッドの比較において、彼らの言う「欧米化、欧米崇拝、拝金主義、環境破壊、欲望の奴隷、商業主義」という批判は同調できる。流鏑馬が単なる形式的神事ではなく、このような批判精神で行われることは悪いことではないだろう。これで、鬱状態も解消された、と思ったのだが、男性射手の大将(最初に矢を放つ)の森顕氏が、あのモリハナエグループの総大将でもあった人物(森英恵氏の長男)と紹介され、ちょっと「半折れ」(笑)した気分になった。もちろん、森氏に問題がある訳ではないが、彼自身の趣味なのか、はたまた新たなビジネスなのか、ちょっと疑問が湧いたところだ。「来年も八王子で(流鏑馬を)やってくださいよ!」と声を掛けたが、「市長が呼んでくれたら喜んで来ますよ!」と言う返事だった。また「他の(流鏑馬)団体よりもうちは的は外さないよ!」と軽口も叩いていたが、神事の流鏑馬にも熾烈な顧客獲得競争があるのを垣間見た(笑)気がした。しかし、まぁ、それまでの鬱な気分がある程度解消したので、私個人的にはご利益があった、ということなのだろう。それにしても、女性大将役の松本玲奈さんは凛々しくまた美しかった。これもまたご利益か!