安倍内閣のルーツ

一昨日(7日)のBS11【報道ライブ21 INsideOUT】に出演した不破哲三氏の話は興味深いものだった。

安倍政権に対する評価のレスポンスがどうしても目前の法解釈の技術論的手続論か、或いは戦争と平和の一般論に捉われがちになる中で、安倍晋三という人物の個人的政治信条と彼が組閣している内閣の性格とその本質のルーツを自民党の戦後70年の歴史の中で、歴代首相発言の変質と新たな潮流の発生を分かりやすく説明している。

私自身も感じているのだが、少なくとも60年代~70年代にかけての自民党には良くも悪くも(政治的)状況を把握し受け入れる”幅の広さ”のようなものがあったと思う。そういう意味では、一人二人の個人的ウルトラ右翼な人物も存在はしていたが、権力政党組織としてはそのようなものが幅を利かすことはなかったように思う。まぁ、ガス抜きのような存在だったのだろう。

しかし、今の安倍政権はそのウルトラ右翼が組織潮流となっており、しかもそれが自民党と言う組織の本潮流にもなっている。これは突然湧いたものでもなく、その源流は『「慰安婦」への日本軍の関与と強制性を認めて謝罪した「河野官房長官談話」(1993年8月)と、日本の行った戦争は侵略戦争だったという認識を示した細川護熙首相の会見(同)』というのが不破氏の見解だが、確かに集団自衛権法案(戦争法案)の議論のきっかけを作ったのは、韓国と中国に対する領土問題からだった。領土という国民l共通の利害(権益)をまず持ち出し、そこから愛国という心情をくすぐりながら、歴史を修正していくというこの間の流れをみていると不破氏の指摘はうなづける。

自民党がこのような談話に対して反発するようになったのは、バブル崩壊という経済状況や自社さ政権誕生と言うそれまでの自民党長期政権の土台を揺るがすような歴史変化に対する組織防衛本能もあったと思われるが、それが右方向へ大きく舵を切ったのはやはり自民党という組織の本質的な体質なのだろう。

このような中で自民党内の靖国三協議会(「英霊に応える議員協議会」「遺家族議員協議会」「みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会」)が橋本首相(当時)に「歴史検討委員会」を設置させた。この 「委員会」 は右派の学者を招いて20回ほどの会合をもち、 その検討内容をまとめて95年8月15日(日本の敗戦記念日)に 『大東亜戦争の総括』 という本も出版しているが、そこでは、

■ 「大東亜戦争」(アジア太平洋戦争)は侵略戦争ではなく、自存・自衛の戦争であり、アジア解放の戦争である。

南京大虐殺、「慰安婦」 などの加害はデッチあげであり、日本は戦争犯罪を犯していない。加害責任もない。

■ 教科書には、侵略や加害についてありもしない既述があり、 新たな 「教科書のたたかい」(教科書を 『偏向している』 と攻撃する)が必要である。

などという記述があるが、このような結論をまとめた委員会の事務局長を担ったのが、当時当選1期生の安倍晋三氏である。初当選した安倍氏が保守右翼論壇の江藤淳西部邁或いは長谷川三千子岡崎久彦などと言った”先生”から”指導・教育”される姿は想像するだけでキモくも噴飯的であるが、安倍晋三氏の思考原理がこの検討委員会にあるのはまちがいないだろう。安倍氏は、この検討委員会を踏まえ戦後50年目を迎えるにあたって1994年結成された 「終戦50周年国会議員連盟」 の事務局長代理に抜擢される。 ちなみに、この 「議員連盟」 は、神道系を中心とした極右宗教集団と連携して 「終戦50周年国民運動実行委員会」(会長:加瀬俊一) を運営し、 「日本は侵略国家ではなかった」 「戦争に反省する決議には反対する」 という主張を盛り込んだ決議を、全国26県議会、90市町村議会で可決させている。

この流れに続き、委員会での結論の「教科書とのたたかい」を進めるために議員連盟は新たに1996年6月、「明るい日本・国会議員連盟」 を結成し、安倍氏は事務局長代理となる。 さらに安倍氏は翌1997年に結成された「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」 (2004年に 『日本の前途と歴史教育を考える議員の会』 と改名)の事務局長となり、一連の歴史教科書問題の中心的存在となっていくのである。

そして、残念ながら思慮に乏しいとしか言えない安倍氏が、このように外部注入された思考に染まりながら、2006年「美しい国」などという軽い理念を掲げて登場するのであるが、総理登場となる以前の2001年にNHKが作成した「戦争をどう裁くか(2)問われる戦時性暴力」(2001年1月30日放送)に、安倍晋三幹事長代理(当時・内閣官房副長官)が事前介入し、番組そのものが改変されたという話はまだ耳に新しいだろう。昨今の政権のNHKに対する姿勢或いは介入のルーツをここにも見ることが出来る。安倍氏は当時NHK幹部と直接会って改編を強要、NHKはこれを現場のプロデューサーにそのまま指示している。マスコミのこのような対応が現在の”マスゴミ”と言われるような状況を作ったと言われても仕方がないだろう。

安倍内閣が「お友達内閣」と言われるのは、このような彼の経歴に関わった人物がほぼ閣僚のほとんどを占めているからだ。特に第2次安倍内閣は、先述の「歴史検討委員会」や「明るい日本・国会議員連盟」の後に結成された「日本会議」や「神道政治連盟」のメンバーでほぼ全員構成されている。

小泉純一郎氏は「自民党をぶっ壊す」と言ったが、安倍晋三氏はまさに「自民党を乗っ取った」と言えるだろう。最近、自民党の重鎮と言われる方々(古賀誠氏、野中広務氏など)が反安倍的言辞を行っているのはその証拠とも言える。

不破哲三氏は、このような安倍晋三氏について、「安倍首相は、この『大東亜戦争』肯定論の真っただ中で育成され、先輩たちからその使命をたたき込まれて、首相にまで押し上げられた人物なのです。当選4年目で、『若手議員の会』の事務局長になり、大東亜戦争肯定の教科書を作った張本人であり、侵略戦争を是とするこの異質な潮流が政権についたのが今日の安倍内閣です。いわばこの潮流が政権と自民党を乗っ取ったのです」と指摘しているがまさに、安倍晋三という個人的ルーツとその結果としての安倍政権の本質とはこのようなものである。

 

<補論>

このような安倍政権を国際的にどのように見るか、或いは見られるか、という問いははなはだ重要なように思える。言辞的には勇ましい国粋主義を抱えながらも対米従属路線をひた走る安倍政権とその取り巻き、或いは推進勢力はその矛盾をどのように受け止めるのだろうか。いわゆるジャパンハンドラーと言われるアメリカの権力の一部分である日米安保権益ネットワークに組み込まれながら、愛国的言葉とは裏腹の売国的行動を行っている現政権及びそれに連なるモノ達の境界が見えないという現状をどうすれば打ち破れるのか、大きな課題でもある。