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ウォルホフィッツ・ドクトリン

ギリシア危機を経済問題に集約する、或いは日本の集団自衛権戦争法案を国防問題に集約する、またAIIB(アジアインフラ開発銀行)問題を金融問題に集約する、、、このような見方はいわゆる「木を見て森を見ない」という格言が当てはまる理解の仕方である。情報化社会が進めばそれだけ専門分野というフラグメント化した領域が出現し、その範囲内の解釈或いは“論理”が構築され、そのような情報によって我々はいかにも「分かったような気になる」のである。当然、そのわかったような気が壊されるとまたそれに対する説明がされ次のフラグメントが出現する、という際限無いミクロ化の情報の網の中で我々は全体を通す構造を見失い、目先の理屈で全体を納得してしまう。このような思考が「木を見て森を見ない」ということである。そのような断片化された枠内での理解によるのではなく、「森をみる」という思考でギリシア債務、集団自衛権(或いはTPP)、AIIB,,etcを注意深く見ると、そのようなことが起きる要因(動機)としてある共通のモノにぶつかった。それは、歴史を1992年にさかのぼるソ連壊後の米国が検討した通称ウォルホフィッツ・ドクトリンという国防計画草案である。そこでは「我々の第一目標は、旧ソ連地域であれ、他の地域であれ、かつてソ連が引きもたらしたようなスケールの脅威をもたらすような新たなライバルの再出現を防ぐことだ。これは新たな地域防衛戦略の基礎にある最も重要な考慮事項である。我々は、グローバルパワーを生み出すような資源を持つ地域をいかなる敵対的勢力も支配することがないよう努力する必要がある。」と書かれている。この意志がソ連崩壊後の米国指導部の根本的な共通意志であり、それは共和党・民主党の区別なく保持されている。冷戦における“戦勝国”のアメリカは文字通り唯一の世界帝国としてその後の世界戦略を自らの意思で世界に示し行動している。アメリカが唯一無比の世界存在の価値観を示す国であり、それ以外の国は同じ価値観を共有するのであれば許され、そうでなければ陰謀や最終的には直接的軍事行動で粉砕する、という思考である。米国の日本に対する関与の仕方も当然この思考の影響を受け、それまでの日米摩擦と言う経済問題が国防問題をも含む対日要求としての「年次改革要望書」が1994年に始めて出されたが、明文化はされなかったものの、そこでは将来的な日本のNATOが議論されていたことが露見している。現在の集団自衛権問題の根っこにあるのは、この日本NATO化であることは明白である。ギリシア問題もその根本には、唯一の覇権国である米国に脅威を与えるEUという枠組みの形骸化を狙ったものであり、ユーロトロイカ体制は米国傀儡と見て間違いないだろう。そのトロイカを攻撃対象とするチプラスの総選挙勝利の発言は「ギリシャにとってトロイカは過去のものになる」だった。チプラスはEUと米国の関係も承知しており、その強気発言の裏にはこのような国際関係の理解がある。確かに政治的には危うい綱渡り手法であるが、国がこのような危機に陥っている場合には、逆に効果があるだろう。ギリシアは二つのカードを持っている。一つは第二次大戦におけるドイツへの賠償問題であり、もう一つはギリシアにある米軍基地だ。EUとNATOは似たような同盟関係に見えるが、経済と軍事の矛盾を抱えており、米国はここへウクライナ問題を出現させ、無理やり対ロシア問題を起こしている。そのロシアはギリシアへのBRICS開発銀行への参加を打診しており、まさにギリシア問題は米国覇権体制をめぐる一つの大きな焦点ともなっている。その背景には、AIIBをバックに一帯一路戦略をすすめる中国も含めた、「米国VSロシア・中国」という構図があり、米国は先述したウォルホフィッツ・ドクトリンをまさに地でいく戦略を展開していることがわかる。すなわち、米国が脅威を感じている強敵は25年前に勝利した相手だったということだ。チプラスの政治的手腕が秀でているところは、このような国際関係の理解がその根底にあり、そこから自らの政治信条と現実の政治の間で交渉を行っているところである。見るも聞くも恥ずかしい我が国の米国追随・従属丸出しの首相とその政権と比べると格段の政治力量の違を感じないわけにはいかない。

現在の国際情勢は、それぞれ個別に見ているとその関係性は全く見えなくなるが、力学的にみても大きな力を持っている米国の意思と戦略を見ていけば、それぞれ別個に見える現象にもそれを貫く共通項が見えてくるはずだ。国際交渉とは、政治に限らず経済・ビジネスにおいてもそのような見方と思考法を常に慣習化すれば、大きく動く力に対する対処法或いは世界のトレンド潮流も見えてくる。