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自己本位からの脱却

昨今、時々いろいろな方から「日本が戦争に向かっている」「憲法9条を守らないといけない」という問いかけを頂きます。炭焼きをしながら、このような穏やかな気持ちで自然とともに至福の時間が過ごせるのもある意味では「平和」であるからだと思われます。炭焼きの火を見ながら、この炎の向こう側に人間の業を焼きつくす霊的なものを時折感じる時があります。この世における争いや諍いは人類創世記からある人間本性のものだという説がありますが、このような説に与する訳にはいかない、と思いながらも自分を振り返ると自己本位になっていることにふと気づきます。国家の戦争もそのもとをただせば、「自己本位」な立場からの異議申し立てを「正義」という名のもとに行うことから始まります。先日、日本最大の宗教集団である真宗大谷派から宗務総長名で出された声明はそのことを深く考えさせます。そこでは「自らを正義とし、他を悪とする。これによって自らを苦しめ、他を苦しめ、互いに苦しめ合っているのが人間の悲しき有様ではないでしょうか。仏の真実の智慧に照らされるとき、そこに顕(あき)らかにされる私ども人間の愚かな姿は、まことに慙愧に堪えないと言うほかありません。」と述べられています。現在進められようとしている戦争法案についてはその是非を真摯に問う必要がありますが、”自らを苦しめ、他を苦しめ、互いに苦しめ合っている”という人間模様が根源にあるとすれば、やはり並行して自分自身の中にあるであろう「自己本位」な自分に気づくことからも始めないといけない、ということに気づかされます。国会では「理性」に基づいた審議が与野党で行われていますが、人間の根源にかかわる問題については「理性」では解答が出ないと思われます。言葉の定義は困難ですが、敢えて言えば「理性」或いは「精神」という概念のもっと奥にあるものとしての「魂」ではないかと最近考えます。もっと言えば「理性」や「精神」はまだ「自己本位」の視点ですが、「魂」の段階で「自己」(への執着)が初めて消えるように思えます。ただ、インターネットなど便利な道具が現れる時代になりましたが、この「魂」というものだけはそのような便利な道具でわかるものではないようです。もしかすれば、炭焼の炎の中に自己投影を行う中でそのような「魂」を見出すことは可能かもしれない、と思いつつ今日も炭を焼くこの頃です。最後になりましたが、もちろん戦争法案には断固反対であることは言うまでもありません。

<DAIGOエコロジー村通信2015年6月号より>