京都大学の変質

「グローバル人材」とか「リーダーシップ」とかビジネス界では好まれて使われる言葉が教育現場にもヅカヅカと入って来ている。先週末のNHK ETV特集『”グローバル人材”を育成せよ~京都大学・改革への挑戦~』を見て複雑な思いと言うか、「ここまで産学協働路線が貫徹されて来ているのか!」、と暗澹たる気分になった。大学を「治外法権」とか「象牙の塔」とかと旧観念でみる気はないが、それにしてもまさに産業予備軍育成プログラムは着々と進んでいる。根源的な「問い」を求めるのが大学教育の基本原理と思うが、競争資本主義の絶対的な前提の下での「答え」を積極的に求める(学生と教授の)姿は、”学問の徒”と言うより”権力の走狗”にしか見えないと言ったら言い過ぎか。思修館で学ぶ学生の優秀さは知識量で測れば優れてるかもしれないが、自らを意識して「リーダー」とするところに根本的誤謬があるように思える。それは教授陣にも同じことが言える。

官立教育の限界と言えばそれまでだが、「グローバル人材」に対抗するのは「ローカル人材」という言葉遊びではなく、真に人間の在り方を問う教育が求められる。「記憶力の東大、思考力の京大」と私は勝手に独断偏見していたが、百万遍のカルチェ西部講堂での「反大学闘争」が”思い出のアルバム化”しつつある。。。

http://www.nhk.or.jp/etv21c/file/2015/0404.html