漂白民と炭焼人

歴史学者の網野善彦氏は『日本とは何か』という著書において、もともと「日
本」或いは「日本人」という一つの概念(或いは文化)に集約できる存在は「い
ない」という持論を呈しています。
論点の元になるのは、日本列島という地理的条件を背景にいわゆる農耕民族的な
定住社会以前に、職人や芸能民などの「漂白民」という存在の世界を明らかにし
ていますが、面白いのは「百姓=農民ではない」という話です。「百姓」という
言葉は古代中国の孔子論語などでは「天下万民・民衆一般」を指すものです
が、これが日本では、いろいろな生業(なりわい)を持ち多様な職業に従事する
もののことを指すようになりました。いまこそ百姓と言うことばは農民と同義語
になっていますが、「百姓=農民」という概念が定着するのは江戸中期から明治
にかけてであり、これらのことから、天皇制による単一支配が始まる前には、か
なりの非定住者(漂白民)が存在したと述べています。
漂白民という非定住者が存在できた背景には、日本列島の豊かな自然、とくに森
林(山岳)の恵みがあると思われます。そのような意味では、炭焼人も山の民で
もありますが、漂白民でもあります。炭材を求めて一カ所に留まることなく山か
ら山へ流れ歩く”ライフスタイル”があったと思われます。民俗学者宮本常一
の『山に生きる人々』の中でも炭焼人が紹介されていますが、彼(宮本)が長崎
対馬の厳原の日掛という部落を訪れた時の話に、部落における年中行事が無く
またお互いの行き来がほとんどない。また今日はどういう日だから休もう
ということもないのに一家が仲睦まじく暮らしている様を記述し、「この人たち
の生活の中には古い炭焼の生活の仕方がなお濃くのこっているように思えた。 」
と記しています。 現代社会は「定住」ということを当たり前として、非定住生活をどちらかと言え ば「見下す」価値観がありますが、日本の歴史を遡行、俯瞰すると「非定住者」 の文化や世界を見出すことが出来るようです。果たして彼らが「幸せ」だった か、という疑問は残るかもしれませんが、私的には宮本常一が感じたような「つ つましやかな幸福感」があったのではないか、と思いたい。 想いを2000年以上も前の漂白民である炭焼人たちに忍ばせながら炭を焼きつつ ゆっくりとお酒を飲みたいな、と思った春のある日です。