安倍晋三 血筋教育

安倍晋三は「大きな子ども」なのだろう。どういう育ち方をしたかをみれば一目瞭然の性格と思われる。本人の資質に関係なく、血筋の教育をされたのは想像に難くない。教育の基本は、「己を知ること」「己を活かすこと」であるが、彼の場合は己が岸家だったのだろう。自分でも器の無さや自らの資質については多分認識があったと思うが、そのような人間としての普遍性を教えられたのではなく、「末は総理」というお家の目的に沿った育ち方のなかで、お家の”奴隷”ではあるが、周りには”暴君”として振る舞い、学識はそこそこあるが分別は全くなく、また身体は虚弱で、無能と尊大さがないまぜの状態で政界に放り出されたのだろう。こういう人間が権力と言うものを持つとまるでスーパーマンになったようなおもちゃを手にしたようなものだ。彼の周りは、全てが意のままに動く”道具”であり、それらが自らの無力を補ってくれる。そのような子どもが、暴君的、命令的になるのは当然だ。権力に対する彼自身からの真なる欲望が若しあったとすれば、それなりの分別も持ったのであろうが、育ち方の中で醸成されていった彼自身の内部矛盾を抱えたまま握った権力は権勢欲となってとてつもなく危ういものである。自ら思考し苦悩することなく出した結論、しかも他人の手により行動すること、そして口先三寸が世界を動かすことに快感を覚える。これが単にそこらの金持ちお坊ちゃんのたわいない世界であれば「そんなこともあるか」となり、ある意味、彼自身にとっても不幸なことである。しかし、とは言え、国家、国民を巻き込んだ金持ち坊ちゃんの戯言遊戯に付き合わされる我々はたまったものではない。