【独断と偏見①】 医者と医術  『エミール』(JJルソー)より

前回のブログで「独断と偏見を大事にせよ」と書いた。書いたからには私自身の独断と偏見を明らかにしないと言行不一致になる。と言う訳で【独断と偏見】シリーズとして時折記載することにした。本来ならブログでも書いた通り”真の自己”に突き当たってから始めるべきだろうが、しかしそこへ至るまでに様々な先駆者の考えに深く同意することもある。初回は、私が勝手に友達呼ばわりしているJJルソーの意見を記載することにした。書きながら私自身の中にある自然人にたどり着きたいものだ。

ルソーは著書『エミール』でこっぴどく医者と医術を貶している。その言辞はもし医者が聞いたら卒倒しかねない表現の羅列だ。曰く、

「医術はそれが治療すると称するあらゆる病気より以上に人間にとって有害な技術である」「医術は暇で何もする仕事の無い連中の娯楽になっている」「(医術は)私たちの病気を治す以上に私たちに病気に対する恐怖心をうえつける。死を遠ざけるより以上に死を予感させる。生命を延ばすどころか生命をすり減らさせる」「ひとをあざむく学問とひとを殺す医術とは悪しきものである」「医術は人類一般に取ってはなはだ有害である」、、、、、、等々枚挙にいとまがない。まぁ、このような歯に衣着せず毒舌を吐くものだから、歴史的にもルソーへの評価が二分されるのも理解できない訳ではない。ルソーの幾分へそ曲がりな性格もあるだろう。しかし、ルソーが言いたいことはこのような表層的なことではない。医術と医者の批判の前提にあるのは人間の自然人としての原存在である。一つの価値観をルソーはこう言っている。「精神に服従するためには身体が強くなければならない。身体は弱ければ弱いほど命令する。強ければ強いほど服従する。」昔から良く言われた「健全なる精神は健全なる肉体に宿る」という言葉とちょっと似ているが、そうではなく、不摂生が情欲を生み出しそれが体を弱くすることをある意味戒めた言葉である。かれは同時に苦行や断食についてもこれらは無理やり情欲を抑えるので同じことだとしている。従って情欲とはすべて柔弱な体に宿り、柔弱な体は情欲を満足させることが出来ないだけに、益々(情欲を)苛立たせる、というわけだ。確かに言われてみれば、身体が弱い時は余計なことを考えがちだ。それがまた想念となり情欲となるのだ、と言えばうなづける。ただし、月に1回の断食を行っている私としては少し反論したいところではあるが(笑)、、。医術の権威はこのような「虚弱な体によって弱められた精神」に依拠することこそが医術の有害さであるとルソーは言う。曰く、

「医者が致命的な病気、例えば卑怯、無気力、迷信、死に対する恐怖など、をもたらすことは確かである。医者は身体の病気をなおしても気力を殺してしまう。」

ここまで言うか、という気がしないでもないが、ルソーの時代にはまだ精神療法や心理療法などは体系化されていなかったこともありこのような見方もあったのだろう。ここは医術の進歩に少し同情したいところであるが、後半の医者が気力を失わせてしまう、という部分は今の時代も払しょくされない部分ではなかろうか。ここでは、ルソーは医術と医者の相違については分けていない。彼は言う。

「医術に対する希望よりも医者の間違いに対する心配の方が百倍も大きいだろう」

「このいつわりの技術は身体の病気のためよりも精神の病気のために作り出されたものであるが、どちらのためにも役に立たない。それは私たちの病気を治すより以上に、私たちに病気に対する恐怖心をうえつける。死を遠ざける以上に死を予感させる。」

確かに、最近の医療情報の氾濫は現代人に不安を植えつけており、病院の門をたたかせる一つのマーケティングにもなっている。テレビ番組の健康関連情報に共通しているのは「このまま放っておくと大変なことになりますよ!」という煽りは共通している。私の周りにも病院に行ったばっかりに不必要な臓器摘出までさせられた話が実際にある。

ルソーは個人的に病気に対する不安や恐怖を人一倍もっていたことを彼の著書『告白』で述べている。このような心理が医術や医者への不信感に取って代わったとも言えるかもしれないが、医術よりもはるかに効果のあることとして、「病気の状態に耐える」ことを挙げている。それが彼は「自然の技術」であるという。 彼は言う。

「動物は病気の時だまって我慢している。そしてじっとしている。それでも人間みたいにしょげかえってる動物はいない。忍耐力の乏しさ、心配、不安、そしてとりわけや薬剤が、助かるはずだった病人、時がたちさえすれば治ったはずの病人を、どんなにたくさん殺してしまったことであろうか。」

実は私もこの意見には賛成である。私も「最悪の時」、即ち忍耐に耐えられない痛さや辛さ、或いは救急時でないと病院には行かないようにしている。この忍耐力は非常にマゾ的な部分もあるのかもしれないが、結果的に過去20年靭帯損傷、尿路結石という文字通りの痛み以外で病院へ行ったことがない。と言いたいところであるが、ルソーの言う、精神が弱かったのかもしれないが、一度だけ心療内科へ行き「うつ病」という立派な病名をもらっている。しかも抗鬱剤と言う薬剤漬けを数年味わったが独力で完治させた経験がある。もし、現在「うつ病」で悩んでいる方がいればアドバイスをあげることは可能だ。

ここまで来るとルソーは反語で言っているように思える。医術と医者をこきおろしながら、結局は”患者”側の問題を突いているのであろう。すなわち人間の根本的なあり方を問うているのである。彼のこのような言葉がそれを裏付けている。

「医者に掛からずに十年間生きる人は医者に悩まされて三十年生きる人よりも、自分にとっても他人にとっても長く生きたことになる。そのどちらの場合も経験したことのある私には誰よりもこのような結論を引き出す権利があると信ずる」

独断と偏見もここまで信念をもって言われると納得するほかはない。