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独断と偏見を大事にせよ

どんな集まりにおいてもある発言に対して「それは独断と偏見だ!」と言われる場合が多々ある。その時、その発言当事者は反論するにせよ或いは沈黙するにせよ投げかけられた「独断と偏見」という言葉の裏の意味でもある「正当な公共性」という概念に無意識にとらわれる。反論の場合も、自らの言辞こそが「正当な公共性(がある)」という観点からの反論となる。さて、「正当な公共性」とは果たして何か。ある人は「道徳・倫理」を持ち出すかも知れない。またある人は「法の規定」を持ち出すだろう。もっと曖昧には「常識」或いは「科学」を振りかざす場合もあるだろう。ある事象に対して働く我々の意識は無意識にこのような外部的な価値観のフィルターを通して発動するようだ。しかし、そのような価値観は人間の自然状態にもともと備わったものではない。ホッブズは自然人の状態を「万人の万人に対する闘争(状態)」として位置づけそれを社会契約説と結びつけたことは知るところだ。同様にロックもルソーも自然人の概念と自然権を説いているが、国家(社会)を超えたところにある自己という存在をもっと積極的に認識し、それが社会にうけいれられるかどうかが優先されるのではなく、さらに言えばそれ(自己)を自ら肯定する価値観を持つ必要があるのではないか。当然それは流行言葉で言えば「自己責任」となるが外部から押し付けられるものではない。今の社会における様々な事象をめぐる論争(或いは実証的闘争)のカオスは外皮的な社会価値観の崩壊と新たな自己への価値観の回帰(或いは再構築)と見ることもできる。表層の政治的宗教的イデオロギーのベールを剥ぎ取り、その下に現れる自己(自然人)を見抜く力が必要とされる。「偏見と独断」と切り捨てる前に、また自らの意識を外部的価値観で捨てさる前に、自然人としての自己に立ち戻る必要がある。