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首相スピーチの問題点の重要さ

余り話題にはならなかったが、昨年10月19日、安倍首相が「国際法曹協会東京大会年次総会」で行ったスピーチについて面白い指摘があった。指摘したのは、21世紀中国総研の矢吹晋氏(横浜市立大学名誉教授)だ。矢吹氏は相互に関連する2つの問題点を挙げている。その前に首相のスピーチの概要は、「法の支配」をテーマにしたもので、今春からNHKで放映される吉田松陰の言葉『天の視るは我が民の視るにしたがい、天の聴くは我が民の聴くにしたがう』を引用、「これは民の声を天の声とするということに他ならない。人の心が天の心であり、全ての人が心を寄せることを「天」と言う。」と発言、続いて聖徳太子の17条の憲法、ヴィヴェーカーナンダ(インド宗教家)、トルストイなどの例を基に、『法の支配』の考え方は普遍的だとし、「人類愛によって結ばれ、助け合う人間が、合意によって作っていく社会の道徳や規範。それが法です。」と述べた。この部分については、スピーチ後に会議に参加した弁護士等からは「『法の支配』は、人による支配や恣意的支配を廃し、公権力の恣意性をコントロールするものとして中世以降のイギリスで発展したものだ。しかし、安倍首相の言う『合意』では、単に自分の思いが法になりかねない。『法の支配』の概念を消す恣意的な使い方だ」と言う批判もあった。スピーチはその後、孟子の言葉として、「2300年前の中国の思想家、孟子は、天下に道のある時は、徳のある賢い国が指導し、天下が乱れれば、力のある大国が支配する、ということを言っています。孟子の言う天下無道の時代に戻ることは許されません。」と、中国を牽制する発言を行っている。先述の矢吹晋氏は、この吉田松陰孟子の言葉について以下のような指摘を行った。(長文の引用になるが勘弁)

 

【※以下、矢吹氏の発言より】

孟子の引用について>

官邸の中国語訳として、孟子を引用した箇所は、つぎのようになっている。

孟子曰、天下有道、小徳役大徳、小賢役大賢。

孟子曰く、天下に道あり、小徳は大徳を使役し、小賢は役大賢を使役する

この下線部は論理がおかしい。

天下に道有り、王道政治が行われる時は、小徳は大徳に使役せられ、小賢は大賢に使役せられる――こうでなければ、王道政治のスジが通らない。つまり、この引用は、天下有道、 小徳役大徳、小賢役大賢――でなければならない。が脱落したために、論理が逆にな っている。

孟子の後半は、覇道政治を述べている。

天下無道、小[徳]役大[徳]、弱[賢]役強[賢]――天下に王道政治が失われ、覇道政治が行われる時は、「有徳の士」ではなく、「徳の小さき者」、「不徳の輩」によって政治が行われる。 すなわち「小徳が大徳を使役し、賢さに劣る者が賢さにおいて勝る者を使役する」乱れた政 治になる。では、王道と覇道の関係はどうなるか。

斯二者[大徳、大賢]天也。順天者存、逆天者亡――すなわち、「大徳、大賢」こそが天の命 ずるところ、天命である。この「天命に従う者は繁栄し、天命に逆らう者は亡ぶ」。

孟子の論理は、きわめて明快だ。

天下に王道政治が失われ、覇道政治が行われることは、歴史上、しばしば見られた。だが、覇道政治がいつまでも続くことはありえない。「小徳が大徳を使役し、賢さにおいて劣る者 が賢さにおいて勝る者を使役する」ような覇道政治は、「天命に背くもの」であり、「亡びの 運命」が待つばかりだ。そのとき、天命に従う有徳の士が再び現れ、王道政治を復活させるであろう。

孟子はここで、「易姓革命の論理」を説いているのだ。

「力のある大国」が天下を乱して、「天下無道の世界に戻そうとしている」ことを批判し たものではない。

この文脈で、安倍スピーチの孟子引用は、孟子の思想を正しく理解した上での引用とはいいがたい。一知半解のそしりを免れない。

 

吉田松陰引用について>

松陰は『講孟箚記』という講義録を残したことから分かるように、孟子の講義を行ったことはよく知られている。だが、松陰は、孟子の説く「易姓革命の論理」は、これを厳しく拒否した。なぜか。万世一系の天皇制と矛盾するからだ。<中略>要するに松陰は孟子を愛読したけれども、易姓革命の論理は避けたのだ。

安倍スピーチは、この辺りの機微を知らずに、覇道政治を批判し、孟子の論理によって、中国の大国主義を批判できると錯覚したように見える。これは二重、三重に賢明ではない。

第一に、孟子についての解釈論争が始まったら、絶対に先方に有利であろう。孟子の思想 はそもそも中国のもの、彼らの「話語権」は圧倒的に大きい。先方に有利な土俵で争うのは愚かである。

第二に、日本思想史では易姓革命論を排除したので、「天下無道の時代」を積極的に克服する有効な手段をもたない。古人が日本への輸入を断固として拒否した易姓革命論がらみ の語録を千五百年後の後人があえて持ち出すのは、藪蛇にならないか。

第三に、易姓革命論は「天命」なるがゆえに是認されるのであり、安倍スピーチのように「許されません」と道徳的に非難しても始まらない。

 

【引用終わり】

 

失礼ではあるが、安倍首相自身が自らの知識によりこのようなスピーチを行ったとは考えにくい。首相周辺の学者か官僚がそれなりの意図を持って、松陰と孟子を引用、中国に対するけん制発言の原稿を作成したものだろう。しかし、一国のトップの矢吹氏の言う“一知半解”のスピーチが思わぬ波紋(或いは破局)を起こすことは歴史上も多々例がある。我々大衆が日常で話すいい加減な知識の会話とは違うのである。トップ自身がなるべく幅広い知識を持つことはそれに越したことはないが、仮に知識がなくとも、歴史認識或いは人間認識に対する理解力は必要であるように思う。首相周辺の知的レベルの問題と、敢えて言えば首相自身の同じような問題がダブルで重なったスピーチだったと言わざるを得ないように思うがどうだろうか。

 

■補論

矢吹氏の指摘はもう一つ重要な面がある。矢吹氏も”藪蛇”と述べているが、易姓革命」を歴史上否定してきた我が国のトップ自らが、「易姓革命」を発言論理上認める、ということにならないか。そういう意味でも非常に重要なスピーチの内容と思われる。

 

 

※首相のスピーチ全文は以下のサイト

http://www.kantei.go.jp/jp/96_abe/statement/2014/1019iba_speech.html

 

※首相スピーチ関連記事

http://blogos.com/article/99088/