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長野県小川村での一日 -菊本嘉一氏との出合い―

8月14日、長野県上水内郡小川村まで日帰りで行って来た。JR高尾から中央線・篠ノ井線鈍行乗継で約5時間の行程で長野まで行き、そこから車で大町街道を白馬方面へおよそ30分走るとそこが小川村である。「日本で最も美しい村連合」にも加盟しているだけあって、近くにアルプスを望む田園風景は日本的ながら日本らしくない牧歌的な雰囲気が漂っている。

さて、この小川村には今回私を誘って頂いた菊本嘉一氏が居住している。菊本氏も小川村に居住したのは今年の4月からだという。まだ4か月ほどしか経っていないにも関わらずまるで小川村の主のように振る舞う氏のそのアグレッシブさには、土着日本人らしからぬ大陸的雰囲気を感じる。実は、菊本氏と直接対面するのは今回が初めてである。FB(フェイスブック)でいわゆる「共通の友人」を通してのコミュニケーションが始まったのは確か2年近く前だったであろうか。FBでの菊本氏のプロフィールに興味を抱き私の方から「友達申請」をしたのだが、即「承認」を頂きそれから時々やり取りが始まった。とはいえそれほど頻繁なやり取りをした訳ではないが、いつも頭のどこかで気になる存在であった。長野駅前で初めて対面した時に、一瞬数十年ぶりに会う友のような感覚に捉われたのはやはり氏の持って生まれたような人懐っこい魅力のせいだろう。

この菊本氏、今から30年前に単身でアフリカ・ケニアに渡りその後ウガンダで独力で保育所と孤児対象の小学校を運営しているのだ。開いたのは1991年、ウガンダ政府から譲り受けた120エーカー(約15万坪)の土地を有効利用しての自給自足を目指してるが、現状は農業、牧畜に取り組むものの、治安の悪さ・水不足等など悪戦苦闘しているという。この辺りは氏が運営する団体サイト「ウガンダのちいさな学校 ニュートピア」(※追記)をご覧いただければ菊本氏のその素晴らしい行動力が分かるのでここでの説明は省く。

実は、この菊本氏。私と全く同じ1952年生まれの2か月違いの同世代。昨年同じように還暦を迎えたのだが、これまでの自分の(アフリカでの)行動を、彼は小川村の案内の車中で「敗北」という言辞を使用した。その言葉の奥にある彼の拘り或いは想い、そして思想、またこの30年の一人の男の闘いの歴史、そこになぜか同調ぜざるを得ない私自身の思い。ほんのふとした会話であったが、私はタイムマシンに一瞬乗り40年前の自分に出会った気がした。志とロマンを持ち、自らの道を自らの力で誰にも頼ることなく切り開くいていく生き方。いつの間にか自分自身が忘れていた自身の闘い方であった。それに気づかせたくれた菊本嘉一氏に私は感謝せねばならない。

話を元に戻そう。彼の「敗北」とは言葉を変えれば「(闘いの)継続」ということである。今回、氏が長野県小川村に居住を決めたのは、氏の一人娘(小学校1年生)に自らの夢と闘いを継承させたいという強い思いがあるからだ。しかし、それは決して彼女の人生をそのような方向に束縛するというものではない。最終的に決めるのは彼女の意思である、と氏はいう。一人の親としての子に対する思いとそして自身の人生の目標の再設定。この菊本氏のウガンダの学校には、これまでも若い方々がボランティアで数多く訪れている。この日も二人の若い方が氏の所に訪れていた。このうちの一人、東京学芸大生は、来週ウガンダへ向かうという。2度目のボランティア活動だそうだ。このように若者がいつも集う氏の活動(或いは“闘い”)はこれからも続く。

彼が居住する長野県小川村ともどもこれからも氏の”闘い”を見続けていきたい。また新たな友として氏との交流も深めたいと思う。

この夏のたった一日しかも数時間の初めての友との短い出会いであったが、深く印象に残った一日であった。

 

<追記>

菊本氏との話は、昔の70年安保前後の話から現在のアベノミクス反原発、JICAの裏話など話題に事欠くことはなかった。できれば、話したことすべてを書きたかったが次の機会に譲りたい。

 

興味ある方は是非下記サイトをご覧いただきたい。

 

■『ウガンダの小さな学校』

URL:http://newtopia-academy.com/about/konnatokoro.html