『マルクスが日本に生まれていたら』(春秋社)を読んで

マルクスが日本に生まれていたら』という本をその題名に少し惹かれ読んだ。作者(正確には“質疑応答集”)は出光佐三。出光興産の創業者である。「正確には“質疑応答集”」と書いたのは、この本が出版された当時(1966年)、出光興産社長室メンバーが出光の経営理念を考察する対象としてマルクス資本論を元にマルクス研究を行い、当時社長であった出光と社長室研究会メンバーの応答がこの本の内容だからである。さて、「マルクスと出光はその出発点と到達点は一緒であるが、その理想への道筋が全く異なる」というのがこの本の主旨だ。社長室メンバーの言葉を借りれば、

<出発点>・・・マルクスは資本家階級の搾取への反対が出発点であった。出光佐三も学生時代、大阪の金持ちの在り方に反発し、「黄金の奴隷たるなかれ」と叫んで歩み始めた。

<到達点>・・・マルクスは搾取のない、人間が人間らしく生活できる社会を目標とした。出光佐三も人間が中心となって仲良く助け合い、その団結した力で平和に暮らす社会を目指した。(※本文より引用)

ということだ。実際、出光佐三は「社会主義共産主義の良い所を採れ」と公言してはばからなかった。この本の出版当時(1966年)の社会状況を考えれば、当時大企業の経営者の言葉としては物議を醸したことは想像に難くない。確かに、出光佐三は一貫して「人間主義」と「平和主義」そして「反権力」を唱えているが、しかし、論理的・思想的・哲学的にマルクス主義(共産主義)を捉えていたということではなく、人間(青年)マルクスの正義感に同調した、というあたりが心情だったようだ。それにしても、「・・・資本は人であって、金は資金であるとか、黄金の奴隷になるな、組織・機構の奴隷になるな、権力の奴隷になるな、数や論理の奴隷になるな、とか言って(出光は)やってきている。その結果、マルクスの目指している人類の平和・福祉のあり方の見本を(出光は)つくっているように思う」(※本書99P)という発言は相当入れ込んだ発言だ。

出光佐三のこのような強烈な個性が反映された出来事は、良く知られている1953年の「日章丸事件」だろう。敗戦後の混沌とした経済情勢の中で、日本が中東に目を向け、メジャー支配に挑戦し産油国と直接取引をした先駆であり、国際社会に独立後の日本をアピールした快挙でもあった。詳細は、出光興産HPにも掲載されているので見て欲しい。

http://www.idemitsu.co.jp/company/history/4.html

この本の中で、出光佐三マルクスとの違いについて通奏低音しているのは、「西欧民族」と「日本民族」の違いであり、或いは「物の国」と「人の国」の違いと言うことだ。このような考え方は、明治維新による急激な西欧化がもたらした反動とそれによって目覚めた「民族意識」と同じものであり、別段珍しいものではない。当然ながら、出光のこのような考えの延長には「国体としての天皇・皇室」という揺るがない精神的バックボーンがある。左翼⇒マルクス万歳・天皇制打倒、右翼⇒マルクス打倒・天皇制万歳、というステレオタイプ・教条的思考からみるとわからないが、出光佐三のような思考ができる日本人は極めて少ないだろう。全くタイプは違うが、三島由紀夫と東大全共闘の討論における三島由紀夫の発言とも通ずるものがあるような気がする。

出光佐三のような考えの経営者は、日本においては今は皆無かもしれない。特に大手経団連に属する企業経営者がやっていることと出光佐三の経営理念(首切りなし、定年制なし、大家族主義)は全く真逆である。「グローバル化」という名のもとに「人間を物と考える」経営思想に出光佐三が今生きていたら何と言うだろうか!

さて、この出光佐三については、今年の2013本屋大賞を取った百田尚樹の『海賊と呼ばれた男』の実在モデルとして描かれている。百田尚樹と言えば、「安倍晋三待望論」を書き、NHK経営委員になるなど安倍晋三の“お友達”としても最近名が売れてきた人物であるが、いろいろと評価が分かれる御仁のようだ。彼ほど出光佐三についての情報収取をやっている訳でもないので、ここでの百田尚樹の“出光佐三論”への論評は避けるが、出光佐三のような生き方・考え方にはある意味共鳴する私としては、安倍晋三が進めようとしているこれからの日本の在り方に“悪い”意味で活用されないか、気掛かりではある。