国家概念の変革

ウクライナにおけるクリミア問題は、「領土と主権の一体性」と「民族自決」という国際法原則(第5、6原則)からみれば、ロシア側にも反ロシア側(西欧)にも一応“論理的”な言い分はあるように見える。しかし、これは「あちらを立てればこちらが立たず」という関係が非常に強く、特に多民族国家といわれる国では顕著であり、そこが大国の思惑が付け込み易い空間となり、結果として紛争地域となるパターンが多く見られる。紛争も「話し合い」で解決できれば良いが、(解決の)最終的政治手法は歴史をみれば太古から「戦争」という物理的破壊(暴力)をもってして終わっている。我が国もこの例から漏れることは無く、尖閣竹島をめぐっては「武力も辞さない」などという声も最近は日常化しているように思える。このように「国家というものは絶えず紛争を起こすものだ」、という前提から「国家防衛」というドグマを作り出し、国民を徴用する手段を持つことが国家権力の本質の一つでもある。「家を守る」という言説はなかなか説得力のある言葉ではあるが、個人的なファミリーであればともかくも、これが「国と言う家」になると非常にややこしい問題となる。

いわゆる「近代国民国家」という概念が表れたのはフランス革命に端を発し、かのボナパルト・ナポレオンがそれまでの戦争が貴族階級の戦士による戦であったのを「国民総動員」するといういわば国民軍隊を形成し破竹の勝利を収めたことが、「近代国家」の発展の大きな要素となった。すなわち、国家の本質は「戦争(可能な)体制」なのである。国家とは「“正統な暴力の手段に対する人間の人間による支配”」(マックス・ウェーバー)であり、「“政治とはすべて権力をめぐる闘争であり、究極的な権力は暴力”」(ライト・ミルズ)であるという言い分は残念ながら現実をみれば認めざるを得ない。これらの言説は言葉を変えれば、「“戦争とは他の手段を持ってする政治の継続”」(クラウゼビッツ)であり、逆説的には「平和とは他の手段を持ってする戦争の継続」ということではないか。

ところで、我々の日常に国家が深く関与するようになっていることに果たしてどれくらいの人が気づいているだろうか。最近の我が国の動きを見れば、倫理・道徳・教育という個人的な価値観がその基礎となるようなテリトリーへの国家の介入が顕著になっている。言い換えれば、「個人の自由の領域への国家からの価値観の注入」という状況である。表層的には経済システム(の高度化)と言う側面もあるが、これに異を唱えることなく同調していく流れが「全体主義」への萌芽であることは間違いない。スチュアート・ミルは、「(人間には)他者を支配する権力をふるいたい人間と、他者に支配されるのを好まない人間の2種類がある」と言ったが、実際には、「誰か強い人物に服従し支配されたい」という心理が大きく働いているのは古今東西の歴史の形相をみれば否定できない事実である。そして、(国家)権力がこのような人間の心理を利用していることは、代議制民主主義の現在であろうとその本質は変わっていないように見える。

このように国家と個人の関係がいわば垂直的同期関係にあるのが現代の世界の国家であり、いくら国連を作ろうが国際法を作ろうが国際裁判所を作ろうが、結局はその本質(戦争体制の国家)は変わらないだろう。

さて、ハンナ・アーレントは『政治と革命についての考察』(1970年)において、このような現代の国家概念に対して「国家の概念を変える必要がある」と述べている。少し長くなるが引用する。

 

「私たちが国家と呼んでいるものはせいぜい15世紀か16世紀以来のものであるし、同じことは主権の概念に もいえる。主権は、とりわけ、国家間的な性質の紛争は究極的には戦争によってしか解決しえないものであ  り、それ以外に訴えるべき手段はない、ということを意味している。しかし、今日では大国間の戦争は暴力手 段が怪物のように(※自注:核兵器のこと)発達したために不可能になっている。したがって、この最後の手 段にとって代わるものは何か、という問題が提起されて来る。・・・・<中略>・・・主権国家の間には戦争 以外に訴えるべき最後の手段はありえない。戦争がもはやその目的の役に立たないのであれば、その事実だけ で我々は新しい国家の概念を持たなければならないことを証明している。・・・・<中略>・・・私の見ると ころで新しい国家概念の唯一の萌芽は連邦制度のうちにあるといえそうだ。連邦制度の長所は、権力が上から 動くものでも下から動くものでもなく、水平的に方向づけられて連邦を構成する諸単位が権力を相互に抑制し 統御する、というところにある。・・・<中略>・・・この新しい統治形態こそ評議会制度であり、・・・し かしこれはいつでも国民国家の官僚制や政党マシーンによって滅ぼされてきた・・・これがまったくのユート ピアであるかないかは私にはわからない。しかし、歴史上繰り返し現れたたったひとつの代替案なのである。 評議会制度の自発的な組織化はフランス革命、アメリカ革命でのジェファーソン、パリ・コミューン、ロシア 革命、第一次世界大戦後のドイツとオーストリアでの革命への盛り上がり、そしてハンガリー革命と言ったあ らゆる革命で起きている。・・・この方向で私は何かが見つかるにちがいないと思っている。それは下からは じまって、次第に上へと進んで、最後には議会へといたるのです。」

 

アーレントが言っているのは、「垂直から水平への意志の伝達と権力行使の概念の変革」ということであろう。20世紀後半の世界のイデオロギーであった冷戦構造的思考で見ているあいだは、右へいこうが左へいこうが結局は同じことである。確かにソ連崩壊により、資本主義勝利的なイデオローグが「グローバル主義」という名で闊歩したが、結果はご覧のとおりだ。アーレントは最後にこう言っている。

 

「主権の原理とはまったく無縁であろうこの種の評議会国家は、さまざまな種類の連邦に格別適しているでし ょう。それはとりわけ、連邦では権力が垂直的ではなく水平的に構成されるからです。しかし実現の見通しは どうなのかといま尋ねられれば、もしあるとしても、ほんのわずかと言わざるをえません。それでも、もしか すると―つぎの革命が盛り上がればできるかもしれません。」

 

さて、とにかくも我々は動き出さなければならない。あたらしい“家”づくりに!

それは、たとえ、時間は掛かろうと、誰かがましてや神が上から落としてくれるものではない。一人一人がつながり一つひとつ作り上げていくしかないだろう。途中で破壊されるかもしれない。しかし、それでも作り上げていくことだ。もし「人類の進歩」というものがあるとすれば、それは、文字通り「進んで歩く」ことなのである。