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「洋物」への感謝

戦後生まれだから仕方がない面もあるかもしれないが、いわゆる我が国の戦後精 神は敗戦という環境もあり、「洋物」の論理が世を席巻してしまった。そのよう な思考風土の中で育ったわけで、確かに「洋物」の論理には切れ味と深さがあ り、加えてカルチャー的な面からも「洋物」に染まることは”かっこよかった”訳 である。「VAN」や「JUN」というファッションと「マルクス」「サルトル」は精 神の中では上下関係ではなくフラットなものとして存在(混在か!)していた。

その反動でもないだろうが、還暦過ぎてから「和物」或いは「東洋」という視座 がやっと少し出来るようになった。

しかし、それは「洋物」がダメだから「和 物」にしました!という、単純二項対立論ではなく、自らを支配していた「洋 物」サイドからの問いかけが切っ掛けであるということは皮肉なことでもある。

G・ベイトソンの『精神と自然』はそのような切っ掛けを与えてくれる「洋物」 の中の一つである。

彼の東洋観は西洋に一時流行した浮薄な物珍しさではなく、 思考に思考を重ね到達した地点であるのだが、読み始めはその論理思考の深さ広 さに驚いたものだが、読み進め、そして最終章になるころに、「なんだそんなこ とか」と少し気落ちしてしまった。いや、気落ちという表現は当たってないな。 「やっぱり!」という気持ちのほうがふさわしいようだ。

あれほど畏怖と驚嘆と 憧れとも言える「洋物論理」が行きついた先にあったものが実は自身の日常で あった訳で、気にも留めなかった日常に潜む本質に気づかせてくれたことには感 謝したい。

多分そのような切っ掛けを与えてくれる「洋物」はまだまだたくさん あるだろう。

もちろん、それは「論理モノ」に限らず「感性モノ」も同じことで ある。